File3:謎の女

 翌日。自宅のアパートで目を覚ましたローラは、シリアルとコーヒーの朝食を摂り身支度を整えると、街の教会に向かった。


 都心から外れた静かな場所にあるこの教会はローラが幼い頃から通っている場所で、何か悩みがある時や気持ちを落ち着けたい時などにも良く足を運んでいた。



 聖堂に入り、その独特な静謐に満ちた空気に浸っていると、声を掛けてくる者があった。



「やあ、ローラじゃないか。よく来てくれたね。ここの所あまり顔を見なかったから心配してたんだよ」



 黒い僧服に身を包んだ、50絡みの落ち着いた雰囲気の男性であった。50絡みと言っても老けている印象は全く無く、毎日の節制と適度な運動で引き絞られた身体は、年齢よりずっと若々しく活力に満ちていた。この教会の責任者、ウォーレン神父であった。



「神父様、ご無沙汰しています。ここ最近は『サッカー』の件に掛り切りでミサにも参加できず、申し訳ありませんでした」


「いやいや、気にしなくていいんだよ。君はこの街の住民を守る為に日々戦っているんだ。誰にでも真似できる事じゃない。気にせず自分の仕事を優先して欲しい。私達はいつでも君のために門戸を開いて待っているよ」


「神父様……」



 心の平穏を求めてここにやってきたローラは、ウォーレンの温かい言葉に思わず涙ぐんでしまう。ウォーレンはそんな彼女を優しい目で見守る。早くに両親を亡くしたローラにとって、包容力に満ちたウォーレン神父はもう一人の父親といってもいい存在であった。



「……色々と辛い事も多いだろう? 私で良かったらいつでも相談に乗るからね?」



 ローラは目元を拭うと、ウォーレンの顔を見上げて微笑んだ。



「ありがとうございます、神父様。もう大丈夫です。神父様の顔を見て、言葉を交わしただけで何だか元気が出てきました。やっぱり私にとって、ここに通って神父様の説教を聞いて、お話をする事が活力になっているんだと実感できました」


「ローラ……君にそう言って貰えて誇らしいよ。でも何かあった時には本当に遠慮しなくて良いからね。私はいつでも君の味方だよ」


「うふふ、ありがとうございます。その時は頼りにさせて貰いますね」


「勿論だとも! さあ、折角来たんだから、もう少しゆっくりして行きなさい。良かったらこの後のミサに参加していかないかい?」



 ローラは一瞬考え込むが、他に何か予定がある訳でもない。非番の日にまで事件の事だけ考えてるのは、マイヤーズ警部補もいい顔はしないだろう。



「そうですね。それじゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」


「よし来た! それじゃぼちぼちミサに参加する人達が集まってくるから、座って楽にしててくれ」


「え? 今日は平日ですよね? 集まる程に参加者が来るんですか?」



 ウォーレンは片目を瞑ってウィンクする。



「平日は専ら定年退職した地域のお年寄り達が参加してくれるよ。最近じゃすっかり寄り合い所代わりさ」



 その様子を想像してローラは軽く吹き出す。その辺はウォーレンの人徳の為せる業だろう。その後はミサに参加したり、他愛のない雑談に興じたりして、ローラは久しぶりに穏やかな一日を過ごしたのだった。 




****




 明くる日。ローラは心機一転、気持ちを引き締めて捜査本部に臨んだ。彼女とトミーは9人目の被害者であるアフリカ系ギャングのマイク・ホーソンに関する調査を命じられた。


 マイクは19歳。ドラッグ中毒で高校を中退して、2年前に今のギャング団に入団していた。



「高校生の頃から薬漬けで、中退してギャングに入って、19歳で殺人鬼に殺される……。何と言うか、人生ってものについて考えさせられますね」



 マイクの父親である、エディ・ホーソンの自宅へ向かう道中、トミーがそんな風にしみじみと呟いた。



「殺人鬼はともかく、それ以外はこの国じゃそこまで珍しくもないわよ。格差っていうものが存在する以上どうしようもないと言うのが現実なのよね……」



 無論ローラ達とて現状を是としている訳ではないが、この辺りの問題は社会のしくみに起因する問題であり、彼女達にはどうにも出来ないというのが現実だ。彼女達に出来る事はただ目の前で起こる犯罪を未然に防ぐ、もしくは起きてしまった犯罪に対して対処する事だけだ。


 やがてスラムにほど近い通り沿いにある、スポーツ用品店の前に到着した。ここがマイクの実家だ。店主は40過ぎのアフリカ系の男性で、彼がエディで間違いないようだ。



「失礼。エディ・ホーソンさんですね? ロサンゼルス市警の者です。この度は本当にご愁傷様でした……。息子さんの人柄や交友関係などについていくつか質問があるのですが、宜しいでしょうか?」



 ローラがバッジを見せながら問い掛けると、店主――エディは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに事情を察して顔をしかめた。



「ふん、うちの息子の死に刑事が関わってくるなんて、『サッカー』の仕業だっていうのは本当なんだな」



 通常ギャングの若者が死ぬのは日常茶飯事であり、わざわざ刑事が捜査する事件になる事など殆ど無い。それを皮肉っているのだ。



「……耳の痛い話です。詳細までは明かせませんが、確かに息子さんは『サッカー』に殺された疑いがある、と我々は睨んでいます。どんな些細な事でも構いません。息子さんと殺人鬼の接点となる事柄について何か思い当たる節はありませんか?」


「そんなものある訳ない。息子はもう足を洗う予定だったんだ。殺人鬼に狙われる理由なんかない!」


「足を洗う予定? 息子さんはギャングを抜けるつもりだったんですか?」


「ああ、そうだ。息子は以前敵対しているメキシコギャングに襲われて命を落としかけた。その時ある女に助けられたと言っていた」


「ある女?」


「ああ。どんな方法か分からんが、その女はあっという間に息子のドラッグ中毒を治しちまった。俺もにわかには信じられなかったが、実際息子は人が変わったように生気を取り戻していた。全てはこれからって時だったのに……畜生! 何でこんな事に……」



 エディは激昂したかと思うと、悲しみを思い出したのかすぐに打ち沈んだ。情緒が不安定になって感情の制御ができないようだ。



「その……女性にも話を聞きたいのですが、名前などはお分かりになりますか?」


「俺は息子の伝聞でしか知らん。何でも東欧系で黒い髪の絶世の美女だったらしいが、どこまで本当だったやら……」


「――ッ!?」



 東欧系。黒い髪。絶世の美女。ローラはそれらの単語に合致する存在を知っていた。それもつい最近の事だ。自分でもあれは幻か何かだったのかと思い始めて、あえて意識から除外していた出来事……



(生前の被害者と知り合いだった女が、被害者が死んだ現場に居た……。偶然? まさか、そんな事あり得ない!)



「先輩? どうかしたんですか?」



 つい自分の物思いに沈んでいたローラは、トミーの声にハッとする。



「あ、ええ、ごめんなさい。それでホーソンさん、その女性の連絡先などはご存知ありませんかね?」


「それこそ知る訳がない。息子の携帯はあんたらが持ってるんだろ? そっちで調べればいいじゃないか」



 最近のスマートフォンはPC並のセキュリティになっており、暗証番号が解らなければ警察でも開けないのだ。令状を請求して、電話会社に暗証番号を公開させるべきか。



「確かにそうですね。ではそれはこちらで調べてみます。ありがとうございました、ホーソンさん」


「何でもいい。ともかく息子を殺したクソッタレが1日でも早く捕まる事を祈ってるよ」


「最大限の努力をすると約束します。それでは」



 そう言い残して、ローラは足早に店を後にした。


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