File32:因縁の決着
「警部補……!」
マイヤーズはアンジェリーナをこちらから引き離す為の囮になってくれたらしい。だが怪物化したアンジェリーナに対してそう長く持つはずがない。気ばかりが急く。それはダリオも同じらしく、ローラの枷を外そうと猛然と奮闘し始めた。
「くそ! 何だってんだよ、あの化け物は!? 一体このロサンゼルスで何が起きてるってんだ!?」
バールを動かしながらも悪態を吐くダリオ。その気持ちはローラにも良く解った。だがこれは目の前で起きている現実なのだ。そしてこのまま放置していい問題ではない。
そこに大きな激突音が響く。ミラーカが再びヴラドによって吹き飛ばされ、別の墓石に突っ込んだ音だ。
「くくく、羽虫を何匹か紛れ込ませていたようだが、所詮は無駄な足掻きよ。お前はここで死に、私はこの世界を支配する。それが定めだ」
墓石の残骸に突っ伏しながら呻くミラーカにヴラドは余裕綽々といった体で、剣を地面に垂らした状態で歩いて近付いてくる。
「あなたは何も支配しない。あなたが支配するのは、ただ永遠の暗闇だけよ……!」
立ち上がったミラーカが刀を放り出す。周囲の冷気がミラーカに集まったかと思うと、彼女の黒髪が逆立つ。今しがたアンジェリーナが行ったものと同じ……怪物化だ。目が赤く輝き、背から白い翼が飛び出る。
「……愚かな。あくまで抗うか」
だがヴラドは何ら慌てる事なく、ただ哀れみに満ちた視線をミラーカに投げ掛ける。
「ガアァァァッ!」
ミラーカが普段からは想像も出来ないような荒々しい咆哮と共に、翼をはためかせながらヴラドに突進する。ヴラドは剣を構えてそれを迎え撃つ。凄まじい力と速さの応酬に、周囲の地面が次々と抉れていく。あれに巻き込まれたら人間など一溜まりもないだろう。
「く……ダリオ! まだなの……!?」
「うるさい、急かすな! 全力でやってる! 思ったよりも頑丈なんだよ! だが……もう少しで……!」
悪戦苦闘していたダリオだがコツを掴んできたらしい。ローラの右手首を縛める枷がようやく緩んできた時だった。ダリオの後方、闇の中から突き出る腕が見えた。その手に握られているのは……
「ダリオ、避けてっ!」
「――っ!?」
銃声。数発の弾丸を受けたダリオがその場に崩れ落ちる。
「ダリオ……? ダリオ!」
倒れたダリオは動かない。愕然とするローラの前に……銃を握った鷲鼻の男イゴールが現れた。
「全く、アンジェリーナ様にも困ったものだ。我を忘れてご自分の役目を怠るとは……。私は本来使用人であって傭兵ではないのだがな」
「お、お前は……!」
「やあ、お嬢さん。その節はどうも……」
イゴールはローラの顎を掴んで、無理矢理ヴラド達の方を向かせる。
「主様は『餌』としての役割を全うしろと仰っただろう? 無駄な足掻きはせずに愚か者の末路をその目で見届けるのだ」
「く……!」
怪物化したミラーカは一見ヴラドと互角に戦っているように見えるが、ヴラドの方はその表情から余裕が消えていない。
「当然だ。あの力はそもそも主様から与えられた物なのだから、主様にも
「……!」
「最初から結果など解りきっているのだ。あの女がやっているのはただの無駄な『抵抗』に過ぎん。それが理解できたなら――」
そこまで言った時、喋っていたイゴールのこめかみに銃弾が撃ち込まれた。物も言わずに突っ伏して倒れるイゴール。横からのそっと起き上がって来たのは……
「……もしもの時の為に、服の下に防弾チョッキを着込んでおいて正解だったぜ」
「ダリオ……!」
服の下に目立たずに着れるタイプの物は、軽くて邪魔にならない分それだけ防弾性能が低いが、運が良かったようだ。ダリオはそのままバールを手に取ると、猛烈な勢いで枷を外していった。苦心しながらも何とかローラを縛める枷を全て取り外す事に成功した。ローラは久方ぶりに手足の自由を取り戻した。
「ありがとう、ダリオ!」
「さあ、とっとと逃げるぞ!」
「あなたは行って。私は……何とかミラーカを助けてみる」
未だにヴラドと死闘を続けるミラーカ。既に身体中傷だらけの血まみれであった。対してヴラドはほぼ無傷だ。最早一刻の猶予もない。満身創痍のミラーカの姿を見据えながらローラは決意する。
「正気か!? あんな化け物相手にお前に何が出来るってんだよ!?」
「出来る出来ないじゃない、やるのよ。ミラーカは絶対に死なせない。この世界の為にも……そして私自身の為にもね!」
「!! あの女はお前にとって何なんだ? 友人って話だったが……」
「自分でもよく解らないわ。でもこれだけは解る。彼女は……私にとって欠く事の出来ない無二の存在よ」
それは理屈ではなかった。彼女と最初に会った時から心の奥底ではそれを感じていた。心の……精神の更に奥、魂と呼べる
ローラの決意が揺るがない事を悟ったダリオが溜息をつく。
「はぁ……ったく、しょうがねぇな。お前はホント言い出したら聞かねぇからな。ちょっと待ってろ」
ローラはそれまで気付かなかったが、地面に小さめのボストンバッグのようなものが置いてあった。ダリオはそのバッグを開けて中から何かを取り出した。
「ほらよ。何か知らねぇが必要なんだろ?」
「これは……」
ダリオが取り出したのは、小さな宝石箱、古い枯れ枝の束、そして小さい銀のブリーフケースであった。
「あの女……ミラーカがあちこち回って集めてたみたいだな。自分はただ受け取りに行っただけだって言ってたが。お前に見せれば使い方は解るとも言ってたぜ」
「ミラーカ……」
それらはローラとミラーカの共同作業の結晶であった。ローラが攫われた後、ミラーカは1人で回ってこれらを回収してきてくれたのだ。ローラは胸が熱くなった。
ミラーカがここにこうして持ってきたのであれば、ウォーレンもロバートも立派に役目を果たしてくれた、という事だ。ローラは彼等にも深く感謝した。
「ダリオ、何か火を点ける物は持ってる?」
枯れ枝を組んでその下に枯れ葉を混ぜ込みながら、ダリオに確認する。
「あ、ああ、ミラーカに言われて持ってきてあるぜ」
点火用のガスマッチを取り出す。
「それでいいわ。じゃあこれに火を点けて」
ダリオが枯れ枝の束に火を点けようと近付いた時、後ろから何者かが彼に覆いかぶさった。
「何っ!?」
それは頭を撃たれて死んだはずのイゴールだった。いや、今も頭から血を流し半死半生の有様であったが、そうとは思えない程の驚異的な力を発揮してダリオに裸締めを仕掛ける。
「クソッ! このくたばり損ないがっ!!」
忽ちの内にもみ合いになる。ローラでは全く歯が立たなかったイゴールだが、体格的にはダリオもいい勝負だ。だがイゴールは死に瀕していながら、いや、或いは死に瀕しているからこその爆発的な膂力で絞め殺そうとしてくる。ダリオとしてもそう簡単に制圧できる状況ではなかった。
「ローラっ! こいつは任せろ! お前は早く仕上げろっ!」
「……ッ!」
ローラは弾かれたようにガスマッチを手に取ると、枯れ枝を束を覆う枯れ葉の山に着火した。空気が乾燥している事もあって、枯れ枝は瞬く間に燃え上がり火を立ち昇らせる。
「ミラーカァァッ!!」
ローラは力の限り絶叫してミラーカに合図する。
ミラーカはもう何度目になるか、再び墓石に背中から激突して倒れ伏していた。余りのダメージの蓄積に、遂に怪物化も解けてしまう。元の美しい姿に戻ったミラーカだが既にその身体はズタボロで、右の肩口は大きく切り裂かれて左腕は根元から断ち切られていた。胴体や脚にも無数の手傷を負って血にまみれていた。
対するヴラドの方は全くの無傷で、余裕の表情のまま今まさにミラーカに粛清の刃を振り下ろそうとしている所だった。
そこに聞こえてきたローラの絶叫。ミラーカはカッと目を見開くと、間一髪でヴラドの剣から転がるようにして身を躱した。
「愚かな。まだ虚しい抵抗を…………何っ!?」
ミラーカの姿を目で追ったヴラドは、彼女の後方……ローラの横で燃え上がる炎を認識して目を見開く。ミラーカはズタボロの姿のまま、それでも艶然とした表情を作って笑う。
「あら、どうしたの、ヴラド? 怖れ知らずのあなたが随分な驚きようね?」
「……ハッタリに決まっている。今のこの物質文明の時代に、『聖水』を作れるような者がいるはずがない。ただの変哲もない炎だろう? 私を動揺させようとしても無駄だぞ」
「うふふ、その割には随分警戒しているようだけど? ハッタリかどうか試してみたら?」
ザンッ! と音がした。ヴラドが愛剣を地面に突き立てた音だ。
「……もう良い。興が醒めたわ。もう遊びはここまでだ。一瞬で、完膚なきまでに叩き潰してやる……!」
ヴラドから発せられる怒気と冷気が爆発的に高まった。ヴラドの髪が逆立ち、目が赤い光を帯びる。ヴラドが……怪物化する!
女達とは異なり、その背中からは漆黒の巨大な皮膜翼が生える。それと同時に全身が膨張するように肥大し、その顔は鼻面が伸び巨大な
ミラーカ達
ミラーカがその変身の隙を突いて、隠し持っていた何かをヴラドに投げつける。それは透明な液体で満たされた小瓶であった。綺麗な放物線を描いてそれはヴラドに命中し、派手に砕け散った。
「ギッ!? ガアァァァァアアァァッ!!」
中の液体を被ったヴラドが悶え苦しむ。
「気に入った? 『聖水』を少し移しておいたのよ。これでハッタリでない事は解ったでしょう?」
ミラーカは苦し気ながらも、微笑みに口の端を吊り上げる。怒り狂ったヴラドが突進してくる。
「おお……おのれ! おのれ、カーミラァァァッ!!」
「ローラ! 炎を……!」
「……!」
ミラーカに促されて、ローラは燃え盛る炎から突き出た枯れ枝の一つを手に取る。既に火が存分に燃え移っており、一種の松明状態となっていた。
「く……ら、えぇぇぇっ!!」
ローラは掌を焼く高熱に構う事なく、持っていた松明を突進してくるヴラド目掛けて力一杯投げつけた!
『聖水』を被って一時的に失明していたヴラドは、ローラの投げつけた松明を躱せなかった。
「グォッ!? ゴアァァァッ!」
松明は「着弾」すると、その身に纏っていた炎を瞬く間にヴラドの身体に燃え移らせた。『聖水』の力を吸った炎は、まるで意思を持っているかのように一瞬でヴラドの全身を包み込み火だるまにした。
「器を……!」
ミラーカの指示に従って宝石箱の蓋を開けて、炎の塊となったヴラドの前に掲げる。
「ギアッ! ギャアァァァッ!! カ、カーミラァ……ァ……!」
「今度こそ終わりよ、ヴラド。永遠の闇に沈みなさい……!」
ヴラドの身体が断末魔と共に崩れ落ち粉々の灰と化すと、その一部は宝石箱の中に吸い込まれ、他の灰は残らず風に舞って消え去って行った。ローラは宝石箱の蓋をしっかりと閉じる。
「最後よ。心臓を……!」
「ええ!」
仕上げとしてローラは急いで銀のブリーフケースを開ける。そこには冷凍された心臓が入っていた。携帯用の冷凍ケースだった事もあってか、既に心臓は解凍され掛かっていた。だが今の状況では好都合だ。
(……ごめんなさい!)
ローラは心の中でこの心臓の元の持ち主に謝ると、取り出した心臓を『聖水』の焚火にくべた。一際大きな炎が巻き起こると、焚火の中から一筋の光のような物が飛び出して、ヴラドの灰を収めた宝石箱の鍵穴に吸い込まれていく。
それと同時に『聖水』の焚火が水でも掛けたかのように、一瞬で鎮火した。それはまるで炎が自分の役目を終えた事を悟ったかのような現象であった。
――500年前に『串刺し公』として敵や民に恐れられ、そしてこの現代でも多くの殺人を繰り返し悪夢の計画を実行しようとしていた狂気の真祖、ヴラド・ドラキュラの最後であった。
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