File18:ブリジット・ラングトン

「……ふぅ。どうやら行ったようだな」


 ジョンが警戒態勢を解いた。同時に『末弟』やムスタファも地上に降りてくる。そしてフォルネウスと……例の狼男も歩いてきた。


 ニックは敢えて変身を解かずに、集まって来た同志達に両手を広げる。



『皆、ご苦労だったね。素晴らしい働きだったよ。まさかあの怪物相手に優勢に戦えるとは思っていなかった。ミラーカ達を見ていて、やはり数と連携の力は偉大だと思っていたが、それが彼女達の専売特許ではないと証明できて嬉しい限りだ』



 ニックの言葉に、彼に従属しているフォルネウスや『末弟』は嬉し気に身をすり寄せる。


「……ふん。まさかLAに戻ってきていきなり『シューティングスター』と事を構えるとは思わなかったぜ。俺は奴さんの捜査からは外されてたってのによ」


 ジョンが皮肉気に口の端を歪める。


『……そもそも私には本物の宇宙人がいたという事実が衝撃的でしたよ』


 自身も既に科学で解明できない存在でありながら、蝿の怪物――ムスタファがそんな感想を漏らす。



 ニックはそんな彼等に苦笑しつつ、新規メンバーである灰色の狼男の方に向き直る。そして変身を解いて人間の姿に戻ると手を差し出す。


「やあ、こうして会うのは初めてだね。こんな慌ただしい場面で申し訳ない。ニコラス・ジュリアーニだ。ニックと呼んでくれ。僕達に協力してくれて感謝するよ。君を仲間として歓迎する」


 すると狼男も変身を解いて人間の姿になる。茶色い髪の線の細い美形の若い男の姿が現れた。ニックが、ほぅ……と目を細める。


「……とっくに知ってるだろうけど、エリオット・マイヤーズだ。アンタがこの街で安全な『狩場』を提供してくれるって聞いて来た。それに……従妹・・の事も」


 握手に応じながらも暗い憎しみを湛えた目で陰鬱に喋るエリオットに、ニックは増々面白そうな様子となる。


「勿論だとも! 僕達は君の味方だ。ジョン達から聞いてるだろうけど、共通の目的・・・・・に向けて是非とも協力していこうじゃないか」


 この瞬間、エリオットは正式に【悪徳郷】へと加わった。そこでジョンが道の真ん中で気絶しているブリジットに気付いた。その目が若干見開かれる。



「……おいおい、ニック。俺の見間違いでなけりゃ、ありゃ女優のブリジット・ラングトンじゃないか? 『セブンスエイジ』でアカデミー賞にノミネートされた」


「ん? ああ、そうだ。彼女の事を忘れていたよ」


 ニックは倒れているブリジットに歩み寄って脈を確認すると、その目をスッと細めた。


「……君、既に目が覚めているね? 僕に気絶した振りは通じないよ」

「……!」


 ブリジットの肩がピクッと動く。それから彼女は諦めたように目を開いた。車から飛び出した直後は間違いなく気絶していた。恐らくニック達が『シューティングスター』と戦っている騒音で目が覚めていたのだろう。だが普通なら目覚めた時点で超常の戦いを目撃した訳だから、パニックになって逃げだしていそうな物だ。 


 気絶した振りを続けて『シューティングスター』の注意を惹かなかったのは、冷静で良い判断であった。ついでにニック達の注意も。


「…………」


 今ブリジットの目の前には5体の怪物がいて彼女を取り囲んでいた。エリオットも全裸でいる事を厭うて再び変身している。先程の戦いも見られていたならどうやっても誤魔化しは効かない。ニックの正体・・も確実に見られているだろう。



「……ち。事情は分からんが残念だぜ。俺は彼女のファンだったんだがなぁ」


 ジョンが頭を掻きながら無造作にブリジットに手を伸ばそうとする。口封じに殺すつもりだ。だがニックがそれを制止した。


「待つんだ、ジョン。ここで彼女に死なれると、僕の先程までの苦労が水の泡だ。勿論グールにするのも無しだ。FBIに戻って彼女の無事を証明しなきゃならないからね」


「あん? じゃあどうするんだ? お前の力で〈信徒〉にでも洗脳するのか?」


 ジョンの疑問にニックはかぶりを振る。


「……いや。どうも〈信徒〉は男性しか作れないらしい。そして女性を洗脳する力はメネスにしかない」


『ふむ、それは困りましたね。我々シャイターンにも、そんな便利な能力はありませんし。マリード様ならともかく……』


 ムスタファもその蝿の頭を振っていた。エリオットら他の3体にはそもそもそういう類いの魔力はない。


「吸血鬼化させるのもリスクが高いしなぁ。ヴラド様じゃなけりゃ絶対服従とまではならないしな」


 ジョンも唸る。吸血鬼の『親』としての拘束力がそれ程強くないのは、図らずもジョン自身が証明している。本当の意味で下僕を作れるのは真祖たるヴラドだけだ。



 ニックが溜息を吐いた。ヴラド、メネス、マリード……。所詮自分達はそれらの眷属にしか過ぎないのだと思い知らされる。



「ふぅ……仕方ない。余りスマートなやり方じゃなくて嫌だけど……。ブリジット、今日ここで見た事を――」


「――誰にも喋るなって言うんでしょ? 言われなくても喋らないわ」


 ニックの脅迫を途中で遮ってブリジットが肩を竦める。出鼻を挫かれたニックは少し目を見開いた。そして気付いた。そもそもブリジットは今のこの、女1人で人食いの怪物達に取り囲まれている状況に恐怖を示していないという事に。


「……ブリジット?」


「あなた達、私を殺せないんでしょ? だったら怖がる理由なんてないじゃない」


 そう言って彼女は立ち上がった。しっかりした足取りだ。『シューティングスター』に追跡されて半狂乱になっていた姿は既に微塵も感じられなかった。当たり前だが、こちらが彼女本来の素であるようだ。


「いや、確かにそうだがね……。あんた、俺達を見て何とも思わないのか? しかも俺達は3度の飯より女を殺すのが好きな怪物だぜ? そして実際に大勢殺してる」


 ジョンもやや呆気に取られたように問い掛ける。


「それが私でさえなければどうだっていいわ。私の親であってさえもね」


 だがブリジットは平然と切り返した。ニックは彼女の目や表情がとてもキラキラと輝いている事に気付いた。


「……ずっと退屈してた。世の中には私が出演する映画のような出来事なんて絶対に起こらないと思ってた。でもそんな事は無かった! 世の中は人間の知らない神秘に満ち溢れてるんだって解った! 『シューティングスター』に直接命を狙われた時は本当に焦ったけど、それもあなた達が守ってくれた。こんな……こんな素敵・・な体験、絶対に他の誰かと共有なんてしてやらないわ! 頼まれたって誰にも喋るもんですか!」



「…………」


 ニックは……いや、ジョンもムスタファも、そしてエリオットも唖然としてしまっていた。『末弟』とフォルネウスは複雑な言葉が解らないのでキョトンとしている。


 FBI捜査官にして人外の怪物たるニックの目から見ても、彼女が命惜しさに演技をしているようには見えなかった。彼女の本職は女優だがそれは間違いなかった。そもそも命は助けると言っているのだから、こんな演技をする必要は無い。 


「ねぇ、お願い。私もあなた達の仲間に入れて! こう見えてお金は沢山持ってるし、政財界の連中に顔だって効くわ。あなた達にとっても損はないはずよ」


「お、おい、ニック。どうするんだ、これ?」


 意外と言えば余りに意外な申し出に、ジョンは困り果てたようにニックを振り返る。


「ふ……ふふ……なる程。どうやら君の事を見誤っていたようだね」


 一瞬唖然としていたニックだが、すぐに状況を把握すると持ち前の計算高さを発揮して、この提案のメリットデメリットを勘案した。そして……



「……いいよ。思わぬ成り行きだけど、君を仲間として歓迎しよう、ブリジット」


「……! ありがとう、ニック! 後悔はさせないわ!」


 ブリジットは少女のように喜び舞い上がる。反対にムスタファが諫言する。


『宜しいのですか? いくら社会的地位があるとはいえ、ただの人間の女を仲間に加えるなど……。足手まといにしかならないのでは?』


「そうでもないさ。むしろ彼女は思わぬ拾い物だよ。ミラーカ達との戦いを見据えた上でもね」


「あん? どういう事だ?」


 ミラーカ達との戦いという言葉にジョンが反応する。ニックは薄く笑った。


「彼女は普通の人間だ。それも〈信徒〉のように洗脳されている訳でもなく、自発的・・・に僕等に協力してくれている、ね。……ミラーカ達に彼女が殺せるかな?」


「……! ああ……なるほど。そういう事か」


「そう。他にも僕等に脅されていた・・・・・・という体で、ミラーカ達に保護を求め彼女らの懐に潜り込ませるなんてのもいいかもね。立派な工作員の出来上がりだ」


『……なるほど。確かに、利用価値は色々ありそうですね』


 ジョンだけでなくムスタファやエリオットらも得心したように頷いている。洗脳もされていない普通の人間だからこそ出来る事もあるという訳だ。



「そういう事。さて、それじゃこの炎と煙でオレンジ郡警察が駆け付けてくる前に、一旦解散するとしようか。僕はこれから彼女を連れてFBIに戻らないといけないしね」


 炎上している車を見ながらニックが指示を出す。フォルネウスや『末弟』は闇に溶け込むようにして一早く撤収していく。


「そうだな。俺も明日にはLAPDの様子を見に行かないといけないしな。『シューティングスター』の奴とネルソンのせいで、どエラい事になってるらしいからな」

 

 ジョンも肩を竦めてから翼を広げて闇夜の空に飛び立っていく。


『では我々も失礼致します』


 ムスタファとエリオットもそれぞれ闇に消えていった。また招集が掛かるまでは【悪徳郷】のメンバー達は、闇に蠢く怪物としてそれぞれの『狩り』や『趣味』に精を出す事だろう。



 同志達が皆撤収したのを確認して、ニックはブリジットを振り返った。


「……さて、それじゃ僕等はここで郡警察が駆け付けてくるのを待っていようか。待ってる間にFBIへの説明と、あと恐らく君にはマスコミのインタビューが殺到するだろうから、その辺の打ち合わせ・・・・・もしておこうか」


「ええ、解ったわ。大丈夫、私は女優よ。上手く演じてみせるわ。これから宜しくね、ニック?」






 こうして9人目のターゲット、ブリジット・ラングトン襲撃事件は幕を閉じた。工場を固めていた隊員達と運転手と併せて8名ほどの犠牲者を出してしまったが、ターゲットを無事守り抜いたFBIは世間からの感心と称賛を浴びる事になる。


 当然ながら『シューティングスター』に命を狙われ唯一生き延びたブリジットに対して、あらゆるメディアからのコンタクトが殺到した。ブリジットは記者会見やTVのトークショーなどで涙ながらにその時の恐怖と、そして勇敢にも自分を守ってくれたFBIへの感謝を繰り返し述べた。


 しかしその涙の裏に隠された喜悦の感情に気付いた者は誰1人いなかった……

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