第25話 お(略 ですがおはようからおやすみまで合成生物に使えるライオン



 本を馬車の中で読んでいると、クリスが聖剣の柄で俺の肩を突っついてきた。


「揺れるところで本読んだら酔いますよ」

「酔わないから大丈夫だ。空気もいいし、酔う要素ない」

「もう」


 そういうとクリスはそっぽを向いて、遠くを見ているようである。悪いが今調べないといかんことがあるのだ。キメラ、マンティコア、ミルメコレオ、グリフォン……ライオンの身体を持つ融合生物は少なくない。共通点があるということは原因があるということだ。原因がわかれば、それを元に対応が可能となる。キメラの中心になっているのは、ライオン…つまり材料となる要素が、ライオンにある可能性が高そうだ。


「何故、ライオンなんだ?」


 俺は誰にともなく呟いていた。一種ではなく、何種類もの合成生物の材料となっているのだ。しかも地球と違い、こちらには実際に存在している。


「普通なら染色体脱落が発生し生物の形をなさないだろう、それが何故だ」

「あの、染色体ってなんですか」


 クリスに聞かれていたんだよな。聖剣たちはもちろん俺にも常識ではあるが、この世界の人間には異質の知識である。


「ちょっと前段階から話させてもらうがいいか?」

「は、はい」

「全ての生物は、細胞という小さい存在からできている。その細胞の中には遺伝子という、生物の形や行動を司り、親、そのまた親、そのまた……から延々と受け継がれてきた情報を保持する部分は通常、この遺伝子は核という細胞の中のパーツに入っている」

「それと染色体とは……どういう関係ですか?」

「ところでクリス、生物が大きくなるということはどういうことだと思う?」

「えっ?えっと……待ってください。さっき細胞っていう、全ての生物の構成要素の話をしていましたよね……あの、いいでしょうか?」


 クリスが手を挙げている。いつのまにか質問コーナーになってしまったようだな。


「いいけど」

「細胞の大きさって、小さいんですよね?」

「基本的にはな。一番大きな細胞と言えるのは卵だ。卵生の生物の卵は最大の細胞と言えるな」

「そうなんですか」

「もっとも普通の生物の細胞はもっと小さい。どちらかと言えば、生物の大きさというより、細胞の種類によって、細胞の大きさは異なる」

「……それから判断すると、生物が大きくなるってのは、細胞が増えるってことですか?」


 飲み込みが早い、というより最早予知のレベルじゃないか。ちょっと怖い。


「そうだな。細胞が増える際には、普通細胞が2つに分裂するんだ。その時に細胞の中の核が染色体という形にまとまって、分裂する先の細胞に送り込まれる」

「同じ内容の手紙を二枚書いて、その手紙を封筒に入れる感じですか」

「いい例えだな。そんな感じだ」


 クリスは何かを考えているようだ。着々と勇者から理系女子への道を進んでいるな。よしよし、ようこそ我らの沼へ、さあおいでおいで。


「えっと……染色体って細胞に送られる封筒だとして、染色体が脱落するというのはどういうことですか?」

「さっきの手紙の例に例えると、二人に送る手紙を書く際に、複数の手紙がいるんだ。この手紙を書く速度は、本来なら全部の内容が揃うようになっている。ところが、特殊な手段を使って別々の生物種を融合しようとした場合、それぞれの生物種で書く速度が違うもんで、遅い種類の方が手紙書くのが間に合わない。これが融合細胞における染色体脱落」

「写すのが間に合わないってことですか?あれ?でも、キメラって自然に繁殖してたんですよね?染色体って脱落しないんでしょうか」

「そこだよ」


 この世界の繁殖可能なキメラは、別々の生物の何かの組織を繋いだものではない。発現制御がしっかり行われ、染色体の分裂のコントロールをうまく制御して染色体脱落まで防いでいる。その手法が重要である。


「自然繁殖できるキメラってのには、上手いこと染色体脱落をしないようにタイミングを合わせて手紙を書く方法があるんだろうな」

「その方法というのは?」

「わからんが、どうもライオンが重要なんじゃないかという気がする」


 そう、これだけ多くの合成魔獣の材料になっているのだ。この世界のライオンの染色体には何か細胞分裂時の制御のメカニズムがあるに違いない。そうこうしているうちに俺たちは目的地に到達した。この地域に、ある生物がすんでいる。


「ずいぶんと荒れ果ててますね」

「木や草がほとんど生えてないな」


 一体何が原因なんだ、と思っていたらおったよ、あのクソヤギ。どこにでも涌きやがる。どうやらクソヤギ、キメラがいないのをいいことにうじゃうじゃ増えて、挙句にこんなところにまで進出しやがったのか。色も黒いし1匹見かけたら30匹はいる家庭内害虫を彷彿とさせる。


「しかし、ライオンって肉食なんですよね?」

「そうだな」

「このヤギを狩ったりしないんでしょうか」


 普通に考えたらクリスの言う通り、ヤギなんて一方的に狩られそうな気がする。しかしこいつは普通のヤギではないのだ。でかいうえ毒ガスブレスを吐く代物である。


 お、メスのライオンがヤギを狙っているようだな。俺たちはしばらくライオンを観察することにした。そろりそろりと近寄っていくライオン。距離を十分に詰めたところで、ライオンがヤギに襲い掛かって……俺たちは恐ろしい光景を目撃する。ヤギがブレスを吐きやがった。悶絶するライオン。それを踏みにじるヤギ。どっちが捕食者だよ。


「化け物かよこのヤギ」

「ブレスが凶悪すぎです」


 ヤギがライオンを舐め始めた。どうやら塩分でも取るつもりだろうか。その瞬間!ライオンがヤギの喉笛を食いちぎった。そのままヤギを持ち上げる。そうか、何が何でも子供たちに餌を持って帰らないといけないのか。


 ヨタヨタと歩き始めるライオンだが……ブレスの後遺症か、まともに前を見ていられないようだ。目にでも入ったのか。しかしライオン、まともに歩けなくなってとうとう倒れ込んでしまった。


「……本来なら野生動物だし、助けてはいけないんだがな……仕方ない」


 俺は毒消し用のポーションを用意してライオンに近づく。虫の息のライオンが俺を威嚇するが、全然怖さがない。毒消し用と傷の治療用のポーションを目や患部にふりかけていく。徐々に痛みが引いていくのか、ライオンは不思議な表情をしている。


「おう。俺がやったんだ。感謝しろよ」


 最初は警戒していたライオンだが、悪意はないこと、治療したことを理解してなのかこちらに寄ってくる。


「デーモンゴートを狩るのはやめたほうがいい。あいつは危険すぎる」

「グルル……」


 言葉が分かるわけがないか。その時、俺たちの背後からデーモンゴートが襲いかかってきた。凶悪すぎだクソヤギ!


「おまえたちは危険すぎる。少し、数を減らしてもらおうか」


 ヤツがブレスを噴射しようとした瞬間、俺は携帯型火炎放射器で奴のブレスに対抗する。ブレスに引火し、デーモンゴートは火達磨になり地面に転がった。


 クソヤギども、クリスにもブレスを吹きながら襲いかかってきたではないか。素早く転がって回避したクリスは、そのまま軽快なステップでブレスをかわし、ヤギに近づく。こいつら本当に草食動物か?狂暴すぎにも程がある。


「この!一撃で!」


 雷光を纏った聖剣で、デーモンゴートの口を斬りつける。感電死するヤギ。更なる一撃でのたうち倒れるヤギ。


「雷撃系最上位呪文!オォバァヒイイィィト!サンダァストオォォム!!!」


 クリスの叫びとともに、大気中に顕現した高熱の界雷が、幾重にも雷を重ねた轟音を立てヤギどもを穿つ。暴れまわっていたクソヤギどもは地面に横たわった。これが勇者の力か、天変地異起きてんぞ。そら魔王も倒せるわけだ。


「凄いなクリス。全滅かよ」

「えっ、でも、ヒロシも出来るんですよね?これくらい」


 そらできるかできないかでいうと、準備してたら皆殺しくらいにはできるけどな。でも準備なしでもこれだよ……。なんかライオンがクリスに寄ってきた。どうやら力関係を認めたようである。そらそうだよ。


「グル」

「えっ?群れのリーダー?そんなの言われてもわたしライオンじゃないよ」

「ミャウ」

「ミー」


 足元からライオンの子供達が現れた。子ネコみたいでかわいい。子ライオンたち、母乳を吸い始めた。母ライオンは子供達に母乳を与えている。


「さてと、どうしたもんだろうな」


 本で読んだ限り、キメラと違いライオンは本来ならヤギを襲うことはない。しかし、生態系の破壊が進んでヤギたちが進出してきたせいで、こんなことになってしまったのだ。ライオンの子供たちがクリスにじゃれついている。完全に猫だよ。猫だよこれ。


「そうだ。ライオンを研究所に連れ帰ろう。これをキメラの母体にする」

「えっ、そんなことできるんですか?」

「ライオンベースだからなぁ。こいつもクリスのことをボスだと思っているし。ついてくるだろ」

「食べ物どうしましょうか」

「あのヤギ駆除して食べさせよう。でも俺たちはヤギ食えないのは痛いな……」


 そう、あいつらいくら駆逐しても、俺たちは得をしない。ツノは魔族には使い途あったらしいが俺にはない。……待てよ?


「討伐依頼とか来てたらそれこなせばいいな」

「ギルドですか?」

「あぁ。クリス、ライオンたちと待っててくれ」

「はい。えっと……そうだ、キメラの材料ってドラゴンも必要なんですよね?」

「それも問題だな」


 問題は他にもある。それぞれの生物のアタマだけ発生させて、体は作らないようにする仕掛けが必要である。DVE(遠位臓性内胚葉)形成のカスケードをイジる必要がある。Wntシグナルの下流にある遺伝子を操作する、Vg1からの左右を決める体軸関連遺伝子カスケードの下に、逆に別種の生物のカスケードを走らせる、こういったことをする必要があるな。染色体不活化のスイッチを走らせるか?不活化……


 ライオン親子を連れ研究所に戻って、聖霊に文句言われながらキメラの遺伝子を調べてみると、やはりあった。染色体不活化のスイッチング遺伝子がある。Xist 遺伝子類似の遺伝子だ。


「全染色体で必要な遺伝子の不活化のオンオフを決定して、細胞分裂速度のコントロールをしていたってことか!」


 からくりがわかった。これなら染色体脱落のコントロールができる。奇声を上げているとクリスがこちらにやってきた。


「それって、どういうことですか?」

「誰が手紙書くか決めたらいいってことだ。場所によって手紙書くメンバーを、きちんと調節しているということかな」


 もちろんそれだけでは染色体の脱落の回避はダメだろうなと思って見ていたら……もう1つの回答があった。


「全部ライオンのセントロメアや末端構造に変えてたのか!それで細胞分裂のタイミングをコントロールできる」

「手紙に例えるとどういう感じですか?」

「封筒を同じにしたってとこだな。宛先も書いてる会社のやつみたいに」

「会社……ですか?」


 会社勤めとかしたことがない子には分からなかったか。そもそもこの世界で会社っていう会社というと……。


「こっちでいうと、ロメリオ商会からの手紙……あったあった、って封蝋か!これみたいなもんだと思ってくれ」

「目印を合わせたってことですね」

「話が早くて助かる」


 さて、あとはレッドドラゴンである。レッドドラゴンを探しに知り合いに連絡をしまくっているが、数日は特に目星しい情報は入らなかった。一週間後、俺がヤギを納品しに冒険者ギルドに行き、ギルドの受付嬢に「いい加減にヤギの納品やめろ」と無言の抗議を受けていた時のことだ。ひとりの傷ついた冒険者が、ギルドに飛び込んで来て叫んだ。


「助けてくれ!レッドドラゴンが襲撃して来た!」



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 今回の研究テーマは猫塚義一さんの「キメラの作成」のアイデアを参考にさせていただきました。ありがとうございます。


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