第十三回 ブラック企業(ツクヨミノミコト)
「えー……ツクヨミ様? 次のお便りにいってもいいでしょうか?」
「うん、いいよ……」
「今日は最初からずっと元気がないですね。どうしました?」
「……いや、なんでもない」
「いや、明らかに何かありそうなのですが……」
「大丈夫だから、進めて」
「あ、はい。わかりました。では次のお便りです。ラジオネーム『しゃちくん』さん」
「社畜と君? 不穏だ」
「そうですね。ラジオネームから不幸な空気が伝わってきます」
「……飛ばして次にいこう」
「ちょっ、ダメですよ! もう選んじゃいましたから。いきますよ」
「やる気?」
「もちろんですよ」
「……わかった。じゃあ読んで」
「本当に今日元気ないですよね。気になりますが、ひとまず進めますね。えー『最近聞き始めた新参者で、毎日は聞けていないのですがよろしくお願いします』」
「社畜だったらさすがに毎日は無理、か」
「むしろ聞く時間があるという方が驚きです。えー『僕は就職してからというもの、ろくに休みらしい休みを取ったことがありません。有休は消化したことにして出勤したり、始業前に出勤して終業後も残ったりするのが普通です。残業は終電までなら早いほうで、泊まり込みで仕事をしていることも少なくありません』」
「……異常だよな?」
「完全に異常ですね。それで『そんな毎日に身を置いているとそれが当たり前だと思っていたのですが、久しぶりの休みの日にたまたま学生時代の友人達と出会い、昔話に花を咲かせながら食事に行くことになりました。そこでお酒が入ったところで今の仕事の愚痴や不幸自慢になったのですが、友人達の話を聞いてもちっともつらそうに思えませんでした』」
「……もう一度聞くけど異常だよな?」
「はい、状況も異常なら感覚も異常な状態です。続きですが『僕自身の状況を話したら友人達は全員固まっていました。ですがその時はまだ職種や業種の違いや、会社の設立年や人手不足のあおりなどが原因だと思っていました。ですが給与の話になったとき、僕は誰よりも貰っていませんでした。ダントツの最下位でした』」
「……もう一回確認したいんだが、これは間違いなく異常なんだよな?」
「はい、悩む時間すら無駄なレベルで完全に異常です。それで『ここでようやく僕自身がブラック企業に勤めているということがわかりました。友人達と話して目が覚めたからなのか、もうこの会社にはいられないと思うようになりました。未払いの給料を貰ってやめようと思うのですが、今一緒に働いている同僚達にもやめるように勧めるべきでしょうか?』という内容です」
「……なに? これ、悩む必要あるのか?」
「普通に考えれば悩む必要は無いですね」
「じゃあどうして『じゃちくん』は悩むんだ?」
「おそらく、目が覚めていないときの自分を知っているからじゃないでしょうか?」
「ブラック企業に洗脳された状態の同僚を説得できるか不安、ということか?」
「おそらく、です。ブラック企業での日常が常態化した人達の常識はなかなか頑固です」
「そうなのか……」
「逃げる判断ができるのは目が覚めたからです。友人達との再会が良かったみたいですね」
「同僚はまだ目が覚めていないのか。早く目を覚まさせないとな」
「そうですけど、ブラック企業だとわかっていても働かないといけない人もいますから」
「ん? ブラック企業ならすぐにやめてしまえばいいじゃないか」
「それがなかなかそう上手くいかないみたいです」
「なぜだ?」
「自分が転職できると思っていないとなかなか動き出せないでしょう?」
「つまり……どういうことだ?」
「ブラック企業にいることで自己評価が低くなってしまうんだと思います」
「自己評価、か」
「毎日何十時間も休み無く働かされたら自分ができない人間だと思い込んでしまいます」
「確かに効率よく終わらせているようには感じないかもな」
「やめた後、同僚全員が他の会社に移れるという確証がないから迷っているのでしょう」
「うーん、それでもブラック企業にいるよりかはマシだと思うけどね」
「それには私も同意です。ブラック企業にいたら心も体も壊してしまいます」
「聞いているのかわからないが『しゃちくん』よ。すぐさま行動に移すべきだ」
「そうです! ブラック企業なんかぶっ壊してやりましょう!」
「組織の歯車になるのもいいが、明らかにおかしい負荷がかかっているぞ」
「労働基準監督署や弁護士の無料対応サービスを頼って脱出してください」
「一日も早い『しゃちくん』の自由を祈っているぞ」
「頑張ってくださいね」
「……ブラック企業、か」
「どうかしましたか?」
「……いや、私の置かれている状況もブラック企業なのではないかと思っている」
「え? ツクヨミ様が、ですか?」
「そうだ。私も今の自分の生活を改善しなければならない」
「えっと、神様にブラック企業とか関係あります?」
「あるぞ。私はツクヨミ。月の満ち欠けを読む農業と穀物の成長を司る神だ」
「はい、存じています。イザナミ様を母に持ち、アマテラス様の弟ですよね」
「そうだ。そしてこの時期は閉農期。私は本来休んでいるはずなのだ」
「あー、すみません。ラジオで呼び出してしまって……」
「いや、ラジオではないのだ」
「はい?」
「ビニールハウスや凍原野菜などのせいで私は冬も休めなくなってしまった」
「えっと、閉農期は特にすることがなかった、ということですか?」
「そうだ」
「それが最近になって技術の発展や新しい工夫が生まれるようになってしまったのですね」
「そうだ。雪の下で野菜を育てるとか、ビニールハウスで一年中栽培しているとか……」
「確かにツクヨミ様から見れば休みが無くなっただけじゃありませんね」
「作物の神となれば畑に作物がある間はなかなか忙しくて気が抜けないのだ」
「えー、つまり作物を植えてから収穫までほぼ休み無し、ということですか?」
「そうだ。長い時間忙しい分、閉農期というまとまった休みがある……はずだった」
「凍原野菜、雪の下で冬を越すキャベツは食べたことがありまして、甘くて好きです」
「そういう話ではない!」
「頑張るツクヨミ様の功績をわかっている、と言ったつもりだったのですが……」
「なぜ閉農期まで働かねばならない? 閉農期が休みだから他を頑張ったはずだ!」
「えー、つまり今日は最初から元気がなかったのは、休めていなかったからですか?」
「そうだっ! ブラック企業みたいなものだ! 一年間ずっと仕事だぞ!」
「えっと……こればかりは時代の変化だとしか……」
「信じられない! こんな横暴がまかり通っていていいはずがない!」
「お、落ち着いてください。農家の方も創意工夫が求められる時代です」
「誰か……私に休みを……」
「今日は七草粥の日ですから……って、休ませるのは内蔵の日だから意味ないし……」
「私はもう疲れ切ってしまっている……」
「あー……そうです! 日本は八百万の神々の国です! 代行がいるはずです!」
「……代行?」
「はい。ツクヨミ様以外にも農業の神様や豊穣の神様はいますから代行を頼みましょう」
「……そうか、その手があったか」
「日本は神様の数では世界のどの国にも負けません。代行を頼める神様はきっといますよ」
「そうか、それで例えば誰だ?」
「あ、例えば……ですか? えっと……」
「心当たりがあるのだろう?」
「例えばクシナダヒメ様とか、やや後付け間は否めませんが九尾さんもですよ」
「ほうほう……」
「九尾さんは週一レギュラーですから来週は来てくれると思います」
「なるほど、つまり来週には間違いなく会えるということだな」
「あ、えっと……確実とは言いがたいのですが、おそらく会えるかと思います」
「そうか。なら来週が楽しみだな」
「おそらく、ですよ」
「うむ、わかった」
「えー『しゃちくん』さん、休めるときは休んで、行動は迅速に、頑張ってくださいね」
「さてどう頼むか……」
「ツクヨミ様、次のお便りに行ってもよろしいでしょうか?」
「ん? ああ、行ってくれ。やはり最初は下手に出て……」
「全然こちらに集中していませんが……しかたありません。次のお便りに行きますね」
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