第59話 氷室辰巳の選択~自分のやるべきこと~

「ちょ、ちょっと!あんた、勝負を降りるって、何言ってんのよ!?」


 俺の辞退宣言の後、一瞬静まり返った後、最初に口を開いたのは市川だった。


「別に。どうもこうもねぇよ。相手は学校の援助を受けられる“特待生”。しかも自分自身が権力を振るえる理事メンバー。方やこっちはただの一般生徒で過去に酒々井にボロ負けしてる。――どう考えたって無理ゲーだろ」


 詰め寄ってくる市川に対し、開き直ったような口ぶりで返す。

 ふと、習志野の姿が目に入り、自分の中にじわじわと罪悪感が湧きあがってくる。

 しかし、俺はそれを振り払う。


「そんなの今までだって――」

「今までは少しでも勝つ見込みがあったから、それに賭けただけだ。今回は勝つ見込みなんて微塵もない。例え、お前や葛西達が協力してくれたとしても、だ」

「でも!そんなのやってみないと分からないじゃない!!」

「分かるね。酒々井はウザい奴だが、俺達なんかよりずっと頭はかなりキレる。それに加えて特待生とか理事メンバーとかチートまで用意してやがる。勝つどころか惨敗するのが目に見えてる」

「でも――」

「それに、俺は負けたら退学に加えて、就職先がアイツの使用人になるっていうペナルティまでついてやがる!勝っても現状維持、負ければ地獄、――リスク満載の勝ち目のない勝負に挑むバカなんているわけねぇだろ」


 一気に喋り終えると、教室は静まり返った。


「…じゃあ、習志野さんはどうするのよ?見捨てるの!?」

「だから今謝っただろ?それに俺は、元々将来働かずに楽して生きるためにこの学校に入って、今まで頑張ってたんだよ。それが何で将来のリスクを背負ってまで勝負しなきゃいけねぇんだよ。そんなことするくらいなら、俺は大人しく2番手、3番手で卒業できるように頑張るよ」


 俺だってできることなら習志野を助けてやりたい。

 ただ、勝算のない勝負に掛け金が自分の将来…。そんな勝負到底挑む気にはなれない。

 それなら俺にできることは、変な期待を残さないことくらいだろう。


「アンタってやつは……!見損なったわ!!アンタがそんな腰ぬけ野郎だったなんて思わなかった!!」

「別にお前にギャーギャー言われる筋合いはねぇだろ。――俺とお前はただのクラスメートなんだから」

「っ!もういい!!」


 そう言って、市川は勢いよく教室の扉を開けて飛び出していった。

 再び教室は沈黙する。

 自分でも情けないのは十分自覚してる。

 結局は酒々井にビビって逃げているだけだってことも自覚してる。

 習志野を見捨てることになってしまうことに罪悪感も感じている。

 でも…頑張ったところで無理なものは無理だ…。

 野球選手を目指す少年達が全員夢を実現できないように…。

 全員が志望校に合格できないように…。


「とりあえず、私が教えられることはこれくらいだ。後のことはお前らが決めろ。それじゃあな」


 そして、沈黙に居た堪れなくなったのか、大井先生が気まずそうな表情を浮かべて、教室を後にした。

 教室はなんとも気まずい空気が流れ続ける。


「あ、あの…すみません…。私のせいでこんなことになっちゃって…」


 そんな中、最初に沈黙を破ったのは習志野だった。


「いやぁ、別にこの空気は栞ちゃんのせいじゃないと思うけど」

「でも元凶は私です。――たっくん、いろいろと迷惑かけてすみません。それと、今まで何度も助けてくれてありがとうございました。短い間ですけど、一緒に居られて本当に楽しかったです」


 習志野が笑顔を向けて語りかける。

 今はその笑顔が一番キツイ…。


「やっぱり、私はたっくんのことが大好きです!たっくんと離れたくありません!だから私は、自分にできることはやってみます。無理だということは分かってます。でも、だからと言って、何もしないまま諦めるなんてできません!」


 習志野の言葉一つ一つが俺の心に重くのしかかる。


「たっくんと一緒に卒業して、結婚する!これは私の夢です。自分の夢は自分で掴まなきゃ意味ないですから。――だからせめて、たっくんは見守っていてください。私が夢のために足掻く姿を…。そして、その結末を…」


 習志野は言葉を一旦切るが、俺はそれに対して何も答えられない。


「こんな私ですけど、もし、この件を乗り越えられたら、もう一度パートナーに選んでもらえると嬉しいです」


 そして、最後には笑いながら泣いていた。

 こいつは自分がピンチなのに、見捨てようとしている俺に怒るわけでも、失望するわけでもなく、さらに助けを懇願するわけでもなく、まだ信じようとしている。

 そんな習志野を見ても、今の俺は何もしてやることができないし、言葉を投げかけてやることすらできない。

 さすがに自分の無力さに嫌気がさしてくる。


「それじゃあ、行ってきますね」


そう言い残して、習志野も教室を後にした。

俺はその後ろ姿をただ、歯噛みして見送ることしかできなかった…。


そして、最後に教室に残ったのは意外な二人…。


「追いかけなくていいのかい?」


最後まで残っていた、葛西がいつもとは少し違う、真剣味のある声で話しかけてきた。


「別に。追いかけてどうすんだよ」

「『やっぱりお前のために酒々井に挑むよ!』とか言えばいいんじゃない?」

「だからやらねぇって言ってんだろ」

「やっぱり本気なんだね」

「ああ」


そして、今日何度目だろうか、再び沈黙が流れる。


「一応、もう一度聞くけど、君が酒々井君に勝負を挑まないのはなぜだい?」


しばしの沈黙の後、葛西が口を開く。


「だから言ってんだろ。勝ち目が――」

「嘘はなしでね」


葛西が俺の言葉を遮る。

その表情はいつもとは全く別人な、実に真剣な表情だった。


「確かに習志野のことは助けたいし、酒々井なんかに渡したくないと思ってる。だけど、勝ち目もなく、リスクは特大。そんな勝負に挑む程、俺は物好きじゃない」

「へぇ―。勝ち目がない勝負ねぇ」


 俺の答えを聞き、葛西は嘲るような笑みを浮かべ、俺を見やる。


「…何だよ?」

「別に。ただ、君は面白いことを言うなぁって思っただけだよ」

「……」


 あからさまに俺を逆なでするような物言いに、思わず目付きが鋭くなってしまう。

 しかし、


「勝ち目がないって何で分かるのさ?」

「だから何回も言ってんだろ!酒々井は――」

「まだ、勝負内容も決まってないのに?しかも、勝つための勝負方法を考えもしてないのに?」

「!!」


 葛西に言われて初めて気付いた。

 酒々井と自分のスペック差を知り、俺は無意識に考えることすら辞めてしまっていた。


「いつもの君なら、勝つ見込みがなくても、まずいろいろと考えるはずだよ。そして、僕も思いつかない程の面白いことを思いつく。だから君と一緒にいると面白いんだよ」

「……」

「だけど、今の君は考えることを放棄してる。そして、勝手に被害者ぶってる。――いろいろと理由をつけてるけど…結局君は、酒々井君が怖くてビビってるだけなんでしょ?」

「!!そんなこと……」


 咄嗟に言い返そうとするが、何も言い返せなかった。

 言い返そうとして、葛西が核心を言い当てていることに気付いたから。


「まぁ、どの道今の君には興味ないね。今の君は全く“面白くない”」


 そう言って、葛西は扉の方へと歩いていく。

 そして、扉の前で立ち止まると、


「僕は栞ちゃんを手伝うことにするよ。あっちの方が面白そうだからね。――やるべきこともやらないで勝手に絶望してる奴に構ってても時間の無駄だしね。――それじゃあ」


 振り返りもせず、それだけ言い残すと、そのまま教室を出て行った。


「言ってくれるじゃねぇか」


 葛西が去った後、一人残された教室で、苦笑交じりに呟く。


 実際、葛西の言うとおりだ。

 ろくに足掻きもしないで、勝手に勝負を放棄して習志野を見捨てた。

 心のどこかで、酒々井には敵わないと決めつけていたらしい。

 相手は特待生で学校理事メンバー…。勝機はほぼない…。

 そんなことは誰でも分かってる。

 それでも、習志野や他の連中は足掻こうとしている。

 俺なんかよりもよっぽど勝つ見込みのない習志野でさえ……。

 別に足掻いたところで勝つ見込みなんて見つからないだろう。

 しかし、それでも……


「俺も、今やれることくらいやっておくか。まぁ、勝算のある勝負方法考えるところからだな」


 何もやらないよりはマシなはずだ。

 市川や習志野、葛西達の言葉を受け、少しだけ前を向いてみようと思った。

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