灼熱の空の下

 5月に消化器をやらかして入院、6月に退院してからひと月。大学は何か知らないうちに俺の代わりに親が休学届けを代理提出していたから、秋学期になるまでもうしばらく休みだ。書面の代理提出制度なんてあったんだね、知らなかったよ。

 退院できたとは言え、まだまだ体はしんどい。食事療法は自宅でも継続しなきゃいけないし、ここのところは暑い日が多くて外に出る気力もそがれる。だけど買い物には行かなきゃいけないし。胃を空にしない方がいいんだって。

 休学状態とは言え大学にはたまに行っていて、図書館にこもったりサークルに顔を出したりしている。それでもしんどい日の方が多いくらいだから、休学してなかったら普通に単位落としてたなとは思う。


 借りた本は大体読んだし、手元に置きたい本のメモもした。今日は体の調子がいいから本を返すのと、公園の散策に行くことにした。自分が死にかけてから、動植物といった“生”に興味を持つようになった。サークルでの作品はそういうテーマで作ろうと、資料集めが最近のブーム。

 夏はいろんな虫が活発に活動するというイメージがある。今もそこらで蝉が鳴いていてウルサいし。ただ、最近バカみたいに暑いからあまり長時間やってると熱中症で倒れるかもね。ちょっとだけにしておこう。まだ無理は出来ない体だし。スマホとスケッチブックがあればいいかな。

 先に本を返して身軽になったら、公園の散策を始めるんだ。植物の写真を撮ったり、スケッチしたり。虫がいればそれを近くでじっと見る。もちろん動画撮影も忘れない。資料としてだけじゃなくて本当の作品のパーツとしても使えるかもしれないから。


 蟻が虫の死骸を運んでいる。俺は生物学には詳しくないからこれがどういう蟻で、この虫はどういう虫でといいうことはわからないけど、蟻はきっとこの虫を食糧にするために運んでいるのだろう。アリとキリギリスの話にもあるけど、冬への蓄えかもしれない。

 俺はそれを夢中で撮影した。自分も地面に這い蹲って、地面と同じ高さにスマホを置く。朽ちた命と、それでもって自分たちの命を繋ごうとする蟻。この暑い中、よく働くなあとか、焼け死ぬヤツなんかはいないのかなあと思う。アスファルトの上ではよく蛙が干からびているから。


「……あ、ヤバ」


 突然目の前が揺れて、くらりとした。何もしてないのにぶわっと汗が噴き出して、立ち上がることは出来そうにもなかった。しばらくはこのまま耐えるしかない。意識を切らせばもう起き上がれそうもない。せめて影に入ってやってればよかった。自業自得と言え、このまま死にそう。


「あ、あの……大丈夫、ですか?」


 声を掛けられて、やっとのことでその声のした方に目をやると、麦わら帽子をかぶった三つ編みの女の子。お迎えかな。ふんわりとしたワンピースを着た女の子だし、地獄からの使者ではなさそうだね。


「具合が悪いなら救急車、呼びましょうか…?」

「うー……」

「もしもし、わかりますか?」

「大丈夫、生きてるから……」

「救急車呼びます?」

「……いい。少し休めば、大丈夫だから」


 三つ編みの子に支えられながら、熱い地べたから木陰にある木のベンチに移動した。日陰に入るだけで全然違う、涼しい。でもシャツは汗で大変なことになってる。タオルも持ってくればよかった。

 この子が提げている荷物からすると、買い物帰りのようだった。エコバッグの中にはお茶が入っていて、自分が飲み物を持ってきていなかったことに気付く。いいなあ、俺も何か飲みたい。


「ごめん、それ、もらえる?」

「えっ」

「そのお茶。良くなったらお金か現物返すし」

「いえ、気にしないでください。どうぞ」

「ありがとう」


 力が入らなくてペットボトルのふたすら開けられなくなっていた。恥ずかしながらその子に開けてもらう。あんまり冷たい物はよくないって言われてるけど、今は仕方ない。はー、お茶がおいしい。

 休んでいる間、この子と今の俺がしていたことについて話していた。虫や植物の観察をしていたこと、体を壊していたことを忘れてすっかり夢中になっていたこと、生命って何だろうってことなんかを。多分この子は俺のことを変な人だと思っただろうな。呪いの民俗学なんかをやってると変な人に見られることには慣れてるけど。


「体はもう大丈夫ですか?」

「うん。もう少し休めば大丈夫じゃないかな。えっと、お茶だけど」

「お茶のことなら気にしないでください」

「それはそれで俺の気が済まないんだけど。あ、でも買い物大丈夫? 悪くなるような物入ってない?」

「あっ。ええと、それじゃあ私はこれで……」

「うん。ありがとう」


 三つ編みの子を見送ってからも、木陰のベンチでしばらく休んでいた。蝉の声が相変わらずウルサい。散策するなら俺も今度からは帽子をかぶらないとな。あと、黒い服はしばらくやめておこう。

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