File13:不条理で下らないもの

「貴様……何者だ。何故私の事を知っている? クラウスから辿ったのか?」


 老人――エルンストがこちらを探るように窺ってくる。


「ふふ、さっき私がしたのと同じ質問ね? 私の友人・・・・があなたの事を知っていたのよ。あなたが若い頃に会った事もあると言っていたわ」


「私に会っただと? それも若い頃に? つまらんハッタリはよせ。私の実年齢は98だぞ。貴様が友人と呼べるような相手が、まだ生まれてもおらん頃だろう」


「私は嘘は言っていないわ。だからあなたの名前も、そしてあなたが第二次大戦中、ナチスで海洋型生物兵器の開発に携わっていたという事も知ってるのよ」


「……ッ!」


 いよいよエルンストの目が険しくなる。クラウスは不安に駆られたように身体をそわそわさせる。エルンストがローラの顎を掴む。


「貴様……! 言えっ! 貴様の友人とは誰だ! かつての連合国側の人間か!? それとも帝国の裏切り者の類いか!」


「ぐ……! 私達を……解放しなさい! そしてダリオを元に戻す方法を教えなさい! そうすれば私も教えるわ……」


「……!?」


 ダリオを元に戻すという言葉に、未だ口を塞がれたままのヴェロニカが目を見開く。エルンストが増々力を込めてくる。


「貴様……取引できる立場だと思っているのか!?」


「ッ! わ、私達が戻らなければ、その友人が必ずあなた達を突き止めるわ。彼女・・は誰にも止められない。あなた達に待つのは確実な破滅だけよ……!」


「…………」


 エルンストが急に手を離した。ローラは咳き込みながら涙の滲んだ目でエルンストを見上げる。


「……『完成体』は既に遺伝子レベルで改造されている。元に戻す事は不可能だ。と言うより、最初から元に戻すなどという選択肢を想定していない」


「な……!」


 ローラは絶句する。それでは仮に事件を無事に解決できたとしても、ダリオはもう……


 急速に猛烈な怒りが沸き上がってきた。


「何故……! 何故ダリオを!? 何故こんな事が出来るの!? あなた達こそ人間じゃない! 悪魔そのものよっ!!」


「何とでも言うがいい。栄光ある第三帝国が、目先の利益と安っぽい正義感を振りかざす俗物の連合軍共に踏みにじられたあの日から、既に人間である事など辞めている。貴様の同僚を選んだのは単に条件に合致していたからに過ぎん」


「じょ、条件?」


「そうだ。『完成体』には自律型兵器として軍事的状況判断能力が求められる。だが一からそれを教育するのは手間がかかる。だから素体の能力や経験などを引き継げるようにしたのだ。その為本来なら職業軍人が最も理想だが、いなければ警察官でも構わん。そしてこの被検体は重傷を負って意識不明の重体に陥っており、輸液を通して『完成品』を投与しやすい理想的な環境下にあったのだ」


「……!」


 意識不明の重体……。ローラはあの『ルーガルー』の襲撃を思い出した。まさかあの事件がこのような形で尾を引くとは、全く予想だに出来なかった事だ。


「こんな……こんな『モノ』を作って、一体何をしようと言うの?」


「こやつは『完成体』であると同時に『実験体』でもある。その肉体的、知性的なスペックを計る為の……そして兵器としての戦闘能力・・・・を計る為のな……!」 


「な……そ、それじゃあのアナハイム湾での作戦では……」


「勿論、遠隔から観察させて貰っていたさ。あれは極めて有用な実地データの収集に役立った。お陰でこの兵器を量産・・する目途が付いた」


「りょ、量産ですって……!? そんな事をして唯で済むと思ってるの!? 一体あなたの目的は何なの!?」


「目的……?」


 エルンストはニィッと口の端を吊り上げた。その表情を見たローラは全てを悟った。


「それは勿論、第三帝国の最後の作戦を完遂させる事だよ。私の作り出した最強の兵器群が連合の艦隊を残らず駆逐するのだ! その時こそ連合は……世界は、第三帝国の偉大さを思い知るだろう!」


「あ、あなたは……!」

(狂ってる……)


 この老人の中ではまだ戦争は終わっていないのだ。ただナチスに与えられた命令を遂行し、『連合軍』に損害を与える事だけを目的としている。そこに最早正常な理屈の入る余地は無かった。


 だが只の老人の狂気であれば精神病院に入れれば済む話だが、目の前にはその妄執の形ある産物・・が存在していた。


 『ディープ・ワン』。人間を遥かに超える能力を持った怪物。海洋を自在に泳ぎ回り致死毒を操り、武装した警官隊を苦も無く全滅させた生物兵器……。


 これを実際に作り出してしまっているのだ。狂った老人の妄執だと放置すれば実際に数多くの『ディープ・ワン』が誕生してしまう危険がある。既に『実験』には成功しているのだから。


 そしてこんな怪物が多数生み出された日には一体どれだけの人間が犠牲になるか、ローラは考える事すら恐ろしかった。


 後ろではクラウスがウェッと吐き気を催すようなジェスチャーをしていた。祖父の妄執を皮肉っているのだ。それはつまりクラウスもエルンストの『目的』を知っていながら協力しているという事だ。クラウスを煽る手は使えそうにない。



「さあ、私の事はいい。それよりもお前達だ。『完成体』がお前達を殺さずに生かして連れて帰ってきたのは何故だ? お前は『完成体』の元となった素体と同僚だそうだな? ならそっちのお前はどうだ? 何故同僚だけでなく、お前も殺さなかった? それに先程クラウスがお前達にやんちゃ・・・・をした際に、『完成体』が反抗的な態度を取って制止しようとした……。何故だ? 素体の記憶や感情が表に出てきているとすれば、兵器としての運用に支障が出るな」



 エルンストは思案するような顔で、ヴェロニカの口を塞いでいるテープも剥がす。ヴェロニカが大きく息を吐く。そして信じられない物を見るような目で、エルンストと『ディープ・ワン』を見比べた。


「ほ、本当に……本当に、その……怪物が、彼……ロドリゲス刑事なんですか?」


「確かそういう名前だったな。そのロドリゲス刑事とお前はどういう関係だったのだ?」


「こ、高校生の時に助けてもらって……それからも色々と相談に乗ってもらったりしていたんです……。こ、こんな……こんなの酷すぎる……!」


 ヴェロニカは悲しみと苦しみに満ちた声で嗚咽を漏らす。ローラには彼女の気持ちが痛い程に良く解った。同時にこの余りにも理不尽な仕打ちに対する怒りが再燃する。だがエルンストはそんな女性達の感情など意に介さずに、科学者の顔で冷静に分析している。


「ふむ……単に顔見知りというだけではなさそうだな。クラウス、どう思う?」


「ははは、お祖父様、結論は明白ですよ。『完成体』はこの女共に特別・・な感情を抱いていたんでしょう。単に殺さないだけじゃなく、こうして連れて帰ってきてしまうくらいですから、相当のお気に入りだったんでしょう。こんな美女、それも2人同時とか、化け物の癖に随分欲張りな奴ですよねぇ」


「……!」


 クラウスの下卑た笑い。しかしローラはその言葉の内容こそが気になった。


(特別な感情……? ダリオが、私に……!?)


「ふむ、恋愛感情という奴か。不条理な感情だが、それ故に不確定要素になり得るという訳か。……全く下らん。そのような取るにも足らん些事で私の計画に支障が出る事などあってはならん事だ。素体の記憶を司る海馬の部分を塗り潰せるように改良を加えるべきか――」



「――ふざけんじゃないわよ、クソジジイ」

「……何?」



 エルンストがまるで空耳であるかのように聞き返してきた。だが断じて空耳などではない。それはローラ自身の口から発せられた言葉であるのだから。


「不条理? 下らないですって? あんたの狂った妄想の方が何万倍も下らないわよ。人間はねぇ、1人じゃ生きていけないのよ。誰かを恋する、好きになるって感情は人間にとってなくてはならない物なのよ。新しいものを生み出せる素晴らしい感情なのよ! それに比べてあんたがやってる事は何? ただ人を理不尽に傷つけて悲しませて……あんたこそ全く価値のないゴミ同然の人間よ」


「貴様……今何と言った?」


「あら、頭だけじゃなく、耳にもカビが生えてるのかしら? とっくに終わった戦争ととっくに滅んだ古巣に未だに縛られて、哀れな妄想に浸って自分を慰めてるボケ老人がゴミ同然なのは当たり前でしょう? いや、ただ妄想だけしてれば良かったのに、無駄に行動力を発揮してこうして人様に迷惑を掛けている分、ゴミ以下って所かしら?」


「……黙れ」


「あんたに人の事を下らないとか言える価値なんて一切無いのよ。何故ならあんたこそがこの世で一番下らなくて無価値な人間なのだから……!」


「黙れぇぇぇっ!!」


 エルンストは寝台に横たわったままのローラの頬を強打した。ローラは唇が切れて血が滴るが、全く怯まずに真っ直ぐエルンストを睨みつける。



「小娘の分際で、私を下に見る気か! 許さん。断じて許さん!」


「お、お祖父様……」


 荒い息を吐いて激昂するエルンストを孫のクラウスが唖然として見つめている。エルンストが血走った目で『ディープ・ワン』を見る。


「いいだろう! そこまで言うのなら、その恋だか愛だかを証明してみせろ! 『完成体』よ、この女共を好きなようにしろ! お前の内に秘めた欲望を余さずぶつけるがいい!」


 エルンストの叫ぶような命令を受けて、『ディープ・ワン』がのっそりと近づいてくる。寝台に手足を縛られているローラ達は抵抗は愚か、逃げる事も出来ない。


「ひ……ロ、ローラさん……!」


「ヴェロニカ、気をしっかり持つのよ。彼が……あくまでダリオだと言う事・・・・・・・・を忘れないで」


「……!」


 ヴェロニカがハッとして息を呑む。そう。怪物『ディープ・ワン』だと思うから、恐ろしくおぞましいのだ。あくまでダリオだと考えれば恐ろしさはない。 



「ダリオ、聞いて。私よ。あなたの相棒のローラよ。ねぇ、私達職場では色々あったけど、最終的には上手くやれてた。そうでしょ?」


 ローラが『ディープ・ワン』から目線を逸らさずに落ち着いた口調で問いかけると、こちらに手を伸ばそうとしていた『ディープ・ワン』の動きが僅かに鈍る。


「あなたは以前ヴラド達に攫われた私を助けにきてくれたでしょう? それにあのマコーミック邸であなたは私の事を認めてると言ってくれた。忘れたの?」


 『ディープ・ワン』の手が止まる。ローラは更に言葉を重ねる。


「あなたはいつも自分は強い人間だと周りに言っていたじゃない。そして実際にあなたは強いわ。私はそれを知っている。あなたが私を認めてくれていたように、実は私もあなたの『強さ』に一目置いていたのよ」


「そ、そうです! ロドリゲス刑事……いえ、ダリオさん! あなたはどん底にいた私を救ってくれた。私……私は不器用だけど、とても強くて優しいあなたに惹かれていたんです! お願いです。目を覚まして下さい!」


 ヴェロニカも懸命に訴える。『ディープ・ワン』が己の両手を見て、それから何か苦しむように頭を抱えるような仕草を取る。



「ダリオ! 思い出すのよ!」「ダリオさん……!」



 2人の女の決死の説得はしかし――



「『完成体』よ、もういい。その2人を殺せ」

「……!」



 ――『創造主』の一言によって容易く覆された。



 『ディープ・ワン』はその命令に顔を上げてローラ達を見る。その目には先程までは無かった「殺気」が漲っているのが解った。


「な……ひ、卑怯よ! ダリオには確実に私達の言葉が届いていた! それを……」


「ふん……それも結局私の命令一つで覆る程度の物だったようだな。これ以上は時間の無駄だ。お前達のような『不確定要素』は排除しておくに限る」


「く……!」


 ローラは唇を噛み締める。エルンストがローラ達を脅威に感じているのは明らかだ。でなければ『不確定要素』などという言い方はしない。『ディープ・ワン』に影響を及ぼされる前に殺してしまおうと考えたのだ。


 『ディープ・ワン』の手がローラ達に向けられる。その動きには先程のような迷いは見受けられない。ローラは息を呑む。


(だ、駄目……もう……!)


 ローラは絶望の余り、思わずギュッと目を瞑る。




 ――ビシュッ!! 




 何かが突き刺さる音。それは……『ディープ・ワン』の毒針の音ではなかった・・・・


「何……!?」


 エルンストの驚くような声にローラは目を開ける。こちらに向けていた『ディープ・ワン』の手の甲に……ナイフが突き刺さっていた。



「ふぅ……間一髪という所かしら。本当に……毎度毎度、退屈しない事だけは確かね」


 その聞き慣れた声は、ここで聞くとは全く予想だにしていなかった声……。


「あ……う、嘘……。ミ、ミラーカ……? 何で……どうやってここに……?」


「色々あったのよ。ここから無事に生きて戻れたら説明するわ。まずはこの状況を何とかするわよ?」



 見慣れた美しい姿。既に例のボンテージファッションで刀を抜き放って臨戦態勢の……それは紛れもなくローラの恋人、ミラーカの姿であった!

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