File13:『マスター』との対面

 フィリップの後に付いていったローラは、黒っぽい色合いの日本車の前まで連れて来られ、そのまま後部座席に乗るように促された。


 ローラが車に乗り込むとフィリップも運転席に滑り込み、車のドアが閉められる。外からは車内の様子は殆ど見えない作りになっているようだ。


「さ、それじゃこれを着けて下さい」

 そう言ってフィリップが投げ渡したのは、アイマスクと手錠、そして足錠であった。


「あ、手錠は後ろ手でお願いしますね? 後あなたの携帯を一度こっちに渡してもらえますか?」


「くっ……」


 ただでさえ人質を取られて逆らえないというのに、この上自分で自分を拘束しろと言うのか。ローラは屈辱に歯噛みしたが、今は言われた通りにするしかない。ローラは内ポケットから自分のスマホを出してフィリップに渡した。


 そしてまず両足首に足錠を嵌める。鎖に若干のゆとりを持たせてはあるが、それでも脚を肩幅よりやや広い程度にしか開けなくなった。これで走るのは勿論、大股で足早に歩く事さえ出来なくなった。


 次に左手の手首に手錠を嵌めてからアイマスクを装着する。そして両手を後ろに回し、手探りで右の手首にも手錠を掛けた。手錠が嵌る独特の金属音に、ローラは自分の心まで拘束されたような気分になった。いつもの短めのタイトスカートのスーツ姿なのが急に心許なく感じた。



「大変結構。それでは出発しますね」


 ローラがアイマスクと手錠を着け終わったのを確認したフィリップの声だけが聞こえて、同時にエンジン掛かり車が動き出すのが解った。


 そこからどこをどのように走ったのか……目隠しをされているローラにはとうに把握出来なくなっていた。時計も見れないので時間的な感覚も解らない。心理的にはもう何時間もこうしているような気分となっていた。



 だがそんな車中引き回しの時間もようやく終わりを告げた。


「さあ、着きましたよ、ギブソン刑事?」

「……!」


 目的地に到着したらしい。車のエンジンが止まると共に、無言だったフィリップの声が再び聞こえた。尤も着いたと言われても、ローラには目隠しされていて何も見えなかったが。


 フィリップが車を降りる音。そしてローラの横……つまり後部座席のドアが開く音と共に、夜の外気が車内に流れ込む。


「さあ、それじゃ足元に注意して降りて下さいね」


 どうやら目隠しと手錠、足錠を着けたまま降りろという事らしい。抗議しても無駄なのは解っていたので、ローラは唇を噛み締めながら黙って言われた通りにする。


 目隠しで降り口は見えない。後ろ手に手錠を嵌めれているので手探りも出来ない。ローラはヒールを履いた足錠の掛かった不自由な足で慎重に探りながら、モタモタとぎこちなく車を降りた。


「さあ、それでは誘導しますのでしっかり歩いて下さい」

「……っ」


 背後に回ったらしいフィリップに後襟を掴まれ、背中を押されるようにしながらヨロヨロと歩き出すローラ。階段らしき段差を登らされ、フィリップが開けたドアから建物の中と思しき場所に突き入れられた。


 その後も廊下「らしき」場所をしばらく歩かされ、何度か角を曲がったリした先で、再びドアを潜る気配。



「さ、着きましたよ。ここが終点です」



 そこでようやくフィリップがアイマスクのみを外す。足錠と後ろ手の手錠はそのままだ。


「……ッ!」


 遮光性の目隠しから解放されたローラは一瞬眩しさに目を細めた。だが目が慣れてくるとそこは到底明るいなどとは言えない、蝋燭の灯りのみで照らされた妖しく薄暗い室内であった。


 そんな室内で最初に目に付いたのは、立っているローラの周りで床に平伏するように傅いている大勢の人々だ。20人以上はいる。年齢や人種は様々だが全員男性のようだ。皆無言で傅いていた。


「な……!?」


 ローラはその中に、指名手配となっているエディ・ホーソンの姿がある事を認識して愕然となった。やはりフィリップ達と繋がっていたのだ。


「彼等は只の〈信徒〉ですよ。さあ、こちらへ」


 フィリップに促されて、ローラは〈信徒〉の群れを抜ける。その先は少し高い段差になっていて、真ん中にこちら向きに豪華な椅子が置かれていた。『マスター』とやらの席だろうか。だが誰も座っていない。しかしそんな事はローラにはどうでも良かった。


「……ヴェロニカ!?」


 その高台の隅の方に、スマホの画面越しにも見た十字架が設置されており、そこにローラ自身を除けばこの場で唯一の女性であるヴェロニカが、相変わらず水着姿のまま磔にされていた。


 ローラの声に反応しない。ぐったりと首を垂れさせて俯いている。一瞬青ざめたローラだが、よく見ると胸は上下しているので、どうやら意識を失っているだけらしい。



「大事な人質だ。あんたさえ余計な真似をしなければ殺しはしないから安心しろ」



 ヴェロニカを見張るようにその脇に控えている男……カルロスが、そう釘を刺してきた。ローラはカルロスを睨む。それしか出来なかった。カルロスがローラの視線を受けてふっと笑った。


「ふふ、折角だ。感動のご対面をさせてやろうか。ヴェロニカも何故自分が巻き込まれたのか、そろそろ知りたいだろうしな」


「……?」


 カルロスがヴェロニカの事を気安く呼び捨てにしたのが何故か耳に残った。知り合いなのだろうか? 以前の大学での調査時にはそんな情報は出てこなかった。出てきていたら間違いなく彼女に事前に警告出来ていたはずだ。


「さあ、ヴェロニカ。お寝んねの時間は終わりだ。お前の為にお友達が来てくれたぞ?」


 カルロスがそう言ってヴェロニカの耳元で指をパチンと鳴らす。すると……


「ん……ん……」


 テープに塞がれた口から呻き声が漏れ、ヴェロニカの身体が身じろぎする。そしてゆっくりと目を開けたかと思うと……


「んん!? んんーーっ!!」


 磔にされた自分の状態と周囲の景色で即座に状況を思い出したらしく、ガバッと顔を上げて激しく身悶えする。しかしその手足を拘束する砂の枷は見た目とは裏腹に頑丈らしく、ヴェロニカに出来たのは僅かな身じろぎだけであった。


「ヴェロニカ、大丈夫!? ヴェロニカ!」


「……ッ!? んん、んんーーー!!」


 ローラの声でその存在に気付いたらしく、ヴェロニカがこちらを見ながらその目が驚愕に見開かれる。懸命に何かを喋ろうとするが、口に貼られたテープが無情にもそれを遮る。


「ご、ごめんなさい、ヴェロニカ。あなたが攫われたのは、私のせいみたいなの……」

「……ッ!?」


 彼女を人質にローラを脅迫しているのだからそれは間違いないだろう。ローラは巻き込んでしまったという自責の念に苛まれる。


 その時……



「……ふむ。お主がローラなる女か。ダンカンの記憶では知っていたが……直に見ると、何やら不思議と惹き付けられる物を感じるな」



「ッ!?」


 全く唐突に聞き慣れない男の声が間近で聞こえた。ローラもまた驚愕して弾かれたように声がした方を振り返る。そして目を瞠った。


 高台の中央に置かれた豪華な椅子……。たった今まで間違いなく無人だったはずのその席に、いつの間にか1人の男が腰掛けていた。


 見た目はローラと同年代くらいの非常に整った容貌の男だ。アラブ系とアフリカ系が混じったような北アフリカ人特有の容姿である。


 そしてその「玉座」に傅くようにやはりいつの間に現れたのか、体格の良いアフリカ系の青年の姿もあった。写真で見た顔……ジェイソン・ロックウェルだ。


 失踪した学生の内、3人までがこの場に居た。パトリックの姿だけが見えないが……



 ローラは直感した。いや、今の言動やジェイソンの態度、何よりこの椅子に座っている事からして間違いない。


「あ、あなた……あなたが、『マスター』……?」


「いかにも。だがお前達にまでその呼び方を強要はせん。呼びたければメネスと呼ぶがいい」


「メ、メネス……」


 それがこの『マスター』の名だろうか。ローラはゴクッと喉を鳴らした。


「あ、あなたが……『バイツァ・ダスト』……。 ヴァンサント州議員を殺害したのもあなたね……?」 


 状況からして間違いないはずだ。メネスは肩を震わせた。笑っているようだ。


「この状況でまず聞く事がそれか。大した女だ。いや、職務に忠実と言うべきか……」


 ひとしきり肩を震わせると、メネスは笑いを収めた。


「いかにも、それは余が行った事だ。今お主が言ったように、巷で騒がれている『バイツァ・ダスト』とやらは、余自身を指しているという事になるな」


「……!!」


 『バイツァ・ダスト』……つまり正真正銘の真犯人が目の前にいて、自らの犯行を認めていた。だがそれを聞いたというのに今のローラにはメネスを逮捕する手段がなく、逆に自身がヴェロニカ共々囚われの身になってしまっているのだ。悔しさに歯噛みする。

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