第351話 シシトの理想が……
辺りに飛び散った絵の具から、滝本の抵抗が窺えたが、あまり意味はなかったのだろう。
堂々と、見せつけるように『男の娘』が滝本を掲げる。
「……まさか、ここまで出来るとは思わなかった。最初は、名も無きモブだと思っていたが、実は護衛とか兵士とかだったりするのか?」
ヤクマは、なぜか上機嫌といった様子で、笑みを浮かべていた。
「……俺は、ただの美術教師だ」
滝本の答えに、ヤクマはどこか軽い驚きと共に、納得のいったような顔をする。
「なるほど、美術教師か。では、あの指摘も受け止めなくてはな」
「……なんの話だ?」
「『男の娘』が醜悪って話だ。確かに、これはまだまだ未完成だ。所々に男性の肉体のパーツが飛び出ていて、バランスも悪い。『醜態』まさしくそのとおりだよ」
飛び出していた誰かの陰嚢を踏みつぶしているのに、上機嫌なのが、逆に気持ちが悪い。
『男の娘』の体のどこかで、苦悶の声が聞こえた気がした。
「正真正銘、この『男の娘』は男性の体だけで作ったからな。なるべく純度100パーセントで作りたかったが、どうやら足りなかったようだ」
「何がだ?」
「女性の肉体の情報だよ」
ヤクマは、逃げ出していた女性たちに目を向ける。
「実験体として、俺が『幸せ』にしてきた彼女たちなら、この『男の娘』と馴染むだろう。何人か、実験体ではなかった者もいるが、よしとしよう。見た目が良ければ、どうにでもなる」
ヤクマの目は、ブレンダとミサコの方を向いていた。
「……っ! させるがぁあああああ!?」
滝本は反射的に絵の具を生成しようとしたが、捕まれている体の至る所から骨の折れる音が響いていく。
ヤクマが、『男の娘』の手を握らせて、滝本の体の骨を折ったのだ。
「滝本!」
「……美術教師である先生には、完成品を見てもらうことにしよう。雌雄同体。完璧なる『男の娘』を。愛と勇気と平和の象徴。同士シシトの理想の女性の姿を!」
「……いいかげんにしてよ!」
高笑いするヤクマに、大きな声で抗議する少女がいた。
金色の髪が乱れているが、その美しさはかすんでいない、絶世の美少女。
ロナ。
シシトの彼女だ。
「こんなモノが、シシトの理想ですって? そんなわけないじゃない! こんな化け物、シシトが望むはずがない!!」
バトラズが慌ててロナの口を塞ごうとするが、距離が遠かった。
逃げ出す最中のドサクサに紛れて、ロナがバトラズから距離を置いたのだ。
声を張り上げたロナに、ヤクマはしばし思案するように体と首をふらふらと揺らす。
「んー……誰だっけ、君?」
「はぁっ!? 私は、アンタが同士と言っているシシトの彼女よ! とにかく、彼女として言わせてもらうけど、こんなモノ……」
シシトの彼女と名乗ったロナに、ヤクマは思い出したかのように手を打ち、そして声を上げて笑い出した。
「ふ……はっ! ふははは! 彼女! ああ、いたな、そういえば」
「な、何がおかしいのよっ!」
「いや、彼女と名乗る女がいることは同士から聞いている。ああ、そういえば紹介もされていたかな? 失敬失敬」
肩を振るわせながら笑うヤクマに、ロナは少し困惑する。
でも、そんなことよりも抗議が必要だった。
ロナにとっては。
「と……とにかく、こんなモノ、シシトの理想じゃない! だから、さっさとこんなことは止めて、明星真司を……」
「シシトの理想じゃない? 君はいったい、同士シシトの何を知っているんだね?」
心底不思議そうに、ヤクマは首をかしげる。
「何って、何でも知っているわよ。私はアイツの……」
「たかだが、同士に抱かれただけの関係、だろ? 猿のように体を重ねて、性欲を発散するだけの関係。そんなヤツが同士の何を知っている?」
「な……そ……」
ヤクマのあまりに冷たい指摘に、羞恥心よりも混乱がロナを襲う。
何か、的確な何かを、貫かれたような感覚だった。
「この『男の娘』が同士の理想ではないと言ったな。では、同士の理想とは何だ?愛と勇気と平和の象徴たる、勇者シシトの理想とは。『幸せ』とは何か、答えてみろ」
「シ……シシトの『幸せ』は……」
一瞬。
ほんの一瞬浮かんだ答えを、ロナは払うように否定する。
その答えは、決して許容出来るモノではなかったからだ。
「シシトの『幸せ』は、理想は! 皆で平和に生きることよ。前みたいに、こんな世界に変わる前みたいに、平和で誰の命も奪わなくていいような、そんな世界にすること。それがシシトの願い。理想。『幸せ』よ!」
ロナの答えに、それを予想していたように、ヤクマは笑った。
「っははっはははは! そんなわけがあるか。全ての人の平和を願い。愛し、勇気を与える同士シシトだが、彼の個人的な願いは別だ。理想は違う。彼の『幸せ』はもっと俗物的で、低次元なモノだ」
「そ……そんなこと」
「そんなことがあるのだ。そして、そんなことも知らないのだ。ただ肌を重ねて性欲を発散していた猿のような関係の、彼女モドキではな。その証拠に、さっきから同士の『幸せ』を俺から聞き出そうともしないではないか」
「……っ!?」
ロナは口を閉じる。
ぎゅっと握りしめた拳は、汗で濡れている。
「同士はよく語っていた。彼の『幸せ』について。君たち彼女の話なんて、ほとんど聞かなかった。俺が聞いたのはいつも彼の理想のことだった。願いのことだった。『幸せ』のことだった。だから、俺はこの『男の娘』を作った」
ヤクマは、自分の足下にいる、化け物を指さす。
女性の形をしている男性の肉体で作られた化け物を指さす。
「君が仮にも同士の彼女であったのなら、この『男の娘』に見覚えがあるだろう? 美術の先生が言うように、造形は完璧ではないが、彼の理想であることは、願いであり『幸せ』であることは、わかるはずだからな」
男性の体で作られた『男の娘』
その女性の形は、少女のようにも見えるのだ。
ロナは、その『男の娘』をはっきりと見ないように目を背ける。
「……理解したか? そうだ。この『男の娘』は同士シシトの理想の少女を模している。将来を共に過ごすことを願っている少女を象っている。彼の『幸せ』そのものを再現しているのだ。つまり、この『男の娘』は、同士シシトの同級生。百合野 円(ゆりの まどか)なの……」
「ふっっっっっざぁけるなぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「だぁっ!?」
突然。
ヤクマの口を塞ぐように、巨大な樹木が落ちてきて、『男の娘』と一緒に彼を押しつぶした。
「……黙って聞いていたら、なんてことを……」
ぷかぷかと、タンポポの綿毛のようなモノに腰をかけて空に浮かび、怒りの形相でヤクマと『男の娘』を睨みつけているのは、勝手に化け物のモデルにされていたマドカだった。
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