第6話 微笑み

微笑み part.1

戦争は終わった。

ある日突然に、全ては放棄された。

思想も、理念も、信念も、正義も。

憎悪も、虚構も、過程も、結果も。

何もかもが放棄されて投げ出された。


「戦争は終わった」


そう誰かが云った。

誰が云ったのかは解らないが、それは最も残酷な責任転嫁であった。

何一つとして終わってはいなかった。

各地で頻発する内部紛争。

モラルも常識も通用せず、轢殺され続ける弱者。

枯渇する資源。

摩耗する正義、良心、絶望。


「何も終わってはいなかった」


総てのヒトは、何も変わらなかった。

絶望も怒りも、すり減った感情が戻ることはなかった。

満たされることもなかった。

汚染された大地は汚泥を広げ続け、もはや浄化されることは永遠にない。

光化学スモッグで覆われた空は星を、太陽を、月を隠し、嫌な臭いを放つプラスチックの砂嵐が何もかもを狂わせ、空気を冒し始めた。


――そう、何も終わっていなかったのだ。


そこには肯定も否定もなかった。

ただ、終わっていく事象を目の当たりに、「何もかも」が放り出されただけだった。



「ねえ、アラガルン」


彼女にそう呼びかけられた。

少年は落ち窪んだ目で、ベッドに猫背で腰掛けていた。

顔を上げて金髪の女性……エレオノールの顔を見る。


「……何だ?」

「アラガルンは、この戦争が終わったら何をしたい?」


少年は、聞かれた意味が分からないと言った顔でしばらくエレオノールを見ていたが、やがて息をついて壁に視線を戻した。


「……戦争は終わったよ」


寂しそうな掠れた声だった。


「どいつもこいつも死んじまった。何もかもをも放り捨てて。全部、責任をほっぽりだして死んじまった」

「…………」

「逃げられたよ。俺は、俺の殺したかった全てに。戦争は終わったんだ」


カラカラ……と狭いシェルターの換気扇が音を立てる。

くぐもった空気の中、エレオノールはコーヒーの入ったカップを口に開けてズズ……とすすった。

そして小さく笑う。


「……何がおかしい?」


アラガルンに言われて、彼女は目を細めて彼を見た。

そして静かな口調で、淡々と言った。


「戦争は、まだ終わっていないよ」


その端的な言葉は、想像だにしていなかったことだった。

アラガルンの鼓膜を打ち、その小さな声は、ウワンウワンと彼の頭の中を反響した。

知らずの間に頬を汗が流れた。

唾を飲み込んで、アラガルンはエレオノールの顔をもう一度見た。


「まだ……終わってない……?」

「何も終わっていないよ。戦争は」

「バンジバルは死んだ。殆どの国が滅びた。俺はもう、誰を殺すこともできない」

「どうして? 殺せばいいじゃない」


エレオノールはフフ、と笑ってから、バカにするようにアラガルンに続けた。


「それはね、アラガルンが自分の中で勝手に終わらせちゃっただけなんだよ。あなたは諦めたんだ。折れたの。だから、戦争は終わった、なんて言うの」

「…………」

「あなたは戦争の何を知っているの? 何が起こっていたか、判る? 誰が何をしていたのか理解していた? 誰がどのように悪くて、誰がどのように悪人で、何が下劣で、何が正義で、何が正しかったのか知っているの?」

「何を言いたい……?」


アラガルンに鋭い目で睨まれ、彼女は肩をすくめた。


「『戦争は終わった』……その言葉はね、アラガルン。あなたが、あなた自身が。『戦争に負けた』っていう事実を受け入れたくなくて、ただただ自分を守るために口にしているだけの『言い訳』よ」


アラガルンは鳶色の瞳を大きく見開いた。

そして思わず口を開いて反論しようとした。


しかし、言葉は出てこなかった。


暫くの間、シェルターの中を静寂が包んだ。

しばらく大きな目でエレオノールを睨んでいた少年だったが、やがて彼女から目を離した。

そして床を見て、手で目を押さえる。

頭痛がしたからだった。


「戦争に『負けた』……? 俺が……?」

「じゃあ聞くけど。あなたは、戦争に『勝った』の?」

「俺は……」


アラガルンの脳裏に、形容しがたいヘドロのような感情がフラッシュバックした。

両手を血管が浮くほど強く握りしめる。


「…………」


沈黙した彼から目を離し、エレオノールはまたコーヒーを口に運んだ。

そして静かに続ける。


「戦争ってね、勝ち負けじゃないんだよ」

「…………」

「アラガルン、あなたは戦争に勝ってもいないし、負けてもいない。でも、あなたの心は戦争に対する敗北を受け入れてしまっているの」

「…………」

「諦めてるの。そしてあなたは臆病で、卑怯者な自分を受け入れたくない。だから」

「…………」

「『戦争は終わった』なんていう理屈を並べて、自分を正当化しようとするのよ」


アラガルンは足音を蹴立てて立ち上がった。

そして大股でエレオノールに近づき、彼女が着ていた白衣の胸ぐらを掴み上げる。

ガシャン……とコーヒーカップが床に落ちて砕け、こげ茶色の液体が散乱した。

彼は半ば瞳孔が開いた目で彼女を見下ろし、押し殺した声で言った。


「……大概にしろよ。俺は負けてねえ……」

「そう?」

「二度とナメた口がきけないように、思い知らせてやってもいいんだぞ……」

「私に脅しは通用しないわよ。いい加減学習をしたら?」


淡々と挑発され、アラガルンは歯を噛んだ。

そして乱暴にエレオノールの服から手を離す。


「…………」

「良いことを教えてあげる」


エレオノールは、顔色ひとつ変えずに少年に言った。


「あなた、さっきバンジバルが死んだって言っていたわよね?」

「…………」

「彼、実はまだ『生きている』としたら、あなたは一体どうする?」


アラガルンは弾かれたように顔を上げた。

彼の丸い目を見ながら、エレオノールは美しく整った顔で微笑んでみせた。


「それでも、あなたの『戦争』って終わっちゃってるかな?」



目を開けた。

朝日が窓から差し込んで顔に当たっていた。

サビは息をついて体にかかっていたボロボロの毛布を脇に追いやった。

そして上半身を起こして、頭を押さえる。

頭痛がした。

ベッド脇の棚に置いてあった薬瓶を手に取り、振ってから蓋を開ける。

そしてザラザラと無造作に中身を口に流し込んだ。

噛み砕いて錠剤を飲み込む。

乱暴にビンを棚に置いてから、また頭を抑えて猫背になる。

ゴゥン、ゴゥンと飛行している飛空艇のエンジンの音が聞こえる。

しばらくそのままの姿勢でいると、コンコン、と控えめな音がして扉が揺れた。

返事をしないでいると、戸惑いがちにノブが回った。

そして寝間着姿のシュルディアが、足枷の名残が残る左足を引きずりながら、サビの部屋に足を踏み入れる。

彼女は青い顔をしている彼を見て、心配そうに口を開いた。


「サビさん……大丈夫?」


サビは顔を上げてシュルディアを見てから、頭を振って体を動かし、ベッドに腰を下ろした。


「……何がだ?」

「呻き声が廊下まで聞こえていました。心配になっちゃって……」

「呻いていた……? 俺が……?」


シュルディアはそっと近づいてくると、サビの隣に腰を下ろした。

そして彼の顔を覗き込む。


「顔が真っ青です。グスタフさんを呼んできますか?」

「いや……いい。すぐに良くなる」


彼女の言葉を否定し、サビは目尻を押さえた。

頭痛が収まらない。

何か、嫌な夢を見ていた気がするが全く思い出せなかった。

残っているのは胸の奥につかえた不快感。

そして……。


「サビさん、これ……」


そこでシュルディアが、持っていたポーチから小さな缶を取り出した。

それを差し出してサビに握らせる。


「……何だ?」

「一昨日降りた街の薬屋さんで見つけたんです。リラックス効果がある、ジギリヒス酸の錠剤が入ってます。甘くて美味しいですよ」

「…………」


サビはしばらく缶を見ていたが、蓋を開けて錠剤を取り出し、数粒口に放り込んだ。

ガリガリと噛んで飲み込む。

伺うようにこちらを見ていたシュルディアに缶を返し、彼は小さく言った。


「……成る程な。悪くない」

「良かった」


シュルディアが安心したようにパァ、と笑う。

サビは感情の読めない目でそれを見てから、床に目をやった。

しばらく沈黙が二人の周りを包む。

少しして、シュルディアがポーチを握って、どもりながら言った。


「あ、あの……」

「…………」

「サビさんに聞きたいことがあって……」

「……何だ?」

「その……」


シュルディアはしばらく迷っていたが、やがて息をついてから小声で言った。


「サージェアンデ、っていうフリークの保護組織のことなんですけど……」

「…………」

「もう、ないんですよね? グスタフさんからも聞きました。国際警察の粛清で、関係者の人達は、全員殺されたって……」

「…………」

「あの、私……フリークって、生きてちゃいけないのかな……って、それを聞いて思っちゃって。何だか……」


ぎゅっ……と、彼女は錠剤の缶が入ったポーチを握りしめた。


「こ……怖くなっちゃって……」


その細い手が、小刻みに震えていた。

目をそらして膝を見たシュルディアを、サビは横目で見た。

そして壁を向いて口を開く。


「……そうだな。分かるよ」

「サビさんも……怖くなる時があるんですか?」


問いかけられて、サビは息をついて続けた。


「……戦争は、まだ終わっていないからな」


唐突な彼の、意味不明な言葉にシュルディアは首をかしげた。


「戦争……?」

「まだ何も終わっていない。だからこそ言える」

「…………」

「全ての人間に生きる意味がないように。フリークにも、機械化人間にも。生きる意味なんてない。そんなものは自分が満足できるか、できないかの問題だけだ」


サビは吐き捨てるように言った。


「生きることを肯定されたとしても、それが真実なんかじゃない。ただ、お前が満足するか、しないかの問題だ」

「…………生きる意味って、ないんですか?」


シュルディアに小声で問いかけられ、サビは彼女の方を向いた。


「俺が『ある』と言ったら、お前は満足するのか?」


だいぶ長い間、シュルディアは沈黙していた。

壁に取り付けられた換気扇がカラカラとうるさく回っている。

やがてシュルディアは小さな手を伸ばして、サビのゴツゴツした手をそっと握った。


「サビさん。それでも……それでも、私は……満足したいです」


震える手を見て、サビは少し考え……。

そして飛空艇に響き渡ったサイレンの音に顔を上げた。

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NEZI 天寧霧佳 @amanekirika

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