恋はだし巻き玉子のように

「あっ、あーっ! 破けた!」

「ん、破けたらもう1回くるんで誤魔化せばいい」

「なかなか上手く出来ないものですね……よし、もう1回」


 初心者講習会前日の夜、僕の部屋にはだし巻き玉子の匂いが充満していた。台所では、コンロの前で野坂が悪戦苦闘。平らな場所という場所には不格好なだし巻き玉子が所狭しと置かれていて、訓練の壮絶さを物語る。

 事の発端は、野坂を駅まで送る車内での会話だ。どうやら対策委員は明日の講習会でお弁当のおかずを各々作って持ち寄ることになっているらしい。野坂の本来の担当は唐揚げだ。だけど、急遽講師に決まった菜月さんのために野坂がだし巻き玉子を作りたいと。

 だけど、野坂は普段から料理をするかと言えばしないし、そもそもする必要もない。それに、卵焼きを焼いた経験もない。というワケで、スーパーで買い物をした後に僕の部屋に舞い戻って特訓を行っているのだ。

 買った卵は1パック10個入りのものを4パック。練習1回につき卵2個を使っている。本番用は1パックの予定だけど、この調子だとどうなるやら。菜月さんが絡んでいるだけに、完璧主義という病を発症しなければいいのだけど。


「いいかい野坂、フライパンはしっかり熱して、焼く段階では弱火でじっくり待つんだ。あまり焦るな」

「はい」

「あんまり焦ってぐるぐるかき混ぜるとくっつきやすくなるから」

「はあ……普段料理をすることのない俺がいきなりだし巻き玉子だなんて、ハードルが高すぎたのでしょうか」

「ん、そんなことはないと思うけどね。味は美味しいんだから、あとは見た目だけだろう」

「そのお味も圭斗先輩から師事を頂いたものですし、一体俺が何をしたというのか」

「作ったのはお前だろう。ったく、うじうじしてる暇はないと言ったのはどの口だ。練習をしないならこの大量のだし巻き玉子を何とかしてくれないかい?」

「申し訳ございません! 練習します!」


 慌てたように野坂が練習に戻った。ただ、今度は焦り過ぎて割った卵がめちゃくちゃ。ボウルの中には砕けた殻がいくつか入り込んでしまったようで、それをちまちまと取り除いている。見ていて飽きないけど、この調子で大丈夫なのか。

 僕は先に焼けていただし巻き玉子を少しつまみ、そんな野坂の様子を眺めていた。うん、味は美味いんだよな。まあ、僕が教えただけあるというところか。あとは形。終わりよければすべて良しじゃないけど、最後のひと巻きが美しければそれらしくなるのだから、焦るなと。本当にそれだけだ。


「ところで野坂」

「いかがいたしましたか」

「僕も明日の講習会に顔を出そうと思うんだよ」

「ナ、ナンダッテー!? あっ」

「ん、この段階ならまだ破けてもカバーできるよ。続けて」

「はい。ええと、圭斗先輩が講習会に来られるのですか」

「一応、定例会議長という体で行こうと思うんだよ。だからと言って何をするワケじゃないけど、万が一があったときのための抑止力としてね」

「……ありがとうございます」


 万が一、講習会に三井が乱入して来よう物なら。ここのところ三井の姿はサークルでも見ていない。昨日、対策委員と言うか野坂にプロの講師とかいう人の都合がつかなくなったという逆切れメールを送ってきたそうだけど、それならば自分がと考えていてもおかしくはない。

 野坂から例のメールを見せてもらったけど、思い上がっているのはお前以外の何物でもないという特大ブーメランでしかなかった。このメールは転送してもらって定例会としても共有しておこうと考えている。

 仮にアイツが無理を通そうとしてきても、インターフェイスの現場においては定例会議長の言うことが絶対だ。初心者講習会の現場であれば対策委員の議長もその力を持つけれど、さらに畳みかける必要があった場合に、僕という手札があるのは決して悪いことではないと思うから。


「圭斗先輩! 圭斗先輩見てください!」

「そんなに騒がなくても聞こえてるよ。どうしたんだい」

「綺麗に巻けました!」

「ん、本当だね」

「ただ、中に殻が混ざってないかが不安です……」

「それじゃあ、今の感覚を忘れないうちにもう1回やったらどうだい?」

「そうですね! よーし」

「今度は殻を落とさないように気を付けるんだよ」


 巻いただし巻き玉子の数は彼女への愛。そう言えば聞こえはいいかもしれないけど、僕の部屋を圧迫するこのだし巻き玉子は一体どうしたらいいんだい? 僕のごはんのおともにするにしても、如何せん数が多すぎる。


「圭斗先輩圭斗先輩!」

「今度はどうしたんだ」

「だんだんひっくり返すタイミングがわかってきました!」

「ん、それはよかったね」

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