Case7:『シューティングスター』

Prologue:ポイントゲッター

 ロサンゼルスのダウンタウンにオフィスを構える弁護士ジェニファー・カヴァナーは、現在我が身に降り掛かっている事態に対して恐怖と高揚を同時に感じていた。


 時刻は夜。場所はコンプトンにある大きめのジャンクヤードの事務所。


 落ち着かない気持ちで事務所の椅子に座っているジェニファーだが、事務所のドアが開く音にハッとして振り向く。


 入ってきたのは優に6フィート以上はあるヒスパニック系の筋骨隆々の大男であった。髪も眉毛も全て剃ったスキンヘッドの見るからに凶悪な人相で、その頭にも顔にも、そして身体中にタトゥーが彫られている。


「カヴァナー、こっちの準備は完了したぞ。このヤード一帯、うちの兵隊・・が夜通し固める。許可なく敷地に入った奴は問答無用で蜂の巣だ。誰か忍び込んでるのを見つけた場合もな。コマンドーだってここまで辿り着けやしねぇと保証するぜ」


 全身タトゥー男の報告に、ジェニファーは満足気にうなずいた。


「ありがとう、コルンガ。今までの行動パターン通りなら『奴』は必ず今夜、私の命を狙ってくるはずよ」


 彼女の言葉に今度はタトゥー男――コルンガがうなずく。


「ああ。だがノコノコ現れたらその時が『奴』の最後だ。それかうちの陣容に恐れを為して、回れ右して逃げ帰るかも知れねぇけどな」


 コルンガは自信満々な様子だ。普段内心では社会のゴミと見下している連中だが、この時ばかりはその姿や態度が頼もしく感じた。


「そうね……。どっちにしても『奴』の……『シューティングスター』の神話・・は今夜で打ち止めよ。アイツの威信は地に墜ちる。そうなればもうメディアや大衆もアイツを持て囃したりしなくなるわ」


 ジェニファーの言葉にコルンガが肩を震わせて笑う。


「くっくっ……まさかやっこさんもターゲット・・・・・に指定したアンタが、俺達『クエルボ』とズブズブの関係だとは思わなかっただろうな」



 コルンガは多数のギャングがしのぎを削るこのコンプトンで、最近急激に勢力を伸ばしている新興ギャング『クエルボ』のリーダーだ。そしてその裏で多額の顧問料・・・と引き換えに、その台頭を手助けしてきたのがジェニファーであった。


 コルンガ達は弁護士を買収する事でより過激な活動によって勢力を伸ばす事を可能とし、ジェニファーは彼らを弁護・・する事で実績を作り、また多額の顧問料によって、まだ20代の若さで自分の事務所を構えるまでになった。いわゆるウィンウィンの関係という奴だ。


 若くして成功しまた外見も良かったジェニファーは、若手美人弁護士としてメディアでも取り上げられる程の有名人になっていた。だがそのお陰で『シューティングスター』に目を付けられる事になったのだから善し悪しである。



「しかし有名人や著名人ばかりターゲットにして、わざわざ予告・・してから殺すとか、どんだけ自己顕示欲の強ぇナルシスト野郎だ?」


 コルンガの疑問は多くの人々の代弁でもあっただろう。一時期世間を騒がせた『ディザイアシンドローム』事件が忘れられた頃、再びLAを脅かす新たな殺人鬼が出現した。


 警察によって認定された最初の事件はローカル局の看板キャスターであった。腹に文字通り風穴が開いた状態の彼女が、自宅近くの路上で死んでいるのを付近の住民が発見した。


 それを皮切りに同じ手口の事件が、必ず2週間に1回のペースで発生するようになった。被害者は市内の名門大学の理事長、大病院の院長、製薬会社の役員、上院議員、裁判所の判事……と、最初のキャスターを含めて既に6人が殺害されている。いや、警護・・に当たっていて共に殺害された者も含めればもっと数は増える。


 マスコミはこの殺人鬼をその予告方法や殺害方法などにちなんで『シューティングスター』と呼び始めた。被害者はいずれもLAでは名の知れた名士である。鼻持ちならないエリートばかり狙って殺すこの殺人鬼は、今や大衆から人気を集めるまでになっていた。


 そしてジェニファーが7人目のターゲットという訳だ。だがそうはいかない。


 警察は当てにならない。犯人は当然被害者が警察に駆け込む事を想定しているはずだ。実際に今までの被害者の中には警察に保護を求めた者もいたが、犯人は警察の警護を尽くすり抜けてターゲットを抹殺している。もしかしたら警察内部に内通者がいるのかも知れない。


 それだけでなく犯人には彼女を狙った事を後悔させてやりたい。


 だから自分と繋がりのあるコルンガ達に護衛・・を依頼した。彼らなら内通の危険はないし、逮捕などと甘い事もしない。犯人に生まれてきた事を後悔するような目に遭わせてから、きっちり始末・・を付けてくれる。


 仕事人気取りのこの殺人犯に、本当に恐ろしいのはどっちか思い知らせてやるのだ。ジェニファーは腕時計を確認する。



「……もうすぐ12時。予告の刻限になるわ。充分に警戒して頂戴」


「言われるまでもねぇぜ。解ってると思うがこれは貸しだぞ、カヴァナー」


「勿論よ。約束通り追い払えば3ヶ月間、仕留めれば・・・・・半年間、顧問料なしでメンバーの弁護を最優先で引き受けるわ」


 安定した定期収入が半年間絶たれるのは痛いが命には替えられない。それに彼女もある程度名が売れてきているし、今回の件で更に有名になる可能性も高い。『クエルボ』からの顧問料がなくても半年くらいなら充分やっていけるだろう。


「へっ、ソレだけじゃねぇだろ?」


 しかしコルンガは嫌らしい笑みを浮かべて腰を振るような動作をした。ジェニファーはため息を吐いた。


「……解ってるわ。いつものホテルでいいわね?」


「ああ。へへ、約束は守れよ?」


 コルンガは笑いながら事務所を出ていった。部下達に再度注意を促しに行ったのだろう。



「…………」


 1人になったジェニファーはブルッと身体を震わせる。殺人鬼に予告された刻限は間近に迫っていた。


(大丈夫、何も問題ないわ。『クエルボ』の奴等の凶悪さは誰よりも知ってる。殺人鬼なんか目じゃないわ。一応護身用に銃も忍ばせてあるし。数分後に死ぬのは私じゃない。『シューティングスター』の方よ。それだけは間違いない)


 必死に自分に言い聞かせる。しかしどうしても心の奥底にある不安を完全に払拭する事ができない。


 殺人鬼から死を予告され、しかもそれが間近に迫っているなどという経験をした事がある人間などそうはいないだろう。この落ち着かなさはその為のものだ。そうやって自分を納得させる。


 再び時計を見た。午後11時50分。後10分だ。本当に『シューティングスター』は現れるのだろうか。コルンガが言っていたように、この場を固める大勢のギャング達を見てスゴスゴと逃げ帰るかも知れない。


 しかし一度予告殺人に失敗すれば、もうそのパフォーマンスは意味を為さなくなる。なので犯人は何としても彼女を抹殺しようと乗り込んでくる可能性が高い。そしてそうなれば『クエルボ』の餌食だ。殺人鬼は警察以外に護衛の当てがあったジェニファーをターゲットに選んでしまった時点で詰んでいたのだ。




 そして時計が11時55分を指した時だった。窓の外、つまりヤードで一瞬何かが光った気がした。そして……人の悲鳴のような音。


「……ッ!?」

 何事かと思って窓に目を向けると、再度同じような光が瞬いた。再び悲鳴。そして今度はジェニファーも聞いた事のある、自動小銃の発砲音。


(き、来た! 本当に……!)


 ジェニファーは慌てて壁に張り付くようにして屈み込んだ。そして頭だけそっと出して、窓から外を覗く。


 既にヤードは大騒ぎになっていて、あちこちから小銃の発砲音、そしてギャング達の怒号が聞こえてくる。それと同時にあの謎の光と、それが瞬く度に上がる恐ろしい悲鳴。



 まるで戦争だ。しかしそこで気付いた。戦争・・が起きている、という事自体が異常事態だという事に。


 信じがたい事に相手は正面から乗り込んできているらしい。そして怒号や銃の発砲音はギャング達が応戦・・しているという事実を現している。ギャング達の不意を突いて奇襲しているという訳では無いのだ。


(ど、どういう事!? 『シューティングスター』は単独犯じゃないの!? いや、それにしたって……!)


 ジェニファーが混乱している間にも戦い・・の喧騒は増々大きくなる。そして……着実に近付いて・・・・きていた。


(い、嫌……嫌だ……し、死にたくない……。な、何で私がこんな目に……)


 彼女は頭を抱えながら涙をこぼしていた。確かにギャングから金を受け取って彼等の犯罪を弁護していた。彼等に法の網を潜る為のアドバイスをしてきた。


 だが犯罪者の弁護自体は弁護士の職務なのだ。自身は何も法に背いた事はしていない。こんな目に遭わなければならない道理は何一つないはずだ。


 スーツの懐から銃を取り出して、お守りのように握り締める。こんな物でどうにかなる気は全くしなかったが、他に縋る物が無かった。



『ぬああぁぁ! 何なんだよ、テメェはぁっ!!』


 その時すぐ近く、恐らく事務所前の広い空き地から、コルンガの怒号が部屋の中まで聞こえてきた。同時にガガガガッ!! と間断ない銃撃音が轟く。


 これはコルンガ愛用のサブマシンガンの音だ。彼が金にあかせて魔改造を施しているらしく、軍用のアサルトライフルにも劣らない威力だと豪語していた。


 実際にジェニファーも一度だけ射撃訓練の様子を見せてもらった事があるが、金属製のドラム缶が原型を留めない程に粉々に吹き飛んでいた。あんな物で掃射されたら、それこそ戦車でもない限り一溜まりもないはずだ。


 それに彼はSWATから横流しされた高性能の防弾ベストも着用している。『シューティングスター』が何者か解らないが、流石にフル武装のコルンガ相手では――



 ジェニファーが安心し掛けた時、窓の外で例の謎の光が迸った。


 ――ドガンッ!!


 それと同時に事務所のドアがひしゃげて弾け飛び、外から何かが転がり込んできた。それは……防弾ベストごと胴体に風穴を開けられて事切れたコルンガの死体であった。その既に何も映していない瞳が、未練がましくジェニファーの方に向けられていた。


「ひ、ひぃぃぃぃっ!?」


 ジェニファーは引き攣った悲鳴を上げて、床に尻もちを着いたまま後ずさった。腰が抜けて立てなくなっていた。歯の根が合わずにカチカチと鳴る。


 コルンガの死体を跨ぐようにして何か・・が部屋の中に踏み込んできた。それを見たジェニファーは混乱の極致に達した。


(え……な、何? 何なの、これ……? え、映画の撮影か何か……?)


 一瞬そんな事を思ったが、これが映画やプランクの撮影でない事はコルンガの死体が物語っている。ジェニファーは尻もちを着いたまま咄嗟にソレ・・に向かって銃を向けた。


「ひ……こ、来ないで! な、何よ。何なのよ、アンタ!?」


 返事を期待しての言葉ではなかったが、意外にもソレ・・が喋った。まるでAIの合成音声のような抑揚のない非人間的な声であった。



『今回ハ中々楽シメタ。良イゲーム・・・ダッタ。オ前ヲターゲットニ選ンデ正解ダッタヨウダ』



「……は? ゲ、ゲーム、ですって……?」


『コノママ回ヲ重ネレバ、ヨリ大規模ナゲームガ楽シメソウダ。スコア・・・ガ稼ギ放題ダ』


「……っ!」

 ジェニファーは大きく目を見開いた。今、彼女は『シューティングスター』の犯行動機・・・・を知ったのだ。それは余りにも馬鹿げた、信じがたい物であった。


『サア、仕上ゲダ』


 『シューティングスター』はそう言って、筒状の何かをジェニファーに向けた。


「ひっ!?」


 彼女は本能的な恐怖から『シューティングスター』に向けて銃の引き金を何度も絞った。だが全ての銃弾は虚しく弾かれて床に落ちた。


「あ、あ……い、嫌……助けて……助けてぇぇぇぇっ!!!」


 恐怖と絶望から泣き叫ぶジェニファーの声は、今はもう聞き届ける者もいない無数の死者が転がっているのみのヤードに虚しく響き渡った。


 そして次の瞬間には事務所内を強烈な光が満たし……後にはただ静寂のみが訪れた。






 けたたましい銃撃音、恐ろしい悲鳴と怒号、そして飛び交う謎の光は、当然付近の住民の注意を大いに引き付けた。いくら治安の悪いコンプトンとはいえ、これ程の凄まじい銃撃戦はそうそう発生するものではない。


 通報によって駆け付けた警察によるヤード一帯を封鎖しての現場検証が直ちに行われ、ヤード内から大量のギャングの死体、そして事務所内からギャング『クエルボ』のリーダー、ペドロ・コルンガと弁護士のジェニファー・カヴァナーの死体を発見した。


 ジェニファーの携帯に残されていたメッセージから、彼女が『シューティングスター』の殺人予告の対象となっていた事が判明。かの殺人鬼の7人目のターゲットとして正式に認知された。


 大量のギャングを物ともせずにターゲットの抹殺を果たした『シューティングスター』の知名度は増々上がり、大衆の興味を否が応にも掻き立てていく。


 そして大衆だけでなく警察もまた、その威信を賭けて本格的な捜査に乗り出していく事になるのであった……

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