File19:ワルプルギスの夜

「がふっ……!」


 カーミラはこれで今日何度目になるか解らない、声にならない呻き声を上げて廃材の山に背中から激突する。苦痛を堪えて強引に身体を起こす。その瞬間には既にカーミラの眼前に『ルーガルー』の巨体が迫っていた。


「く……!」


 突き出される拳を間一髪で横に逸れて躱す。だが体勢を立て直す暇もなく、『ルーガルー』から追撃がくる。それをまた辛うじて躱す。


 傍から見ると一見互角に戦っているように見えたかも知れないがとんでもない。カーミラにはこの化け物の攻撃をいなす事だけで精一杯の状態であった。まともに攻撃が出来たのは、こちらから斬りかかった最初の一撃だけだ。それすら何らダメージを与えられなかった。



(本当にヴラドに匹敵する化け物だわ。こんな奴が今まで誰にも知られずに野に埋もれていたなんて……!)



 500年もの悠久の時の中ですっかり達観した心持ちになっていた過去の自分の姿に、恥ずかしさで顔から火が出る思いだった。そんな事を考えていたからだろうか、『ルーガルー』の一撃を再び躱し損ねて、振り回された腕に弾き飛ばされてしまう。


「ぐぅ……!」


 再び廃材の山に突っ込むカーミラだが、今度はただ叩き付けられただけでは無かった。折れ曲がった金属パイプのような廃材が、丁度カーミラの腹部を貫通して、彼女をその場に縫い止めたのである!



(し、しまった……!)



 焦るカーミラだが、焦れば焦る程上手く抜けなくなる。『ルーガルー』の口の端が残忍に吊り上がる。飛び掛かって追撃してくる事をやめて、ヒタヒタと歩いて近付いてくる。凶悪な鉤爪を見せつけるかのように掲げる。



(く、だ、駄目……このままじゃ……!)



 カーミラが思わず絶望し掛けた時だった。





 小さな影が『ルーガルー』の肩口に覆い被さった。そして……





「グッ!? グガァァッ!!」



 『ルーガルー』が身体を振り回してその小さな影を追い払う。小さな影は空中でクルッと一回転して器用に着地する。



「あ、あれは……」



 カーミラは思わず目を剥く。その小さな影は……半人半獣の少女・・・・・・・だった。



「……ジェシカ?」



 そう。その獣人は先程『ルーガルー』の凶刃に倒れたはずのジェシカ・マイヤーズの面影を残していた。四肢や背中には茶色っぽい色の体毛が生え揃い、手足の先には鉤爪が備わっている。顔や胴体部分は体毛が薄く胸の膨らみも視認できる為、少女である事が解ったのだ。


 顔も父親のように完全なオオカミのそれではなく、やや人間の面影を残した形状となっており、それでジェシカ本人だと解った。だがその人間とは異なる瞳、そして口から生え出る牙は、彼女が紛れもない狼少女である事を主張していた。


 体格は元のジェシカとそれ程変わっておらず、『ルーガルー』の巨体と比べると文字通り大人と子供程の差があった。



「グゥウウウゥゥゥッ!」



 だがその目は凄まじい闘志に燃えており、全く怯む事無く『ルーガルー』を威嚇していた。よく見るとその口元は血に染まっている。『ルーガルー』の肩口には食いちぎられたような跡が……。あの覆い被さった一瞬で狼少女――ジェシカが食いちぎったのだ。戦闘形態となったカーミラの攻撃すら弾かれたあの肉体に牙を突き立て負傷させたのだ。


 『ルーガルー』の目も怒りに燃え上がる。お返しに威嚇の咆哮を放つと、ジェシカの方へと飛び掛かった。呪われた狼の血を受け継ぐ親子の対決が始まった。




 ジェシカは身体が小さい分小回りは効くようで、素早い動きで『ルーガルー』を翻弄していたが、獣人化しての「実戦経験」は無いようで、その動きはまるきり獣のそれであり、本能に任せての動きのようだ。


 その為次第に『ルーガルー』がその動きに慣れて対応してくるようになった。飛びかかったジェシカの動きに合わせて剛腕が唸る。


「あっ……!」


 誰かの発した叫び。『ルーガルー』のなぎ払いがジェシカを直撃し、彼女の小さな身体はバッターに打たれたベースボールの球のように高速で吹き飛ばされた。派手な破砕音と共にジェシカが後方にあった廃車に打ち付けられる。


「グ……グゥゥゥ……!」


 ジェシカは痛みに呻きながらも何とか身体を起こす。だがダメージは大きいようで身体がふらついている。このままでは確実にジェシカは負ける。やはり『ルーガルー』の力は強大であった。


 クレアが必死に援護射撃を継続しているが、『ルーガルー』は意にも介していない。まずはジェシカを……自分の娘を始末するつもりなのだ。


「く……!」


 それを悟ったカーミラは必死に自分の胴体に突き刺さった金属片を抜こうとするが、足が地に着いていない事もあって中々上手くいかない。



「ミラーカッ!」



 と、そこにローラが駆け付けてきた。



「ロ、ローラ……悪いけど、合図に合わせて私の手を全力で引っ張って貰えるかしら?」


「……! 解ったわ!」



 それだけで伝わった。彼女は正面からカーミラの両手を握る。そして両足をしっかりと踏みしめて踏ん張る姿勢を取る。 



「今よっ!」

「う、おおぉぉぉっ!」



 ローラがその可憐な唇に似つかわしくない雄叫びを上げて、全力でカーミラを引っ張る。それに合わせてカーミラの方も反動を利用して一気に身体を前に押し出す。そして……



「抜、けたぁっ!」



 タイミングを合わせて一気に力を加える事で、見事身体を引き抜く事が出来た。ローラは勢い余って尻餅をつく。カーミラもダメージで膝を着くが、余り悠長にしている余裕も無い。



「ローラ、ありがとう。助かったわ」



 言いながらカーミラは、ローラの唇に自分の唇を重ね合わせた。すぐに離すとローラが目を丸くして呆然とした表情になっていた。


 随分味気ない物になってしまった2人のファーストキスだが、至近距離にローラの顔があった為つい衝動的にやってしまった。


 一瞬だけだったとは言え、カーミラの全身にまるで電撃が走ったような感覚が突き抜けた。ただのライトキスに過ぎないと言うのに、カーミラは全身に活力が漲るような心持ちであった。



(全く、この私とした事が、まるで初心な人間に戻ったかのようね)



 自らに苦笑するしかないカーミラであった。このまま第二ラウンド・・・・・・に突入したい衝動に駆られるが今はそんな場合ではない。



「すぐに終わらせてくるわ。ちょっとだけ待っててね」


「……! 解った。信じてる」



 ローラはコクッと頷いた。カーミラは名残惜しさを感じながらも、再び刀を構えて戦場に舞い戻った。





 『ルーガルー』がジェシカを一方的に追い詰めていた。小さな身体で必死に立ち回るジェシカだが、遂に『ルーガルー』の剛腕が彼女を捕捉した。巨大な手がジェシカの首元を掴み、彼女を宙高く吊り上げてしまう。ジェシカは必死で足をバタつかせるが虚しく宙を掻くだけだった。最早一刻の猶予も無い。



「リチャードォォォッ!!」



 カーミラは翼をはためかせて加速しながら、刀を水平に構える。狙うは一点のみ。『ルーガルー』の注意をジェシカから逸らせる必要があった為に大声を出さざるを得なかった。


 『ルーガルー』がカーミラの方を振り返る。空いている左腕が持ち上がる。このままではまたゴルフ場の攻防の繰り返しになるだけだ。だがあの時の状況とは決定的に違う点が一つだけあった。それは……


「ガウゥゥゥッ!!」

「グガッ!?」


 『ルーガルー』に吊り上げられていたジェシカが、最後の力を振り絞って自分を掴んでいる巨大な手に牙を突き立てる。無視できない痛みに『ルーガルー』の意識が一瞬ジェシカに戻る。


 相手がジェシカだけならその儚い抵抗には何の意味も無かっただろう。また相手がカーミラだけならゴルフ場の時のように防がれていただろう。


 だがその一瞬の意識の逸れは、全神経を集中させて必殺の一撃を狙うカーミラに対しては致命的な隙となった。カーミラの刀が『ルーガルー』の無防備な喉元に食い込む!



「グッ……ゲェェェッ!」

「終、われぇぇぇぇぇぇっ!!!」 



 渾身の力を込めて刀を振り抜く! 『ルーガルー』は怒り狂ってカーミラを振り払おうとした。だがその時、何故か『ルーガルー』の身体が不自然にビクンッと跳ねて硬直した。



(今のはっ!?)



 一瞬疑問が浮かんだが考えている暇はない。鋭利な刃は「ルーガルー』が硬直した隙を逃さず丁度筋肉の装甲が薄い部分を貫き、遂に首を通り過ぎて反対側へと飛び出た。



「…………」



 静寂。誰も、何も言わない、一瞬の間隙がその場を支配した。



 ジェシカを掴み上げていた『ルーガルー』の手から力が抜ける。ジェシカが地面に落ちて尻餅をつく。そして、『ルーガルー』のオオカミの頭がゆっくりと身体からズレていき、地面に落下した。


 ズズゥン……! という地響きを立てて『ルーガルー』の巨体が前のめりに倒れた。その身体が動き出す事は二度と無かった。やがて頭を失った胴体は急速に萎み始めて、人間の身体に戻って行った。


 それと同時に地面に転がっていたオオカミの頭も、マイヤーズの顔へと戻っていた。その目は人間に戻っても尚、信じられないような驚愕の表情に見開かれたままであった。



 ――今ここにロサンゼルスを狩場としていた残忍な捕食者、『ルーガルー』の脅威は終わりを告げたのであった。




◆◇◆◇◆◇




 ローラの見ている前で、『ルーガルー』の……マイヤーズの首が落ちた。そしてその顔と身体は人間に戻り二度と動き出す事は無かった。


 ……終わった。ローラの尊敬したマイヤーズ警部補は死んだ。いや、もうとっくの昔に死んでいたのだ。再び胸がズキリと痛んだが、ローラは頭を振って気持ちを切り替える。ここには確実にローラ以上に悲しんでいる存在がいるのだから。彼女の気持ちを慮れば、いつまでもメソメソとしている事は出来ない。


 その子……ジェシカはいつの間にか人間の姿に戻っていた。そして父親の遺体の前にしゃがみこんで放心状態になっていた。ローラは躊躇う事なく上着を脱いで、裸のジェシカの肩に羽織らせた。ジェシカが呆然とローラを見上げてくる。



「……ごめんなさい。あなたのお父さんの過ちに気付けなかった」


「……いいさ。一番罪深いのはアタシだ。アタシは親父のやってる事に薄々気付いていながら見て見ぬ振りをしてた。親父と向き合うのが怖かった。もしかしたらアタシも親父と同じ・・になっちまうんじゃないかって恐怖もあった」


「ジェシカ……」



 それは正に彼女にしか解らない恐怖だっただろう。だから彼女は目と耳を塞いで現実逃避を続けてきたのだ。だが彼女は父親と向き合う事を選択した。例えその結果がどうなろうとも……



「あんた、ローラ・ギブソンだろ? 親父から聞いた事あるよ。優秀な刑事で将来が楽しみだって言ってたよ」


「……ッ!」



 ローラは言葉に詰まった。残忍な殺人鬼。ローラの事もデザートくらいにしか思っていなかった怪物。だが、ロサンゼルス市警の真面目な警部補という顔もまたマイヤーズの確かな一面だったのではないだろうか。どっちが本物という事ではない、殺人鬼と警察官……そのどちらもが仮面であり素顔でもあったのだ。



 ならばやはりこれは確認しておかなければならない。



「ジェシカ。お父さんはこうなる・・・・前に誰かにそそのかされ、後押しされていたようなの。本人がそう言っていたわ」


「な……」



 ジェシカの目が丸く見開かれる。ミラーカやクレアも驚いている。



「心当たりはない? お父さんの……秘密を知っていたような人物に」

 


 ジェシカは必死に記憶を巡らせているようだったが、やがて残念そうにかぶりを振った。



「いや……アタシには解らないよ。でも、そんな奴がいたんだね? 親父の……アタシ達の人生をメチャクチャにしやがった奴が……!」



 ジェシカの目が怒りに燃える。ローラにもその気持ちは解った。



「そうね。私達にも、そして殺された被害者の人達にとっても許されざる人物だわ。必ず見つけ出して相応の報いを受けさせる。約束するわ」


「……ありがとう」



 ジェシカの声が涙声になる。そして堪え切れないようなその目から涙が溢れ出す。ローラはジェシカを抱きしめた。



「いいのよ。我慢しないで。存分に泣くと良いわ。私も……泣くから」



 言っている内に涙が出てきた。尊敬する上司。そして父親。喪ってしまった存在を想って、2人の女は堪え切れない嗚咽を漏らし続けるのだった……

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