眼 part.5

少年には何もなかった。

家族も、友人もなく。

頼れるものも、守るものもなく。

大事なものもなかった。

彼は、ただ生きていた。

死なないためには何でもやった。

人もたくさん殺してきた。

戦争のどさくさに紛れて、強盗だって幾度も繰り返した。


少年は、それが悪いことだとは微塵も思わなかった。


周りも同じことをしていたからか。

違う。

摩耗していたのだ。

正論など、少年でさえもとうの昔に自覚はしていた。

それくらいの理性はあった。


だが、理性で腹は膨れない。

体は動かない。

世界は圧倒的に冷たく。

そして、少年に対して無関心だった。

重火器の使い方は独学で覚えた。


初めて人を撃ち殺した時。


少年は、何も感じなかった。

ただ、その死体に変わった存在に近づき、踏みつけて死んだのを確認し、持ち物を奪っただけだった。

繰り返した。

何度も何度も。

どうして人を殺すのか。

どうしてそうしないと生きていけないのか。

少年に、それは分からなかった。


ある日、彼は帝国の大規模な人間狩りに捕らえられた。

彼のような野党を目標とした、人体サンプル収集のヒト狩りだった。

彼は、そこで様々な薬を投与された。

激痛を生むもの。

呼吸ができなくなるもの。

思考回路が働かなくなるもの。

体中から血が吹き出すもの。

苦しみ。

憎しみ。

ありとあらゆる黒いヘドロを、少年はそこで吐き出した。


それはただ、少年の地獄の延長線上のことだった。



戦争は終わった。

唐突に、その戦いは終焉を迎えた。

同時に使用されていた何もかもが、「意味」を持たなくなった。

何もかもが無意味になった。

全ての兵器は無価値になり。

そして、破壊され尽くした世界は、緩やかに崩壊に向かって足を進め始めた。

汚染された大地は穢れを浄化しきれず。

崩れた大地は地殻変動を繰り返し。

放射能と汚泥に覆われた地表に棲む生き物は次々に消え去っていった。


戦争は終わった。

終わった筈だった。


しかし、少年にとっては何も終わっていなかった。

彼の中に持つ憎悪も、苦しみも、悲しみも、何一つとして消えはしなかった。


「終わった」


そう聞いても、何の実感も得ることは出来なかった。

信じることなど出来るはずもなかった。

だって。

だって。

終わった先の世界に待っていたのは。

変わらず、無関心な黒い世界。

何も変わらず、少年を拒絶し続ける硬い世界。

そこにも少年の居場所はなく。

それは、産まれたときから変わらなかった。


少年は何も持っていなかった。

守りたいものも。

守るべきものも。

未来もなかった。


だから何も終えることが出来なかったのだ。

崩れ去る世界の中で、少年の中ではまだ。

まだ、いつまでも、どこまでも。

戦争は続いていた。



彼は殺した。

生き残った人間を、得た力で数限りなく駆逐した。

奪った。

生きるために、食料を。

薬を。

頭痛を止めるために。

誰に護られるわけでもない、無価値な自分の命を繋ぐためだけに、彼は生きた。

生きざるを得なかった。

死ぬという選択肢は彼にはなかった。

それくらいの理性は、未だ彼の中にくすぶり続けていた。

死んだらどうなる?

物言わぬ血袋に変わるだけだ。

汚物を中に詰め込んだ肉の袋だ。

動かなくなったそれに変わる。

意識はどうなる?

そこまでは分からなかったが、彼はきっと、それは何よりも恐ろしいことなのだろうと思った。


思っていた。



「そこで、何をしているんですか?」


不意に問いかけられ、少年はぼんやりと、座り込んで放射能で汚染された黒い海を見ていた視線を、背後に向けた。

敵意は感じなかった。

だから、気づかなかったのだ。

後ろに立っていたのは、年頃十七、八歳程の少女だった。

長い金髪を首の後で編んでいる。

美しい少女だった。

殺してしまおうかとも一瞬思った。

が、少年は衰弱していた。

襲った場所には、彼の「症状」を緩和する薬がなかった。

疲労と頭痛。

倦怠感。

少年は懐に手を入れてサバイバルナイフを指先で弄りながら、近づいてきた少女に言った。


「消えろ」


一言拒絶した。

少女は掠れた少年の声を聞いて、少しの間驚いたような顔をしていたが、やがて意を決したのか近づいてきて、少年の脇にしゃがんだ。


「……酷い顔色。私は医者です。チアノーゼが出ているわ。こんな所にいたら、直に砂嵐が来て行き倒れてしまう。近くに私のシェルターがあります。来ませんか?」

「…………医者?」


少年はその言葉の意味が分からず、聞き返した。

それが意外だったらしく少女は少し戸惑ってからゆっくりと繰り返した。


「はい、私は医者です。何て言えばいいのかな……もしかして外国の方ですか?」

「…………医者だから、何だよ?」


少し、このアホな人間と会話をしてみよう。

そう思ったのは全くの偶然だった。

少年の力ならナイフを取り出し、たちまちのうちに少女の喉笛を切断、殺害をすることが可能だった。

それをしなかったのはタダの気まぐれ。

そう、意味はなかった。


「あなたを、楽にしてあげることができます」


金髪を風になびかせながら、少女は続けた。


「最も……ここにあるのはあまりいい薬や資材ではないですけど……とりあえず、あなたの顔色は最悪だわ。早く温かいところで休まないと、命に関わると思います」

「命に……関わる?」


また繰り返し、少年は小さく笑って海を見た。


「ハハ……」

「…………」

「何で俺が怖くないの?」


問いかけられ、少女は横目で、血まみれのマントを羽織っている少年を見た。

そして彼の顔に視線を戻す。


「患者を怖がる医者はいませんよ」

「俺をシェルターに連れ込んだら、アンタを犯して殺すかもしれない」


端的に発した言葉だったが、少女は意外なことに鼻を鳴らして笑ってみせた。


「私を?」


意外なその反応に、少年は真っ青な顔を上げた。

そこで彼は初めて、少女の体からモーター音がしていることに気づいた。

何割かは分からないが、機械化している。

表向きは人間には見えるが……。

この余裕は、そこから来ているのだろうか。


「そうしたいのなら、どうぞ。ご自由に」


しかし少女から発せられた言葉は、彼の言葉を否定するわけでも、拒絶するわけでもなかった。

ただ、単純な肯定。

彼を許容する言葉だった。


「…………何で?」

「でもその前に、あなたを助けさせてください。元気になったら、私を犯すなり殺すなりすればいいです」


意味が分からず、そこで初めて少年は目を白黒とさせた。

本当に彼女の言葉の意味を、理解することが出来なかったのだ。

少女は、少年に向かって手を伸ばした。


「この辺りはダラウランの放射能が強いですから。体にも良くありません。安心してください。シェルターには私しかいませんから」


差し出された手をどうしていいのか分からず、少年はぼんやりと、落ち窪んだ目でそれを見た。

少女はもう少し身をかがめると、少年の手を無理やり握った。

彼が懐で弄んでいたサバイバルナイフが、ガランと音を立てて地面に転がった。

それを気にする風もなく、少女は立ち上がると、細い腕で少年の手を引いた。


「ほら、立って。砂嵐が来ます」


戸惑いの表情を浮かべながら、少年は立ち上がった。


「私はエレオノール。あなたのお名前は? 何というのです?」


エレオノールと名乗った少女に、少年は怪訝そうな目を向けた。


「名前……?」

「ええ。教えてくださっても構わないでしょう?」


手を優しく握られる。

温かい手だった。

血にまみれて汚れ、ゴツゴツした少年の穢れた手を、彼女は白い指でしっかりと握っていた。


「…………アラガルン」


少年は、サバイバルナイフを拾い上げず。

ただ一言、自分の名前を呟くように言った。

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