File3:新たなる闇

 翌日。ローラはダリオと共に、被害者のエレン・マコーミックの夫であるアーロンを訪ねる為に、彼の自宅があるビバリーヒルズの住宅街に向かって車を走らせていた。


「アーロン・マコーミック。38歳。貿易会社の役員で、役職は部長。親がこの会社の筆頭株主で、ま、要するにコネって奴だな」


 ダリオがアーロンの情報を読み上げている。


「本人自体は平凡で仕事も人並みってとこらしい。……親が金持ちってだけで、どんな無能でもこんな所に豪邸建てれるんだから、真面目に働いてるのが馬鹿馬鹿しくなってくるぜ」


 ダリオの吐き捨てるような台詞は、殆どの中流以下の国民の声を代表するものだっただろう。ローラが肩を竦めながら苦笑する。


「まあ気持ちは解るけど、間違っても本人の前で態度に出したりしないでよ?」


「んな格好悪ぃ事するかよ。お前は俺を何だと思ってるんだ?」


「あら? それを言っちゃっていいの?」


「……やっぱり何も言うな」




 やがて2人はアーロンの家の前に到着した。プール付きの豪邸と言って良い家だったが、この辺りの基準からするとこれでも平均かそれ以下くらいのようだ。庭もそこそこ広くガレージもある為、一般の住宅地のように家々が密集しているという事が無く、家同士は結構距離が離れている。贅沢な土地の使い方と言える。


 それを見て取ったダリオが鼻を鳴らしていたので、ローラは軽く肘打ちを入れて念を押しておいた。



 玄関に立って呼び鈴を鳴らす。しばらく待ったが誰も出てくる気配が無い。もう一度鳴らしてみるが結果は同じだった。


「おいおい、せっかく日曜日に来たってのに留守かよ!?」


「まあ事前にアポ取ってる訳じゃないし、こういう事も…………」


 言いかけて何気に玄関のドアを見ると……薄っすらとだが開いているのが解った。


「! ……ダリオ」

「む……!」


 玄関が開いているという事は外出した訳ではないという事になる。いくら比較的治安の良い高級住宅街とは言え、車上狙いや空き巣が全くの皆無という訳ではないのだ。では2度の呼び鈴にも反応が無いのは何故なのか……


 ローラとダリオは顔を見合わせて頷き合った。



「マコーミックさん? いらっしゃいますか? ロサンゼルス市警の者です。いたら返事をして下さい!」



 ローラは慎重にドアを開けながら中に向かって呼び掛けるが反応はない。家の中は静まり返っている。ローラはダリオに目配せする。


 2人共銃を抜くと、素早く玄関から家の中に入り込む。廊下からリビングに続いているようだ。途中にある物置のようなスペースを確認しつつリビングへと踏み込む。


 誰もいない。テーブルの上には新聞が片付けられずに置かれたままになっており、ダイニングの方には飲みかけのマグカップが置きっ放しになっていた。


 リビングには2階に続く階段があった。上は寝室になっているようだ。


「……俺は2階を確保する。お前は1階の残りの部屋を頼む」

「解った。気を付けて」


 ローラの返しに頷くと、ダリオは銃を構えながら慎重に階段を昇って行った。ローラはふぅっと息を吐くと、銃を水平に構えながらリビングから続く部屋を確認していく。バスルームは使われた形跡があるものの誰もいない。続いて応接間を覗く。やはり誰もいない。こちらはヒンヤリしており使われた形跡がない。


 奥にもう一つ部屋がある。半開きになったドアの向こうに子供の玩具のような物が見えた。この家にはアーロンとエレンの4歳になる息子のショーンがいるはずなので、子供部屋のようである。


 銃を構えながら、慎重に子供部屋のドアを開ける。


「……ッ!」


 部屋の中央にショーンがいた。ただしもうその瞳は何も写していなかった。その小さな身体は何かに引き裂かれたようにズタズタになり、部屋中にショーンの物と思われる血が飛び散っていた。



「ッ! ウェっ! ゲェェェッ!」



 ローラは目に飛び込んできた凄惨な光景に、思わず目を逸らしてその場でえずいていた。子供の死体……それもここまで凄惨に殺害された子供の無残な死体を見るのは初めてであった。


 人間の種としての保存本能がそう感じさせるのか、子供の死体というものは大人のそれに比べて、直に見た時の精神的なショックがケタ違いだ。仮にも叩き上げの刑事であるローラをして、思わず周囲への警戒を忘れてえずいてしまった程である。


「く……!」


 辛うじて自制し自分の失態を自覚すると、ローラは気力を振り絞って銃を構え部屋を確認する。部屋の奥にクローゼットがある。ローラは現場を荒らさないよう、そして極力ショーンの遺体を見ないように注意しながらクローゼットに近付き、銃を向けながら一気に開いた。


「…………」


 何かが隠れているという事は無かった。服をかき分けて奥まで確認した。誰もいない。


 ローラは急いで子供部屋を出てリビングに戻った。これが『ルーガルー』の仕業だと確定した訳ではないが、妻が殺されてそう日も経たない内に、参考人である家族が凶悪殺人の犠牲になる……。少なくともローラには到底偶然とは思えなかった。暫定的に『ルーガルー』の犯行だと仮定して動くべきだ。


 ダリオにこの事を警告しなければ、と思った矢先だった。



「くそ……!」



 ダリオの毒づくような声と共に、銃の発砲音。そして……獣の唸り声。


「――ッ!?」


 その唸り声を聞いたローラは全身の毛が逆立つような悪寒を覚えた。それとほぼ同時に悲鳴と共に、ダリオが階段から転げ落ちて来た。



「がは……がふ!」

「ダリオッ!」



 咄嗟に駆け寄ったローラだが、ダリオの胸がザックリ切り裂かれているのを見て息を呑む。


「逃、げろ……! 化け、物だ……!」


 息も絶え絶えなダリオがそれでもローラに警告してくる。ローラは階段の上を見上げて――絶句した。

 



 ――階段を昇った先、手すりの向こうに、巨大なオオカミが二本足で立っていた・・・・・・・・・。 




 全身は黒っぽい色の剛毛に包まれ、長く巨大な手の先には凶悪そうな太い鉤爪が備わっていた。足はまさに四足獣が二本足で立った時のような形状をしており、足の先にも鋭い爪が生えていた。


 鼻面が長く耳が逆立ったその顔はオオカミそのものだが、その欲望に濁ったような淀んだ目つきと、笑うように口の端を吊り上げたその表情は極めて人間臭く、決してオオカミの物ではあり得なかった。


 身体自体もかなりの体格で、目算でも7フィート以上はありそうだった。




 ――化け物。そこにいたのは文字通りオオカミと人間が融合したような化け物……狼男そのものであった。




「あ…………」


 非現実的な光景に、ローラの頭が一瞬思考停止状態に陥る。その間に狼男は手すりを簡単にぶち破ると、そのまま飛び降りて1階にいるローラの目の前に着地した。


 間近で見ると尚更巨大に見え、その迫力だけで気の弱い者なら気絶してしまうかも知れない。


「……ッ」


 ローラは手に握っている銃を持ち上げて目の前の化け物に発砲しようとするが、手は強張ったまま下に降ろした位置から動かなかった。逃げる、もしくは距離を取ろうにも足はガクガクと震え今にもその場で崩れ落ちてしまいそうだった。


 ローラは完全に蛇に睨まれた蛙になっていた。狼男の眼光に射竦められて身体が硬直してしまっていた。


 狼男がヌゥッと顔を近付けてくる。そして鼻先をローラの身体に触れんばかりに近付けて、クンックンッと匂いを嗅いでくる。身体中の匂いを嗅ぎまわるその姿は、ローラの事を調べているというよりはローラの匂いを堪能している、という方が近かったかも知れない。


「ひ……!」


 直立不動の姿勢のまま、おぞましい行為に耐えるローラ。だがその口から押し殺したような悲鳴が漏れ出てしまう。


 すると狼男は匂いを嗅ぎまわるのを中断し、ローラの顔の真正面に自分の顔を持ってくる。至近距離で狼男と見つめ合う形となったローラ。そのオオカミの面貌に睨まれ、呼吸が苦しくなる。上手く息が吸えず、過呼吸のように呼吸が浅くなる。冷や汗が頬を伝う。


 狼男がそんなローラの様子を見て目を細める。グパァ……と、その大きな顎が開く。口の中は牙が生え並び、長い舌がむき出しになる。生臭い吐息がローラの顔に吐き付けられる。そして……


「ひぃ……」


 狼男は長い舌を伸ばして、ローラの頬を伝う汗を舐め取った。ザラついた舌の感触にローラの全身に鳥肌が立つ。


 狼男が一歩後ろに下がった。



「グッ……グッグッグッ……」



 そして奇怪な嗤い声を上げると、そのまま身を翻してリビングの窓をぶち破って外へと逃げ去って行った。

 





「か……は……!」


 張り詰めていた緊張が解け、ローラは詰まっていた息をぎこちなく吐き出す。身体から力が抜けてその場にへたり込んでしまう。


(た、助かっ、た……? な、何で……?)


 殺そうと思えば簡単に殺せたはずだ。ショーンのような子供まで惨殺している怪物に慈悲の心があるとは思えない。ましてやローラは『ルーガルー』のメインターゲットである若い女性なのだ。何故見逃されたのか理解できなかった。


「ごふっ……!」

「ッ!! ダリオ!」


 しばし放心状態となっていたローラだが、ダリオの吐血混じりのうめき声を聞いてハッと我に返る。そうだ。考えるのは後で良い。助かったのであれば、今はその事に感謝しつつやるべき事をやらねばならない。


 ダリオの方に這い寄ったローラは、彼の胴体に刻まれた傷口を見て再び息を呑む。恐らくあの太い鉤爪で抉られたのだろう、大きな裂傷が走っていた。酷い出血で内臓まで傷ついている可能性がある。



「ダリオ、何て事……! すぐに助けを呼ぶから気をしっかり持ちなさい……!」


「ぐ……に、2階の、寝室に……アーロンの死体が……そしたら、クローゼットから……奴が……」


「解った! 後は私が見ておくから、今は何も喋らないで!」 



 息も絶え絶えな様子で、しかし何とか自分の見た物を伝えようとするダリオに、ローラは涙声になりながら怒鳴る。急いで携帯から応援と鑑識、そして救急車を手配する。



「今助けを呼んだから! すぐに来てくれるから頑張りなさい!」


「へ……へ、い、今までお前に、辛く当たって……悪か、った、な……。ほ、本当は、お前の事、認めてたん、だ……」


「ッ! 馬鹿! 縁起でもない言い方しないでよ! ……ダリオ? ダリオ!? 目を開けなさい! ダリオォッ!!」



 既に喋る事も出来なくなったのか、目を閉じて浅い呼吸を苦し気に繰り返すだけのダリオに、ローラは繰り返し呼び掛けを続けるのであった。

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