File17:500年の怨讐


「なるほど……『魔法のランプ』の事まで把握していたか。であれば話が早いな。そう……あなた達の睨んだ通り、この事件にはトルコから持ち出された件の『魔法のランプ』が絡んでいる」


 セネムは居住まいを正して説明を始めた。


「事の発端はトルコの役人がアメリカ人から賄賂を受け取って、『魔法のランプ』をこの国に持ち込んだ事による」


 トルコの役人とは、今クレアに追ってもらっているムスタファ・ケマルという男の事だろう。そしてアメリカ人とはLA自然史博物館の元館長ウィリアム・ワインバーグの事か。賄賂が絡んでいたとは初耳だった。


「あのランプに恐ろしい魔神が封じ込められているのは結社でも把握していた。だが刺激・・さえしなければその封印が解かれる事は無いと分かっていたし、下手に何かして目覚めさせてしまっても困るからと、そのままトルコの国営の博物館に厳重に保管されている分には害はないとして放置されていたのだ」


 セネムはかぶりを振った。


「だが目先の欲に目がくらんだ馬鹿な役人がそれを国外に持ち出してしまった。そこからの流れは既にあなた達も知っている通りだ」


「……先程『刺激』と言ったけれど、そもそも何でその魔神とやらが目覚めてしまったのかしら?」


 ミラーカの疑問。ランプの精霊を目覚めさせたのはジョフレイのようだが、彼には元々何か特別な力があったのだろうか。



「……非常に強い欲望、または渇望。それが前提条件・・・・と言われている。その上であの有名な物語と同じく、ランプを手で擦りながら必死に念じるんだ。ランプの魔神に、願いを叶えてくれ、とな」



「え……そ、それだけ?」


 ローラは逆に拍子抜けした。もっと複雑な儀式とかが必要だと思っていたのだ。


「ああ、それだけだ。だが……あなたなら予備知識なしで、そんな事を真面目にやってみようと思うか? ましてや『真実の口』のように誰でも気軽に触われる物じゃない」


「……!」


 言われてみて確かにその通りかもと思った。ランプを擦って願いを叶えるなんて、やるとしても遊び半分が関の山だろう。真面目に本心からそんな事をする人間はいない。よしんば強い欲望や渇望とやらがある人間でも、わざわざ博物館のショーケースに厳重に保管されている展示品に対して、それらの障害を取り除いてまで試そうとする者など皆無だろう。


(ジョフレイはその両方の条件・・を満たしたって事?)


 PRの仕事で実際に触れる機会はあったのだろう。だがもう一方の条件……。


 強い欲望、または渇望。


 ランプの精霊の御伽噺に縋らねばならない程の、一体何があったと言うのだろうか。


「まあ、条件に付いてはいいわ。実際にもう現れてしまっているのだから、討伐の為の対策を練るべきね。あなたは魔神と言ったけど、奴等の正体やその力なんかについては解っているのかしら?」


 ミラーカが話を進める。そう。ジョフレイが現実に力を得てしまったのは動かしようのない事実なのだ。今ローラ達が考えるべきなのは、原因ではなく対策だ。



「うむ。あのランプに宿っているのは、マリードと呼ばれる高位の魔神だ」



「マリード……」


 それが本当の敵の首魁の名称。


「我々もそこまで具体的な能力の詳細を掴んでいる訳では無いが、人間の欲望や願望を歪んだ悪意のある形で叶えるのは、このマリードが好む常套手段とされている」


「……!」


 まさに『ディザイアシンドローム』の事だ。あれはそのマリードという魔神の仕業であったのだ。


「あのシャイターンという奴は何だったの? それにあのジャーンとかいう化け物達は……」


「……マリードは上級魔神として、その麾下に多数の眷属を従えている。奴等はマリードの力によってこの現世うつしよに呼び出された闇の怪物達だ。霊鬼ジャーンとは最下級の邪霊で、魔神の意のままに動く尖兵だ。自我はないに等しく、主人となる魔神に対して忠実に働く」


 やはり吸血鬼でいうグールのような存在らしい。だとするとシャイターンというのは……


霊魔シャイターンはその上。自我を持った下級魔神達だ。我欲が強い邪悪な性質を秘めた人間を見抜き、そういった人間に邪霊を取りつかせる事でシャイターンとなる」


「あ、あれが下級・・ですって!?」


 馬の怪物と化したシモンズの恐ろし気な姿と能力が思い出される。あれが下級となると、上級魔神だというそのマリードは一体どれ程の強さなのか。


「ああ、だが下級とはいっても、あなたも体験した通りシャイターン共は個々の欲望によってそれぞれ異なる姿と能力を持っており、事前の対策が非常に難しいという厄介さがある」


「…………」


 シモンズの幻惑の前に一方的に押されていたセネムが言うと説得力がある。



「そのマリードを呼び覚ましたジョフレイ自身も、そのシャイターンとやらになっているのかしら?」


 ミラーカの問いに、セネムはかぶりを振った。


「……残念だがそこまでは解らない。何分マリードの存在が確認されたのは、15世紀のオスマン帝国・・・・・・が最後なのだ。500年以上も前の事となると、我々としても詳細な能力や眷属の情報までは残っていないのだ」


「……!」

 ミラーカがピクッと反応する。



「待って。15世紀……オスマン帝国ですって? そいつはオスマン帝国と何か関係があったの?」



「ミラーカ?」

 ローラは一瞬訝しんだものの、


(あれ? 15世紀……500年以上前って言ったら、ミラーカが生まれた頃の時代じゃなかった?)


 しかもあの時代の欧州の人間にとって、オスマン帝国は決してイメージは良くないだろう。しかしミラーカの素性を聞いたばかりのセネムはそこまで思い至らずに首を傾げた。


「ん? 関係があったどころか、結社の間では周知の事実だが、あのマリードは代々のスルタンの助言者・・・として、実質的にオスマン帝国を裏から支配していた存在であったとされている」


「……!」

 ミラーカの眉が増々吊り上がる。



「マリードのランプを所有していた最後のスルタンは、7代目のメフメト2世とされている。マリードは何らかの目的によってメフメト2世を炊き付けて、欧州への侵攻を行わせていたらしい。しかし当時のワラキア公国・・・・・・の公王であったヴラド3世・・・・・に、トルゴヴィシュテの戦いで完膚なきまでに敗北し、その野望を阻まれる事となった」



「――っ!?」

 思わぬ名前が出てきて、ローラはギョッとしてミラーカを仰ぎ見た。



 ミラーカは……ただでさえ血の気の無い顔を更に青白くさせていた。しかしその表情は、目をぎらつかせた鬼気迫る物へと変わっていた。



「ああ……メフメト2世ね……。良く知ってるわ・・・・・・・。あの男が欧州に侵攻してこなければヴラドが吸血鬼になる事もなく、勿論私達もその毒牙に掛かる事はなかった。私が家族を……そして『あの子』を手に掛ける事も……」



「ミ、ミラーカ……?」


 ローラの声も無視してうわ言のように呟くミラーカ。



「でも……ふふ、そうだったの。真犯人・・・は別にいたのね? 裏から操って炊き付けて……つまりそのマリードという奴が全ての元凶・・・・・だった訳なのね……?」


 

「ど、どうしたのだ、急に? 何を言っている?」


 尋常ならざる鬼気に包まれたミラーカの様子に気圧されたようにセネムが動揺する。だが動揺しているのはローラも同じであった。


 言葉もなく呆然としている2人に向けて、ミラーカは凄絶な笑みを浮かべる。



「……悪いけど、急用が出来たわ。私はここで失礼するから、後はあなた達で勝手にやっていて」



「な…………」


 唖然とするローラ達を無視して、ミラーカは愛用の刀を手にするとさっさと玄関から外に出ようとする。ローラは慌てふためいて彼女に駆け寄った。


「ま、待って、ミラーカ! 何をする気!? まさかこれからいきなり敵の元に乗り込もうっていうんじゃ……」


 するとミラーカは煩わし気な視線をローラに向けてきた。今まで彼女からこんな目で見られた事の無かったローラはショックで硬直する。


「ええ、そうよ。全てに片を付けるの。奴には必ず代償を支払わせてやる。『あの子』の……ローラ・・・の命を奪った代償をね」


「……っ!」


 ミラーカの目には混じり気の無い純粋な憎悪・・が燃えていた。ミラーカは敵に玉砕する気なのだ。憎悪に突き動かされて冷静な判断が出来なくなっている。



「だ、駄目よ、危険すぎるわ! まだ敵の能力だって明らかになっていないのに……」


「――離しなさいっ!」

「っぁ!?」


 吸血鬼の膂力で無造作に腕を振り払われて、ローラは吹き飛ばされて転倒する。


「……! お、おい! 何をしている!? ローラはあなたを心配して……」


 咄嗟にローラに駆け寄って介抱したセネムが厳しい視線でミラーカを見据えるが、



「大きなお世話よ。これは私の……500年前の問題なのよ。あなた達には関係ない。私の事はもう忘れてくれていいわ」



 ミラーカはそれだけ言い捨てると、倒れ込んでいるローラの方を一瞥さえする事無く、玄関を開けて外に出て行ってしまった。



「…………」


 ローラはそれを無機質な瞳で眺めていた。何が起きたのか理解できなかった。ただ、終わってしまった・・・・・・・・事だけはボンヤリと解った。


 余りにも唐突であった。


 500年という途方もない孤独な年月。そして未だにミラーカのトラウマとなっている『ローラ』という聖少女……。それらの前にローラがミラーカと積み重ねてきた日々は、あっけなく砕け散ってしまう程度の物だったのだ。


 ローラは……500年前の『ローラ』に、あっさりと敗北・・してしまったのだ。勝負にすらならなかった。その事実だけが胸に染み込んでいく。


「ふ……ぐ……ひぐっ……! う、うぅぅぅ……あぁぁぁ……」


「お、おい、ローラ!? ローラ! しっかりしてくれ! ローラ!」


「あああぁぁぁぁ!! うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 セネムが必死にローラに呼び掛けるが、それに答える精神的な余裕もなく、子供のように泣き叫ぶローラの慟哭だけが鳴り響くのであった……

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