File28:享楽の悪意


「…………」


 それを見届けてローラはペタンと地面に尻餅を着いて座り込んだ。極度の緊張から解放された反動で虚脱してしまったのだ。


「ローラ!」

「ローラさん!」


 ミラーカとヴェロニカが苦しげながら立ち上がって駆けつけてきた。


「わ、私は大丈夫よ。それよりヴェロニカはジェシカを介抱してあげて」


「あ、そ、そうですね。ジェシー!」


 ローラに促されてヴェロニカはまだ倒れているジェシカの元に駆けていく。ミラーカはローラと並ぶようにして隣に座り込んだ。



「ローラ……これはあなたの作戦の結果なのかしら?」


「ええ、そうよ。クリスがやってくれたみたい」


 ミラーカの確認に頷く。彼女は溜息を吐いた。


「そう……。なら、彼に感謝しないとね」


 ミラーカは渋々といった感じで認めた。近くで見る彼女は至る所に裂傷を負っていた。中にはかなり深い傷もある。


「ミラーカ……本当によく頑張ってくれたわ。ありがとう。勿論ヴェロニカとジェシカも。誰も死なずに済んだのは皆が持ちこたえてくれたお陰よ」


「ええ、本当に……今回はキツかったわね。何度諦めかけたか解らないわ」


 ミラーカが苦笑しながら髪を掻き上げる。『シューティングスター』は本当に強敵だった。あのまま続けていれば確実にこちらが全滅していただろう。



「どうにか無事に乗り切れたようだな。皆、本当にご苦労だった。君達がいなければ俺は確実に死んでいたよ。しかしまさか君達にこんな秘策があったとは……。以前に言ってた潜入工作員とやらのお陰か?」


「ルーファス。ええ、その通りです。彼のお陰です」


 ルーファスが歩いて近づいてきた。その隣には傷だらけのシグリッドもいる。ミラーカと同じで既に人間状態に戻っていた。


「シグリッドも本当にありがとう。あなたの協力のお陰で乗り切れたようなものだわ」


「……ルーファス様をお守りする為ですから」


 シグリッドにも礼を言うと、彼女は僅かに頬を赤くしながら顔を逸らした。当たり前だが感情が無い訳ではないらしい。ルーファスも面白そうな表情になる。


「へぇ……珍しいな。どうやらシグリッドも君達の事を認めたようだね。さっきまでの共闘は彼女にとっても得難い体験だったようだ」


「ル、ルーファス様……」


 シグリッドが困ったような様子になって増々その頬が赤くなる。それを見たミラーカが立ち上がると彼女に向かって手を差し出した。


「……あなたの力、認めるわ。あなたとの共闘は私にとってもいい刺激になったわ。あなたは……戦友よ」


「……っ!」


 戦友……。かつて市庁舎の戦いの後、セネムに対しても使った表現だ。ミラーカが自身と対等だと認めた相手への最大級の賛辞。シグリッドの目が見開かれる。


「私も……あなたを認めます。あなたの強さは実戦でこそ発揮されるものだったのですね」


 そして彼女もミラーカの強さを認め、その手を取って固い握手を交わした。


 ルーファスが手を叩いた。


「さあ、危機は乗り切ったんだ! 皆、本当に疲れただろう。今夜も、明日も是非ウチに泊まって存分に身体を休めてくれ。勿論シグリッドも、臨時で使用人に来てもらうからゆっくり休んで傷を癒やすんだ。皆の傷が癒えたら、感謝の印に盛大なディナーに招待させてもらうよ。勿論報酬も約束通り支払うから安心してくれ」


 その言葉にヴェロニカと意識を取り戻したジェシカが歓声を上げていた。ローラはようやく全てが終わった事を意識して、ホッと安堵の息を吐くのであった……






 この日を境に『シューティングスター』の事件はパッタリと止み、ローラはジョンに対して事の顛末を説明し、彼から事件の終息を通達してもらった。ルーファスが襲撃の事を最後まで公表しなかった事もあって、世間に対して真相は闇の中となった。


 しかし実際にそれ以後『シューティングスター』の襲撃は一切発生しなくなった為に、事件は次第に忘れられ風化していった。


 しかし実際に大きな被害を受けたLAPDはしばらくの間組織の立て直しに奔走する羽目になり、ローラもリンファと共に再び忙しい日々に戻っていった。


 こうして『シューティングスター』事件は、その被害に比して結末は有耶無耶なままに幕を閉じたのであった……




*****




 『シューティングスター』との対決から一週間ほど経った日。


 ビバリーヒルズに建つルーファス邸。締め切られた書斎の中には屋敷の主であるルーファスの姿だけがあった。シグリッドはルーファスから所用を言いつけられて出掛けており不在。今この広い屋敷にいるのはルーファス1人であった。


「…………」


 彼は書斎の椅子に腰掛けたまま何事かを考えるように目を閉じていた。そして……自らの背後に出現・・した気配を感じ取って目を開くと、椅子から立ち上がって振り返った。


 そこには1人の人物が佇んでいた。仕立ての良いグレーのスーツにフェルト帽を目深に被っている紳士然とした男性であった。


 書斎の扉は閉まったままで開閉の音は鳴っていない。そもそも屋敷はシグリッドが出かける際に入念に戸締まりをしていた。なのにその男性は当たり前のようにそこに立っていた。



アルゴル閣下・・・・・・……」


 そしてルーファスはいきなり自分の屋敷の書斎に現れたその人物に不審や警戒を抱くどころか、至極当然のように受け入れて立礼までしていた。


「如何でしたか、オーガ・・・? 『特異点』と間近で接してみた感想は」


 その人物もまた当たり前のようにルーファスに問いかけていた。


「話には聞いていましたが……あの浄化の力は我等にとっては少々厄介なのでは? 『特異点』があのような力を身に着ける事は想定外であったはず。サリエル・・・・の奴の提案が結果として『特異点』にあの力を与えてしまった」


 ルーファスは元々、メネス王の次の『蠱毒』には、この国の先住民インディアン達の憎しみの力を吸収して変質した土着の精霊神を提案していた。だがサリエルはそれを押しのけるような形でオスマン・トルコの魔神を次の『蠱毒』にするようアルゴルに提案したのだ。それは採用され、結果的に『特異点』があの浄化の力を得るに至った。


 あの力は魔力を持たない無機質な『シューティングスター』に対してこそそれ程効果を発揮しなかったが、自分達のような存在に対してはかなりの脅威となる。間近であの力を見た時、彼はそう確信した。しかも『特異点』はあの力を弾丸に込めるなどかなり使いこなしつつある。


「あなたの懸念は解ります。しかし何も問題はないのですよ。何故なら『蠱毒』はもう完成しつつあるのですから」


「……! それではいよいよ……?」


「ええ、ようやくです。今回の異星人との戦闘でほぼ完成したと言って良いでしょう。そして完成した『蠱毒』を贄として……地獄ゲヘナと地上が繋がります」


「……!!」

 ルーファスはその光景を想像して喜び・・に打ち震えた。これまでの概念の全てが打ち崩された全く新しい世界の誕生だ。


「では、贄の回収を?」


 その時こそ自分達の出番だ。もう無力な人間の振り・・をする必要はなくなる。逸るルーファスにアルゴルは苦笑したように待ったを掛ける。


「まあ待ちなさい。回収はいつでも出来ます。それよりも何やら面白い事になっているようです」


「面白い事、ですか?」



「ええ。どうやら我々の用意した『蠱毒』とは無関係の野良犬・・・達が跳梁しているようです。しかもどうやら『特異点』達と敵対し、その排除を狙っているようですね」



「……!」


「野良犬とは言え、既にそれなりの勢力を築いていて馬鹿には出来ません。場合によっては我等の計画に支障が出る可能性もあります」


「では……排除を?」


「いえ、それには及びません。ここはある程度成り行きに任せます。我等は完全に傍観者としてこの争いを楽しませてもらう事にしましょう。デュラハーンとサリエルにもそう伝えておきます」


 計画に支障が出るかも知らないと言いながら、一方で争いを傍観して楽しむという。いつもの事ながらルーファスは、自分達の主人・・の気紛れさと享楽さに内心で嘆息していた。



「そうそう。このままだと『特異点』側のチーム・・・がかなり不利ですから、ちょっとだけ介入させてもらいましょうか。あなたが気紛れに拾って育てている野人・・の娘がいるでしょう。あの娘に『特異点』に協力させなさい」


「シグリッドをですか? ええ、それは構いませんが……」


 今回の『シューティングスター』に対する共闘を経て、シグリッドも若干あの者達に友誼を感じているようなので、何か理由を付けて協力させるのは簡単だろう。 


「それでもまだバランス・・・・が悪いですね。チーム戦は双方の戦力が拮抗していなければ面白くありません。あの者と……後、あの者も裏で手を回してこの街に呼び寄せましょう。そうすれば自然と争いに巻き込まれるでしょうから。くくく……女性チーム対男性チームとも言えますね。これは意外と面白い見世物になるかも知れませんよ、オーガ」


「は、はあ……」


 傍観に徹すると言っておきながら、かなりノリノリな様子で介入の計画を立てている主を見て、ルーファスは呆れとも戸惑いとも付かない表情で溜息を吐くのであった。



 毒と享楽に満ちた悪意が、ローラ達とLAの街を翻弄しようとしていた……

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