涙の価値は part.4

眩しさに目を細める。

久しぶりの太陽の光だった。

目の裏がチカチカし、砂臭い空気が肺に入ってきて咳をする。

サビは下水坑から少女を引きずりあげると、路地裏にドカリと腰を下ろした。

そして懐から薬の瓶を取り出し、よく振ってから中身を口に空ける。

ボリボリと錠剤を噛み砕いた彼から、少し離れた場所でガヤガヤと人通りの喧騒が聞こえて来る方に目をやり、少女は怯えた顔で周りを見回した。

体が下水で汚れていて、太陽の熱でそれが気化し、白い湯気を立てている。

ざんばらの髪の毛の間からサビを見て、少女はそして、自分の右足に食い込んでいる鉄の輪を見た。

鎖がボロボロになり、外れている。

輪だけは足首に食い込んでいて取れなかったようだ。

指先でそれを撫でている少女を横目で一瞥し、サビは手を伸ばし、彼女の手の平を引き寄せた。

そして薬瓶を振って数粒の錠剤を、少女の手の平に振り出す。

ポカンとした彼女に、サビは路地の壁に背中を預け、荒く息をしながら言った。


「……慢性的に頭痛がするはずだ。それを食えばだいぶ楽にはなる」


言われた通りに、恐る恐る口に入れる。

噛み砕くと、砂糖菓子のような甘い味が口の中に広がった。

小さく咳をしながら飲み込む。

サビは懐から携帯端末を取り出していじり始めた。

少女が少しして、不安げにおどおどと口を開いた。


「あの……」

「…………」


横目を向けたサビに、彼女は小さな声で続けた。


「あの、ええと……」

「『サビ』だ。呼びたければそう呼べばいい」

「サビさん……?」

「何だ?」

「……あの、私を殺すんじゃなかったんですか……?」


怪訝そうにそう聞かれ、サビは携帯端末をポケットに突っ込んでから答えた。


「気が変わった。それとも死にたいか?」


短く問いかけられ、少女は呆けたような顔で少年を見上げた。

本気で意味がわからない、という顔をされてサビはその目から視線を離した。


「立て。この街の下層に、フリークを保護している組織がある。そこまで送ってやる」

「…………」


命令されるように言われ、少女は慌てて壁に掴まりながら立ち上がろうとした。

しかし、足に力が入らず、ストンと腰を抜かしたようにへたりこんでしまう。

サビはしばらく、立とうとして震える少女を見下ろしていたが、やがてしゃがんで手を伸ばした。


「ほら、掴め」


少女はしばらく、その差し伸べられた手の意味が分からなかったようだった。

しばらくして、怯えるように手を伸ばし、そっとサビの手に触れる。

少年は彼女の手を握り返すと、力を入れてひょい、と掴み起こした。

よろめきながらなんとかバランスを取る少女を、マントに抱え込むようにして支える。


――鉄の焦げるような臭いがした。


淡々とした表情のサビを見上げ、少女は裸足の足をゆっくりと踏み出した。

そしてよろめきながら歩き出す。



道を事前に検索していたらしく、サビはスムーズに裏路地を進んでいき、やがて鉄骨がいびつに組み合わさった、奇妙な場所に出た。

いわゆる、帝都の地下に近い場所……貧民街だった。

出生登録もされていない人間が多数暮らしていて、上層の法律で監視された社会とは一線を画した危険な側面を持っている場所だ。

頭をフラフラさせながら荒く息をついている少女は、もうほとんどサビに抱えあげられているような形だった。

体力はすでに限界を迎えていて、体中の痣がズキズキと痛む。

思考力は既に痛みでかき消されていた。

サビは意識が朦朧としている痩せきった少女を脇のマントでくるむと、片手で抱えて、鉄骨で構成された階段を駆け下りた。

夕方近くの貧民街は、どんよりとした空気と砂の臭いに満ちていた。

空気の浄化装置がうまく働いていないのだ。

道をゆうゆうと歩くサビが異様なのか、道端に座り込んでいる貧民街の住民達が、野犬のような濁った目で彼を見上げる。

彼は、裏路地の奥に、半分壊れた電光掲示板が出ている店の前に立った。

そして扉に手をかけようとする。


「異国の冒険者かぁ? ああ?」


そこで挑発的な声を投げかけられ、サビは手を引っ込めて振り返った。

汚らしい身なりをした男達が、抜身の拳銃を持ってヘラヘラと笑っていた。

サビがフードの位置を直して、彼らに向き直る。


「何か持ってンな? 荷物と持ってるモンを全部置け」

「機械化人間ならパーツを売れるぞ」

「目を欲しがってるクライアントがいたな」

「何突っ立ってやがる!」


サビを囲むように詰めてきた男達に、彼は冷たく言った。


「……しばらく来ない間に、随分と物騒になったな」

「何ィ?」

「俺に手を出してもいいが、グスタフに消されるぞ」


その名前を聞いた途端、男達の顔色が変わった。


「てめぇ……!」


激高して拳銃を構えた彼らの目の前で、店の扉が開いた。


「何やってンだ。俺の店の前で」


サビよりも遥かに大きな巨体だった。

ゴリラのような膨れ上がった上半身をした、半機械化人間だ。

彼はスキンヘッドの頭に、ゴーグルのような視界システムを取り付けていた。

モーター音をさせながら男達を見た彼が、もう一度口を開いた。


「何だ? ドンパチなら別のとこでやれ」

「グ……グスタフの旦那! この小僧が、あんたの名前を……」

「小僧……?」


怪訝そうにそう言い、グスタフと呼ばれた男は足元にカメラアイを向けた。

軽く口の端を歪めたサビが手をあげる。


「よお、グスタフ。久しぶりだな」

「……お前、まさかサビか!」


素っ頓狂な声を上げ、グスタフは巨体を揺らしながら店から出てきた。

そして周りを見回し、キョトンとしている男達に向けて口を開く。


「散れ! ここでこいつに会ったことは誰にも言うな」


短く言って、男達の先頭にいた者に、ポケットから取り出した薄汚れた札束を握らせる。

男達は顔を見合わせてから青くなり、たちまち背を向けて路地に消えていった。


「何をしてるんだこんなところで!」


グスタフが早口でそう言い、サビを店の中に招き入れる。

彼が入ったのを確認して、電気をつける。

背後でグスタフが扉に鍵をかけている音を聞きながら、サビはそこ……医療施設のようなこぢんまりとした部屋の中を見回した。


「……まぁ、もしかしたら訪ねてくるとは思ってはいたが……」


ズン、ズンと足音を立てながらサビの脇を通過し、グスタフが向き直る。


「いきなりすまん。来る予定はなかったが、ちょっと事情が変わってね」


ドサ、と意識を失っている少女を床に落とし、サビはその脇に座り込んだ。

やせ細ってボロ布のようになっている少女を見て、グスタフが怪訝そうな顔をする。

彼は近づいてきて、気絶している彼女の脈をとってから、太い指でそっと、そのまぶたを開いて覗き込んだ。


「……どこで見つけた?」

「ポール・ランドリフが地下室に監禁していた。それ以上でもそれ以下でもない」

「……ハッ! あの旧式機械化人間か!」


グスタフは鼻を鳴らして笑うと、ひょい、と片手で少女を掴み上げた。


「さっきニュースで、上層の事故に巻き込まれて死亡したって流れてたよ」

「そうか」


どうでも良さそうにそう返し、サビは大きく欠伸をした。


「悪い、随分と寝てないんだ。少し寝させてもらってもいいか?」

「それは構わんが、お前、この子どうすりゃ……」


言いかけたグスタフが口をつぐむ。

少年は壁に背中を預けて、既に小さく寝息を立てていた。

巨体を揺らした機械化人間が、頭をボリボリと掻いて、脇のソファーからブランケットをつまみ上げて彼にかける。

そしてグスタフは、少女を掴んだまま店の奥に消えた。



ゴウン、ゴウン、と採掘機が鳴る音がする。

微振動を繰り返す空気の中で、少女はやつれきった目を開いた。

いつも頭が割れるように痛かったのに、今は頭痛の元を掻き出されたかのように、思考がクリアだった。

サビに抱えられるようにして路地裏を走り、途中で疲労に耐えきれずに意識が遠くなって……。

それから覚えていない。

そこでやっと、彼女は自分が薄汚れたソファーに寝かされているのに気づいて身じろぎをした。

カラン、カラン、と脇の点滴台が揺れて、近くの椅子に座って端末のパッドをいじっていた男が、巨体を揺らして振り返る。

点滴台には輸血剤のようなものが引っかかっていて、チューブから針が少女の肩に刺さり、テープでとめられていた。


「起きたか。まだあまり動かないほうがいいぞ」


彼はヌゥ、と立ち上がって少女に近づくと、点滴の調整機を指先でいじった。

そのカメラアイをポカンとして見ている小さな女の子に、彼は笑いかけてみせた。


「気分はどうだい? だいぶ楽になったとは思うがね」

「え……あの……」

「ああ、これか?」


指先でトントンとカメラアイをつついてから、彼は続けた。


「大戦で目と脊髄をやられてね。機械化してるが、3割は人間だ。グスタフと呼んでくれ」

「グスタフ……さん?」

「ああ」

「ここは……?」


掠れた声で問いかける。

グスタフはソファー脇の椅子に腰を下ろしてから腕組みをした。


「ここは、帝都の地下C区画のスラムだよ。サビが、君を運んできた」

「サビさんが……」


ポカンとして、体にかけられた汚れた毛布を見る。

柔らかいところで暖かくして寝るのは、本当に久しぶりのことだった。

ボロボロになっていた服から、やけにダボついた布の服に着替えさせられているのを見て、少女は不思議そうに首を傾げた。

髪の毛も、洗ってもらったらしく少しまとまりが出ている。


「ああ、君の手当をしたのは俺だ。安心しろ、やましい気持ちはない。俺は医者だからな」

「お医者さん……?」

「そうだ。別にスラムに住んでいて、警察の世話になるような法律はない」


そう言って彼はタブレットをいじってなにかのデータを見ながら続けた。


「随分と痛めつけられたようだな。体の所々を縫っているから、しばらく激しい運動はできないと思うよ」

「…………」


ゆっくりと上半身を起こして、少女はそこで、右足から鉄の音がして動きを止めた。

毛布の端から覗いた右足首に、ガッチリと鉄の輪がはまっていた。


「…………」


何とも言えない表情でそれを見ている少女に、グスタフは頭をボリボリと掻きながら言った。


「ボルトが骨と一体化しちまっててな。足を機械化すれば外せないこともないんだが……」


少女はやつれた顔でグスタフを見上げ、小さく笑ってみせた。


「頭が……痛くない。グスタフさん、ありがとう……」

「礼なら俺じゃなくサビに言うんだな」


親指で部屋の隅を指したグスタフの視線を追い、少女は壁にもたれかかって眠っているサビを見た。

フードの奥で体が上下している。


「寝てるの……?」

「しばらく寝かせておいてやれ。フリーク能力は体力を消耗するらしいからな」

「フリーク……」


その単語を繰り返し、少女は頭を抑えた。

不意に、鞭を振り上げる無機質な男の顔がフラッシュバックしたのだ。

その様子を見て、グスタフは立ち上がると冷蔵庫に近づいて、扉を開けて瓶を2本取りだした。

そして蓋をねじりきって、一本を少女に渡す。


「飲みなさい。元気が出る」

「……ありがとう」


小さく笑いかけて、少女は液体を口に入れた。

ビリビリする刺激が口の中を跳ねる。

薬臭い炭酸飲料だった。


「……サビさん、フリークなの……?」


少女に問いかけられ、グスタフは答えづらそうに言葉に詰まってから、視線をそらした。


「ン……うん。まぁ……な」

「私を、助けてくれたの……?」


恐る恐る聞かれ、グスタフはしかしそれには肩をすくめてみせた。


「さぁな」

「…………」

「俺も詳しいことは知らん。少し前に君をつれてここに転がり込んできた。だいぶ消耗してる」

「私、途中で気絶しちゃったみたい……」

「体力の限界だったんだろうさ。栄養剤をもう少し点滴すれば、ある程度は回復する」


安心させるようにそう言い、グスタフは息をついた。

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