File30:500年越しの再会

 その時、納骨堂の扉がギィ……と音を立てて開いた。入ってきたのは男女の二人組だった。男の顔には見覚えがあった。鷲鼻の大男、『クリス・ドワイヤー』だ。女の方は燃えるような赤毛の、少しおっとりした感じの美女であった。この女がヴラドの残り1人の愛妾、アンジェリーナで間違いないだろう。



「主様、カーミラは予定通り餌に食い付いた様子です」



 『クリス』が恭しい口調で報告しながら平伏する。



「そうか……ご苦労だった、イゴールよ」

「は……」



 クリス――イゴールは深々と頭を下げる。その横でアンジェリーナが不服そうな顔をしている。



「ご主人様、何故私を行かせて下さらなかったのです? シルヴィアの仇を討つ絶好の機会だったと言うのに……」



 ヴラドは少し苦笑したようだった。



「お前は正にそのように考えるだろうと解っていたからだ。シルヴィアを討った相手にお前1人で勝てる道理はあるまい?」


「それは……シルヴィアは油断していた所を不意を突かれたのですわ。入念に準備を整えて待ち構えれば、私がカーミラに遅れを取る事などあり得ませぬ!」

 

「かも知れんな。だが万が一という事もある。カーミラは私が直々に殺す。それで溜飲を下げるが良い」


「……解りました」



 主人であるヴラドには逆らえないのだろう。明らかに不満な様子ながらアンジェリーナは平伏した。ヴラドがローラの方に向き直る。



「さあ、もうじき日が暮れる。日がある内に突入してくる程カーミラも愚かではあるまい。これから楽しい夜が始まるぞ? ワラキア復活の前夜祭だ。生贄はカーミラ……。君にはその一部始終を見届けて貰うぞ。あの忌々しい『聖女』と同じ名を持つ女よ」


「く……!」



 磔にされたローラには何も出来はしない。カーミラが……あの黒髪の優しい美女がこの悪鬼に殺されるのを、ただ眺めている他ないのか……。自らを押し潰そうとする無力感と絶望感に、ローラは唇を噛み締めながら耐えるのであった。




****




 それから幾ばくかの後、ローラは何人かのグール達によって、磔になっている十字架ごと地上の墓地の真っ只中に移動させられていた。遮蔽物のない良く目立つ位置に、十字架ごと据えられる。


 既に日は落ち、辺りは闇に包まれている。元々人気のない寂れた霊園である。更に今はアンジェリーナがグール達を率いて入念に人払いをしているとの事で、近付く者も誰一人いない。


 月明りだけが照らす静まり返った冷気漂う夜の霊園に、十字架に磔られたローラの、簡素な布で胸と腰だけを覆った白い肉体がくっきりと浮かび上がっていた。


 ローラにとっては永遠とも思える時間が過ぎ去った後、ローラの脇でひっそりと闇に溶け込むように佇んでいたヴラドが顔を上げた。



「……来たか」



 その顔には先程までの落ち着いた雰囲気は無く、邪悪な喜色に歪んでいた。その声に項垂うなだれていたローラも、ハッと顔を上げた。


 その視線の先……墓地の闇に中に徐々に輪郭がはっきりしてくる姿。周囲の闇と同化するような艶のある漆黒の長髪に同色のロングコート。そこだけがくっきりと浮かび上がる白い面貌。それはまるで神が緻密作り上げたかのような精緻な美貌。それはまさにローラが良く知るミラーカの姿であった。



「あ……ああ……ミ、ミラーカ……!」



 むざむざ捕まってしまった申し訳なさ。ミラーカが殺されてしまう事への危機感。その後のヴラドの悪魔の計画に対する焦燥感。それらは勿論ローラの胸の中に渦巻いていた。しかしそれらにも増してローラの心を占めていたのは、ただ純粋な嬉しさであった。



(本当に来てくれた……!)



 不安だった。絶対に来ると確信はしていたが、それでも心のどこかでもしかしたら、という思いがあった。



「ローラ。待たせてしまってごめんなさいね。すぐに助けるからもう少しだけ我慢しててもらえるかしら?」



 その妖艶な声も、まさしくミラーカのものだった。


「……ッ!」


 その声を聞いたローラは思わず涙ぐんでしまった。状況は最悪だ。ヴラドの力は強大で、ミラーカに勝ち目はない。にも関わらず何故かローラには、もうこれで大丈夫だ、という根拠のない安心感が芽生えていた。自分でもその心の動きが理解できなかった。



「くくく、感動的な再会に水を差して申し訳ないが、先に再会を祝う相手がいるのではないか、カーミラ?」



 その空気を無粋な男の声が破った。闇が形を持ったかのように姿を現したヴラドが、2人の間に割り込むように立ち塞がる。



「久しぶり……というのも愚かしい程の年月が経ったものだ。この500年もの間、私が与えた不老不死の人生を存分に謳歌する事が出来たか、カーミラよ?」


「ヴラド……ええ、お陰様でとても有意義な500年でしたわ」


「くっくっく……すぐに減らず口も利けなくなる。500年も生きたのだ。もう充分だろう? 次は私が楽しむ番だ。お前は永遠の闇の中に沈むがいい」



 ヴラドが片手を上げると、周辺の墓石に隠れていたらしいグールが次々と現れ出た。それはまるで本当に墓から甦った死者のようであった。いや、彼らはもう死んでいるので、ある意味ではそれは的を得ているのか。


 都合20体程のグールに取り囲まれるミラーカ。恐らく他にもアンジェリーナが率いているグールがいるはずである。一体どれだけの住民がこの怪物達の犠牲になっているのだろう、とローラは改めて戦慄する。



「さあ、カーミラ。シルヴィアを倒したその腕前……この500年の間で培ったお前の力を私に見せてくれ」



 ヴラドの言葉を合図にしてグール達の包囲網が狭まる。ヴラドはシルヴィアを屠ったミラーカの力をそれなりに警戒している。でなければこんな威力偵察のような事をするはずがない。それを知ってか知らずか、ミラーカの口の端が笑みに吊り上がる。


「殺せっ!」


 主人の指令を受けて、グール達が一斉にミラーカに殺到する。ミラーカのロングコートが宙に舞う。それと同時に先頭にいた何体かのグールが、血しぶきと共に首と胴が別たれる。


 ヴラドが思わず目を瞠る。そこには黒いレザーのボンテージファッションに身を包み、東洋の刀を構えたミラーカの姿があった。月明りに照らされた妖しく美しい死神の姿が。


 恐怖を感じる事のないグール達が、お構いなしに突っ込んでくる。中には数メートルものジャンプをして飛び掛かってくる者もいる。ミラーカはかつて地下駐車場で見せたような巧みな足取りで戦場を縦横無尽し、複数のグールの囲まれない位置取りを保ちながら着実にグールの数を減らしていく。


 大勢の集団というのは、それより少ない集団を相手にするには絶大な強みを発揮するが、たった1人を囲んで殺そうとするには意外と効率が悪い。実際に戦うのは先頭にいる数人のみで後はただの後詰め、余剰人員となる。素人が相手ならそれでも充分だが、ミラーカのような卓絶した身体能力と、経験、技術を持つ戦士相手だと、その効率の悪さがもろに露呈する。


 ましてやここは遮るものもない広いフィールドだ。好きな位置取りを保って戦えるこの場所では、例えグールの数が50体だったとしても結果は同じだっただろう。そう時間を置かずに、20体程いたグールは、全員が首と胴を切断されて地に転がる事になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る