File3:遭遇

「ふぅ……結構飲んじゃったわね……」


 あれから何だかんだで盛り上がり、お開きになった頃にはすっかり夜も更けていた。ヴェロニカはクレアが送ってくれるとの事で、2人でタクシーに乗って帰って行った。


 ローラはミラーカと連れ立って徒歩で帰宅していた。ローラのアパートはここからそこまで遠くない事もあって、夜風に当たって酔いを醒ましながら帰ろうという事になったのである。



 人通りの少ない裏道を通っていけば2、30分程度という所である。夜中の裏路地ともなれば本来女2人で歩くような場所ではないが、何と言ってもミラーカがいるので安心だ。ローラも酔ってはいるがそこらの暴漢程度なら遅れを取るつもりはない。


 ミラーカの方は血液を操る吸血鬼の特性か、血中に混じったアルコールを自在に制御できるようである。飲めば酔えるが、自分の意思で素面に戻る事も自在なのである。今は夜道を歩いているという事もあって素面に戻っているようだ。半分千鳥足のローラを、苦笑して支えながら歩いていた。


「大丈夫? 明日の仕事に差し支えないようにね?」


「ありがとう、ミラーカ。大丈夫よ。今の所そう大きな事件も無くて割と暇してるから。ま、刑事が暇なのは良い事なんだけどね」


 『サッカー』から続いた一連の凶悪事件の影響もあってか、今ロサンゼルスでは凶悪犯罪の類いは鳴りを潜めていた。警察もまだまだ事件の影響から気を張っていたし、一般・・の犯罪者自体がこの街を敬遠しているかのようであった。


 勿論軽犯罪や窃盗、強盗、暴行といった犯罪の類いは日々起こっているが、それはどこの大都市でも同じ事である。凶悪殺人事件という観点では、今ロサンゼルスは異例の平穏・・を享受していた。



 だがそれだけにやはり先刻のクレアの話が気に掛かった。 



「ミラーカ、どう思う? クレアのあの話……」


 ミラーカはローラの目が真剣なのを見て取って、自身も真面目な表情になる。


「そう、ね……。実はこの所、あの『ルーガルー』や『ディープ・ワン』の時にも感じた『陰の気』とでも言うのかしら? とにかくそういう嫌な感じの気の高まりを感じていたのよ。気のせいかと思おうとしていたけど、クレアの話を聞く限り楽観は出来ないわね」


 そう言ってミラーカは首を横に振る。


「そうね。でも、マイヤーズ警部補やダリオの時とは違う。もし新たな怪物が出現しているのだとしても、積極的に私を狙ってくる理由はないはず。勿論ミラーカの事もね」


 無論そんな怪物が近郊に潜伏しているのだとしたら由々しき事態であり、大きな被害も予想されるので早急に対策を講じるべきだとは思うが、少なくとも自分達が直接そのターゲットになっているかどうかは精神的に大きな違いだ。


 またミラーカやダリオの時のように、こちらから積極的に関わっていかなくてはならない動機も無い。


 であるならば対処するにしても、今までとは違って第三者的な立場で、もっと余裕を持っての対処が可能なはずだ。そう思っての発言だったのだが、ミラーカは難しい顔を崩さない。


「そう、ね……。そうだと良いのだけど……」


「え……な、何よ? 何か気になる事でも……?」


「ごめんなさい。余り不安にさせるような事は言いたくないのだけれど……あの『黒幕』の事が引っ掛かるのよ」


「あ……」


 言われてローラも思い出した。といってもローラはあくまでミラーカから聞いただけで、実際にその『黒幕』と思しき存在を直接見た訳では無いが。ただ勿論ミラーカが嘘を言っているとは思わない。


「死神、のような奴だっけ……?」


「ええ……私にサンタカタリナ島の事を教えてきた。奴は明らかに私達を認識している」


「で、でも、そいつ本当に『黒幕』なの? 私達を助けるような事教えるって変じゃない?」


 むしろ逆にミラーカを妨害したり殺そうとしたりしてくるのが普通ではないだろうか。ミラーカがかぶりを振る。


「それは私も気になる所だけど……でも奴の『陰の気』は尋常じゃなかった。奴自身が『黒幕』ではないとしても、絶対に『黒幕』と何らかの関わりがある存在に間違いないわ」


「…………」 


「そしてあんな存在が暗躍しているのだとしたら、このままただ平穏無事には済まない……。そんな予感がするのよ」


 ミラーカの「予感」は殆ど外れる事が無い。ローラの喉がゴクッと鳴る。


「き、きっと今回ばかりはその予感も――――」




 ――夜の路地裏に女性の甲高い悲鳴が轟いた。




「――ッ!?」


 余りにも狙ったようなタイミングに一瞬2人の身体が硬直する。が、そこは現職の刑事と人外の吸血鬼。すぐさま頭を切り替えると、ローラは携帯している銃を取り出して先行したミラーカに追随して、悲鳴が聞こえた方向に駆け向かう。



 そして『ソレ』を見た。



 シャッターの閉まった営業しているのかどうかも定かでないテナントが並ぶ裏通り。小さな公園があり頼りない街灯が辺りを照らしている。


 その街灯の明かりを半ば覆い尽すような形でうずくまっている、何か巨大な『モノ』……。まず目に飛び込んできたのは、まるで恐ろしく巨大な猛禽類の翼のような物体だった。


「な…………」


 先刻クレアから聞いていた特徴が一気に思い出される。


(え……まさか、嘘でしょ!?)


 一瞬呆然となりかけたが、その物体のすぐ脇に胴体と喉元を何かに引き裂かれたようにズタズタにした男性の死体が転がっているのが目に入り、正気を取り戻す。


「う、動くな! 警察よっ!」


 咄嗟に銃を構えて警告を発するローラだが、果たして警告それが意味を為すような相手なのだろうか。『ソレ』が振り返った・・・・・


「……ッ!」


 最初に目に入ったのは『ソレ』の顔……。それは鷲のような猛禽類と人間を掛け合わせたような奇怪な貌であった。大きく突き出たくちばしと顔中に生える羽毛、そしてその鋭い目付きはまさに猛禽類の特徴であったが、頭の形そのものは人間に近い平面的な形状をしている。


 『ソレ』が完全に身を起こしてこちらに向き直った。大きさは……目算で8フィート以上あるだろうか。その大きな身体も頭と同じように鳥の羽毛に覆われていた。ただし脛から下と前腕から先は羽毛が無く、黄色っぽいやはり猛禽類の足のような形状の鉤爪が付いた四肢が備わっていた。



 ――それはまさに『鳥人間』としか言いようのない外見をしていた。ローラは唐突に、昔観た「鳥獣の館」という映画を思い出した。



「ローラ、あそこ……!」

「……!」



 ミラーカの指し示す先には、その『鳥人間』の足に囚われた……女性の姿。先程の悲鳴の主に違いあるまい。大きな鉤爪の生えた鳥の足で、胴体を文字通り鷲掴みにされていた。外傷は見当たらないが気を失っているようで、グッタリとされるがままであった。


「その人を離しなさいっ!」


 警告が通じる相手ではないと判断して、ローラは躊躇わずに『鳥人間』に向かって発砲した。だが案の定というか、『鳥人間』は僅かに身じろぎしただけで、何ら致命傷を受けた様子はない。だが多少の痛痒は感じたのか、威嚇するようにその翼を大きく広げた。


「……ッ!」


 その翼長は優に『鳥人間』の体長以上……15、6フィートはあろうかという程で、街灯の明かりを覆い尽し、ローラの視界を一時的に闇に包み込んだ。


「ローラッ!」


 ミラーカが横からローラを抱きかかえて、そのまま跳ぶ。ミラーカの力に引っ張られてローラも横跳びに倒れ込む。


「ミラーカ!? 何を……」


 身体を起こしてミラーカの方を見たローラは驚愕する事になる。さっきまでローラが立っていた場所の後ろにあった交通標識が柄の部分でスッパリと切断されていたのだ。


 ローラは、クラウスの連れていた鼠タイプの『実験体』が輪切りになっていたという話を思い出してゾッとした。ミラーカが助けてくれなければ今頃自分の胴体は、あの標識のように綺麗に切断されていた事だろう。


「ギッ……?」


 一方謎の攻撃手段で反撃した『鳥人間』は、今初めてローラ達の事をまともに認識した様子で、2人の事をまじまじと見つめてきた。


 その人外の視線に射竦められローラは何故か肌が粟立つのを感じた。それは殺気や怒気とは全く異なる……妙にネットリとした視線であったのだ。


「ローラ、下がっていて」


 ミラーカが立ち上がってローラを庇うように前に出る。今の彼女は刀も持っていない無手の状態だ。それであの化け物に立ち向かうのは無謀が過ぎるだろう。


「ミラーカ! 駄目――」


 咄嗟に制止しようとするローラだが、その時彼女の撃った銃声や標識が派手に倒れる音が周辺の人の注意を惹いたのか、複数の人間の足音や騒めき声が近付いてくるのが解った。そしてそれはローラ達だけでなく『鳥人間』も気付いたようだ。


 ギエェェ! と奇怪な鳴き声を上げると、翼を大きくはためかせて空中へと飛び上がる。……その足に気を失った女性を掴んだまま。


「く……!」


 ローラは起き上がって銃を構えるが、この距離でしかも動いている標的では、下手すると誤って女性に当たってしまうかも知れない。そう思うと引き金を引く事が出来なかった。


 その間にも『鳥人間』はどんどん上昇していき、やがて合間に建っている建物の高さを越えると、そのまま方向を変えて北の方角に飛び去って行った。


 駆け付けて来た人々の中には、巨大な何かが飛び去って行くのを見た者もいて、空を指差して怒鳴っていた。またそれ以外の人はこの裏路地の惨状と、転がっている男性の死体を見て悲鳴を上げたり、慌てて警察に電話したりしていた。



 俄かに騒がしくなってきた裏路地で、その喧騒をどこか遠くに聴きながら、ローラはまたもや自分の前に現れた人外の怪物の存在に激しく動揺していた。しかもあの怪物は明らかにローラに興味を抱いた節があった。


「ローラ、大丈夫!? 顔が真っ青よ!?」

「ミ、ミラーカ……」


 ローラは泣きそうな顔と声で、駆け寄ってきた恋人の顔を見る。また……新たなる悪夢がローラを闇の世界へと引きずり込もうとしていた…… 

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