奇跡の卵と超常現象

 いよいよ向舞祭直前のリハーサル、にも関わらずインターフェイスチームは相変わらず自由と言うか、ぐだぐだと言うか。

 圭斗は安定の瀕死状態だし、加賀さんは日焼けを気にして長袖のパーカーを脱ごうとしない。カズは3年の中じゃ唯一ぐだぐだじゃないかなって感じがするけど、大石はリハ前なのにバイトに行ってから来るとかで自由だ。

 で、俺な。正直MC組の中では一番喋る技量が低いから、やらかしたらどうしようって胃がキリキリしてて。いや、もちろんプロのMCの人だっているし俺たちがやるのは所詮その補佐なんだけども。でもなあ、何て言うか、イメージについて来ないじゃんな、自分の能力が。

 いつもは自称ステージスターにいろいろ要求してるけど、それを自分がいざやろうとすればからっきしなワケで。いや、マジで山口は凄い。Pとしてはまだまだいろんなことを要求したいけど、MCの立場に来ると凄さが分かる。Pとしてはアイツはこんなモンじゃないと思ってるけど。


「おはよー」

「あ、ちーちゃん来た! バイトお疲れ!」

「何とか間に合ったかな。あ、何か食べる時間あるかな」

「20分前だし、かっ込めば行ける行ける! ちーちゃん食べるの早い方だし」

「じゃ、ちょっとゴメン、お昼食べるね」


 午前中の仕事を終えた大石がドタバタと駆けこんで来た。と言うか向舞祭の練習があるとわかっていてバイトを入れるとか正気の沙汰じゃない。いや、でも大石の事情的にはちょっとでも稼いどかなきゃいけないってのもわかるんだけど。


「えっ、ちーちゃんお昼ゆで卵だけ?」

「あっ、これねー社員さんにもらったんだよ。会社でちょっと時間押しちゃってさー、買ってたら間に合わないかもーって焦ってたら、持ってけって言って」

「でも多いね。10個はあるよね」

「うん、さすがにゆで卵だけをこんなにいっぱいも食べないから、よかったらみんなも食べて」

「じゃあいただきまーす。カオル! カオルもゆで卵食べるでしょ? 卵好きだよね!」


 そう言ってカズから渡された卵がひとつ。他には調味料も何もない。何をかけて食べればいいんだと大石に聞けば、最初から塩味がついてるから何も付けなくても平気だと言う。コンビニとかにそういうゆで卵があるけど、家庭でも出来るのか。

 とりあえず、受け取ったゆで卵の殻にヒビを入れる。そして剥く。で、齧る。う、美味いじゃないか。尖り過ぎない塩加減、しっかり真ん中に来た黄身の位置、そしてその固まり具合。とろとろでも固ゆででもない絶妙な半熟。しかも、皮が剥きにくかったからこの卵はいい物なんだ。


「わっ、美味しい。塩見さんさすが」

「ちーちゃんこれ美味しいね! まんまでこんな上手に味がついてるとか。相当やり慣れた人だよ」

「お昼はゆで卵ばっかり食べてる人なんだー」

「やっぱり。ねえカオル美味しいよね」

「天才か…? これを茹でた人は天才なのか…? コンビニで買うと2個146円(税込み)だぞ。いや、それでも買う価値はあるんだけど、ええー……いや、美味い。大石、もう1個食っていいか」

「いいよー、朝霞は卵好きだもんねー」

「俺今日飯食えてなくてさ」

「えっ、どうしたの?」

「いや、当日やらかしたらどうしようって急に不安になってきて。普段からマイク通して喋るワケじゃないからさ。それで今日の朝は飯が喉を通らなかった」

「じゃあこれ食べて! 食べないとこの暑さじゃもたないから!」


 まだまだ食えと大石が俺に2つ3つとゆで卵をよこして来るけどさすがに3つは食わない。2つなら食うかもしれないけど。まあ、それだけ美味いししょうがない。って言うか大石にこれを持たせた社員の人は大丈夫なのだろうか。自分の昼飯だったんじゃないのか。


「大石、お前にこれを持たせた社員の人は大丈夫なのか」

「うちの会社の近くに卵屋さんがあって、そこに食べに行くから平気って言ってたよー」

「えっ、何だそれ卵屋って」

「産みたての卵が売ってたり、卵料理が食べれる食堂が併設してたりするんだよ。プリンとかソフトクリームも食べれてー」

「って言うかその卵屋が気になり過ぎる」

「あはは、朝霞は卵が好きだもんねー。ちなみにこの卵もそのお店で買って茹でてるんだよ」

「大石、俺をその店に連れてってくれ」

「いいよー。でも、閉まるの結構早いし今日はもうリハの間に終わっちゃうから、明日で良ければ行けるけど」

「よっしゃ、乗った。明日な」


 今日の練習はもう明日の卵屋を楽しみに乗り切れるし、本番への英気を養うっていう体で今なら何だって出来そうな気がする。俺にとって、ステージは日常だけどMCは非日常とか超常現象で。だからこそ不安を誤魔化す楽しみとか、モチベーションを保つ物が必要なんだ。

 と言うか、これは本当にここだけの話なんだけど、俺が補佐をするその“プロのMC”という人がまた俺の緊張を増幅させる原因でもあって。まあ、それは完全に俺の都合だからあまり大きな声で言うことはしないけど。越谷さーん、助けてくださーい。


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