File14:セネム・ファラハニ

「終わった、か……。無様な所を見せてしまったな。助けるつもりが助けられた。礼を言わせてくれ」


 シモンズを倒した事を確認した女性が曲刀を下ろして、意外と素直にローラへの感謝を示した。ローラはかぶりを振った。


「お互い様よ。あなたが来てくれなければ、そもそも私達はあのジャーンとかいう奴等に殺されていたんだし」


「……只人でありながら、シャイターンの固有能力を見極め対処する冷静ぶり。やはりあなたは今までにもこうした修羅場を潜り抜けてきたのだな。……本当に興味深いな」


「あ、あの……?」


 女性がその美貌をぐっと近づけて、ローラの事を興味深げに凝視してくる。心の中まで覗き込まれるような澄んだ視線に、ローラは若干どぎまぎした物を感じて落ち着かない気持ちになった。



「命の恩人に名乗らせてくれ。セネム・ファラハニだ。イランのテヘランから、邪悪な霊気を追ってこの街にやって来た。どうかセネムと呼んで欲しい」



「……ロサンゼルス市警のローラ・ギブソンよ。私もローラでいいわ。宜しくね、セネム」


 手を差し出すと女性――セネムは普通に握手に応じてくれた。イスラムのしきたりはよく知らないが、とりあえず握手は問題ないらしい。向こうが合わせてくれたのかも知れないが。


「さて、お互いに情報共有を行う必要がありそうだが、まずは危急の問題・・・・・に対処するとしよう」


「……! そうだ、リンファ……!!」


 セネムの言葉と視線に、ローラは慌ててリンファの元に駆け戻る。彼女の顔からは完全に血の気が引いて、呼吸もどんどん浅くなっている。極めて危険な状態だ。ローラはゾッとした。


「リンファ!? リンファ! 目を開けなさい! 私達、助かったのよ!」


「せ……ぱ……」


「リンファッ!!」


 最早まともに言葉も喋れないのだ。ローラは泣きそうになりながら携帯を取り出した。結界とやらが解けたのなら電話も通じるはずだ。急いで救急車を呼ぼうとするが……



「待て。この傷では今から助けを呼んでも間に合わん。……私に任せてくれ」



「……え?」


 何を言われたのか解らず戸惑うローラに構わず、セネムは床に寝ているリンファの元に屈み込んだ。そして酷い状態のリンファの傷口に手をかざす。


 セネムが目を閉じて瞑想するような様子になると、やがてその身体が淡く発光・・し始めた。


「……!」


 ジャーン達を吹き飛ばしたあの閃光とは違って、もっと優しく温かみを感じる光であった。そして、ローラは目を瞠った。



(セネムの傷が……治っていく!?)



 淡い光に包まれたセネムの身体中に付いていた掠り傷や背中の切り傷が、徐々にだが明らかに小さくなっていくのが分かる。そしてその光はかざした手を伝って、リンファの身体をも包み込んでいく。


 何とも幻想的で神秘的な光景であった。光の膜に覆われたリンファの傷口はやがて……


「あ……あ……き、傷が……」


 まるでゆっくりと時間が巻き戻るかのように内臓が引っ込み、傷口が塞がっていく。セネムはかなり神経を集中させているようで、その額や頬に脂汗が伝う。



 どれほどの時間が過ぎただろうか。10分以上は経った気がする。もしかしたら30分近く掛かったかも知れない。しかしリンファの致命傷は今や殆ど跡形もなく塞がっていた。彼女は今や呼吸も落ち着いて穏やかな表情で眠りについている。セネム自身の傷も完全に癒えて、元の滑らかな肌を取り戻していた。



「…………ふぅ」


 セネムがゆっくりと目を開いた。そしてそのままガクッと崩れ落ちそうになる。


「セネム……!」


 ローラは慌てて彼女を抱き留めるようにして支えた。セネムはちょっと恥ずかしそうに俯く。


「す、すまない。これ・・はかなりの体力と精神力を消耗するのでな……」


「礼を言うのはこっちよ! 信じられない、あの状態からこの子の事を助けてもらえるなんて! こんな力が世の中にはあったのね……」


 ローラはしみじみと呟く。怪物達は勿論、ヴェロニカのような超能力者だっているのだから、こうした神秘的な力が現実にあっても確かに不思議ではないのかも知れない。


「……まあそれほど万能な訳でもない。治せるのは魔力に侵された傷だけだ。普通に銃で撃たれた傷や交通事故の傷などは治せない」


 つまり人外の怪物にやられた傷なら治せるという事か。常に怪物の脅威に晒されているローラからすれば、それだけでも極めて有用な力であった。


 もし彼女ともっと早く出会っていれば、ダリオやジョンも怪物化させる事なく助けられていたかも知れない。一瞬そんな事を考えたが、すぐに頭を振って馬鹿な思考を振り払った。


 たらればに意味はない。全ては運命だったのだ。今更振り返っても栓のない事だ。 


「傷は塞がったが、失われた体力や血液までは完全には戻らん。あなたの相棒には少し安静が必要だろう」


「ええ、そのようね。でも本当にありがとう」


 リンファは死が避けられない致命傷を負っていたのだ。それを考えれば多少の安静などお安い物だ。とりあえず貧血・・という事で病院に連れて行くべきだろう。それなら2、3日の入院で済むし、救急車も使っていないから医療費もそこまでは掛からないはずだ。



 となると、後はセネム自身の事だ。



「……セネム。あなたは今どこかに泊まっているの?」


「実はそれほど潤沢な資金がある訳でもないので、安いモーテルを転々としている」


 若干バツが悪そうに答えるセネム。アメリカは特に大都市ともなればかなり物価が高いので、中東から来た身としては確かに滞在するだけでも大変かも知れない。しかしそういう事情であれば申し出やすい。



「……良かったらこの件が片付くまで私の部屋に泊まらない? 色々聞きたい事もあるし、他にも紹介したい人・・・・・・がいるし。私達は協力し合えると思うの」 



 ミラーカとは寝室を共有・・しているので、客間は空いている。一定期間客人を泊めるのは何ら問題ない。セネムが目を瞬かせる。


「わ、私が……あなたの部屋に……?」


「あ、勿論宗教上の理由とかで出来ないのであれば無理にとは言わないけど」


「い、いや、それは問題ない。元々女一人で国外にまで出向いている時点でかなりの型破りではあるしな。……ほ、本当に良いのか? あなたはクリスチャンだろう? 私は例えあなたの部屋にいても、決まった時間に礼拝をするぞ? 幸いラマダーン(断食の月)は大分先だが……」


「え、ええ、それは大丈夫、と思うわ。個人的には宗教の自由を支持しているし、割とその辺リベラルだと思うわよ?」


 それは本心であった。ムスリムは確か豚肉を食べないと聞いた事があるが、普段は極力節制を心掛けているので問題ないはずだ。


(あと飲酒も駄目だっけ? まあ私がたまに飲む分には大丈夫、でしょ)


 そこまで気にしていては何も出来ない。折角セネムと接触できて、成り行きとはいえある程度の友誼も結ぶ事が出来たのだ。ここで彼女を放す手はない。


「勿論家賃なんかはいらないわ。あなたの持っている情報と、あと事件解決にその力を貸してもらう事が、家賃と生活費代わりだと思ってくれれば良いわ」


 セネムはそれでもしばらく考え込んでいた様子だったが、やがて顔を上げた。



「……で、では、しばらくの間厄介になる。正直懐もかなり心許なくなっていたし、その……助かる。よ、宜しく頼む、ローラ」



 恥ずかしそうに手を差し出すセネム。ローラはホッとして、微笑みながら頷いてその手を取った。


「こちらこそ。これから宜しく頼むわ、セネム」


 二人の女は再び固い握手を交わすのであった…… 

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