涙の価値は part.5

所狭しと医療道具が並んでいる部屋を見回し、少女は僅かに警戒したような表情をした。

左側の壁一面に、大きな三角フラスコが並べられている。

その中に、人間の脳のようなものが、緑色の液体に浸されて浮いていた。

フラスコ一つにつき一つ。

異様な光景だった。

彼女の視線を追ってから、グスタフは何でもないことのように言った。


「ああ……あれか? フリークの脳だ」


ビクッとして自分を見上げた少女に、大男は小さく笑ってみせた。


「安心しろ。全部死んでる」

「え……? フリークの脳って……」

「何も殺して抜き取ったんじゃない。大半は処刑された検体を譲り受けたものだ」

「処刑……」


少女は肩をすぼめて下を向いた。

唇を噛んで黙り込んだ彼女から、グスタフは視線を離した。

その端で、部屋の隅で熟睡していたサビが身じろぎをして大きくあくびをするのが見えた。


「起きたか。結構寝ていたな」


呼びかけると、サビは口元を手で拭いながら目を開けた。

そして軽く頭を振る。


「……どのくらい寝てた?」

「十二時間ってとこだな」

「成る程」


そう答え、首の骨をコキコキと鳴らしながらサビは立ち上がった。

そして伺うように自分を見上げている少女に、大股に近づく。


「あ……あの……」


おどおどと声を出した少女を無視し、サビはポケットに手を突っ込んだまま彼女の体を一瞥した。

そしてグスタフを見る。


「サージェアンデはまだあるか?」


問いかけられたグスタフが、口を開けてポカンとする。

しばらくして我に返り、彼は頭を抑えてため息をついた。


「……お前な。あの組織なら五年くらい前に、インターポールの一斉検挙を受けて消滅したよ」

「…………」


サビはそれを聞き、予想外だったのか一瞬目を丸くした。

そしてフゥ、と息をついてフードを被る。


「……そうか」


そして出口の方に足を向ける。

グスタフが慌ててその背中に声をかけた。


「おい、この子はどうするんだ?」

「…………」


足を止めて、サビは振り返った。


「サージェアンデが潰れているなら、どうしようもないな。引き取ってくれ」

「お前な……」


呆れたように息をつくグスタフとサビの顔を交互に見上げ、少女は心細そうに口を開いた。


「あの……私……」

「…………」


サビが感情が読めない目で彼女を見る。

グスタフはスキンヘッドの頭を掻きながら続けた。


「インターポールが来ているらしい。今は外に出ない方がいいぞ」

「…………」

「サビさん……?」


そこでおどおどと少女が言った。

サビが顔を上げて彼女を真っ直ぐ見る。


「何だ?」


投げやりにそう返した彼に、少女は怯えたような表情をひきつらせて、少しだけ笑ってみせた。


「ありがとう……出してくれて……」

「…………」


礼を言われたのが意外だったのか、サビはポケットに手を入れたまま足を進め、ソファーに腰を下ろした。

少女が、彼が自分を見たのを確認して安心したように続ける。


「私……シュルディアって言います。もう、お外には出れないと思ってた……」

「…………」


グスタフが何かを言いかけ、しかし口をつぐんで冷蔵庫に近づく。

そして中から瓶を取り出してサビに投げた。

サビが炭酸飲料の瓶を受け取り、蓋を開けて中身を口に流し込む。


「……何で捕まってた?」


しばらくしてサビに静かに聞かれ、シュルディアと名乗った少女は少し沈黙した。

俯いて毛布を掴んだ彼女を、淡々と見ているサビとの間に割り込むようにしてグスタフが口を開く。


「この子もフリークだろう。珍しいB型因子の個体だ。自然発生型だな」

「知ってる」


サビはポケットに手を入れて、真珠の大粒を取り出した。

それをグスタフに放る。

大男が器用に真珠をキャッチして


「ほう……」


と呟いてそれを見た。


「酷い有様だったとは思う」

「これは珍しいな……ポール・ランドリフが監禁していたのも分かる」


グスタフは真珠をテーブルに置いて、シュルディアを見下ろした。


「残念ながら、今の社会でフリークに人権はないからな……辛い目にあったな」


唇を噛んで何かを押し殺している様子の少女を見て、サビは言った。


「お前を保護組織に引き渡すつもりだったが、どうやらそこはインターポールに潰されているらしい。中途半端になるが、後はグスタフに任せる。俺はやることがあるから、朝にはここを出るよ」

「あのな、俺は便利屋じゃねえんだぞ……」


グスタフが迷惑そうに呟く。

そこでシュルディアが、伺うように体を縮こませながらサビを見た。


「私……あの……」

「…………」

「…………どうなるんですか…………?」


その怯えたような目を見て、サビは吐き捨てるように言った。


「…………知るか」

「…………」


ビクッとして縮こまった彼女の様子に、グスタフが慌てて口を挟む。


「怯えさせるな。まだ小さな子供じゃないか」

「…………」


サビはフードを被り直して、息をついた。


「俺を追ってインターポールのジョゼ・クリストファー・ケントがここに来てる」

「何だって……?」


その名前を聞いて、グスタフが青くなって腰を浮かせた。

サビが怪訝そうな顔をしたシュルディアを一瞥してから続ける。


「アレはザンジバルのフリーク駆除部隊の生き残りだ。俺達に対して容赦がない」

「それは……確かにまずいな。研究所も動いているのか?」

「おそらく」

「上層で旧式機械化人間を殺して回っているのは、お前の知り合いなのか?」


問いかけられて、サビは少し沈黙してから答えた。


「……知らない個体だ。何があったのかも、分からない。ここに入った時に偶然遭遇して交戦した。かなり強力なフリーク能力を持っている」

「上層の騒ぎはそういう訳だったのか……」


腕組みをして息をつき、グスタフは言った。


「なら、尚更しばらくはスラムを出ないほうがいいだろう。インターポールの犬は凶暴だ」

「…………」

「それに、お前……約束は破らない主義じゃなかったのか?」

「何の話だ?」

「この子を保護組織に連れて行くって約束だ。したんだろう?」


大男がそう言って、手を伸ばしてシュルディアの頭をグリグリと撫でた。


「約束を守るのが男じゃないか」


深くため息をつき、サビは口を開きかけた。

そこで弾かれたように顔を上げ、彼は発しかけていた言葉を飲み込んだ。

彼の様子を見て、グスタフが息を呑む。


「おい、嘘だろ。もう気づかれたのか?」

「……さすがジョゼだ。俺を殺す気満々ってとこだな」


歯を噛んで、サビは立ち上がった。


「世話になった。朝まで待つ訳にはいかないようだ。迎撃する」

「待て、サビ。この子のフリーク因子の反応を辿られているのかもしれない」


グスタフがそう言って続ける。


「一度手をかけた患者を、俺は放り出す気はない。同行するよ」

「お前には関係のないことだ」

「巻き込んでおいてよく言う。俺の身も危険なんだよ」


テーブルの上の機材を慣れた手付きでカバンにかき入れているグスタフから視線を離して、シュルディアは呆れたように息をついたサビを見上げた。


「私……あの……」

「…………」

「連れてってください。お願いします……」


そのすがるような目を見て、サビは一瞬驚いたように息を呑んだ。

そして彼は、グスタフを見た。


「小型飛行船は手配できるか?」

「任せろ。俺の持っている市民カードがまだ効くはずだ」

「仕方ない……行くぞ」


サビはそう言って、ポケットから薬瓶を取り出して中身を口に開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る