第345話 コトリが怒る

 しなやかな四肢が弓のようにしなり、セイの運動能力の高さを見ただけで伝えてくる。


 一歩、セイが足を踏み出しただけで、コトリは寒気に襲われた。


 根本的に、生態的に、まったく異なる身体能力の差。


 つまり、戦力の差を本能的に悟ってしまう。


「こ……来ないで!」


 コトリはセイの周りに黒い檻を生み出した。


 以前、セイを捕らえる事に成功した『鳥籠女』の檻。


 しかし、それはすぐにメキメキと音を立てて破壊される。


 セイの手によって、あっさりと。


「う……わぁああ!」


 コトリが次に生み出したのは、黒い壁だった。


 隙間無く『鳥籠女』を敷き詰めた、鉄壁の防御。


 コトリの恐怖と、拒否の感情を発露させたその壁は、さきほどまでの『鳥籠女』の檻よりも頑丈である……はずだった。


「ふっ!」


 一発、セイがその拳を振るっただけで、黒い壁は粉々に砕けてしまった。


 パラパラと落ちる壁のかけらの隙間から、セイとコトリの目が合う。


 セイの目は、どこまでも冷めた、感情のない目だった。


 そこに暖かみはなく、クラスメイトだからという温情は一切感じさせない。


「あ……あぅ……ぅ」


 コトリは腰が抜け、立てなくなる。

 かくかくと体を振るわせ、その目には涙が浮かんでいた。


「じゃあさっさと……」


「助けて……」


 コトリが震えながら、しかしはっきりと言った。


「助けてって、殺そうとしたのは……」


「助けて、シシト」


 コトリは、もうセイのことを見ていない。


 目の焦点が合っておらず、どこか、遠い誰かを見ていた。


「シシト……助けてよ、シシト。あんな女やっつけちゃってよ。あの時みたいに!」


 目の前のセイに命乞いをするでもなく、もはやセイの怨敵となっている男の名前を堂々と発するコトリに、セイは少しだけ考え込むように目を閉じる。


 しかし、コトリの言葉は終わらない。


「殺人鬼がいるんだよ! 犯罪者だよ! シシトは正義の味方で、世界を守る勇者なんだよ! ……そうだ! シシトは、勇者なんだ! 強いんだから! だから、私を傷つけたら、シシトが許さないんだから!!」


 シシトの事を語ることで、少しだけ正気に……正気なのかは分からないが、コトリの目の焦点がはっきりとして、そして、その目でセイを睨みつけた。


 シシトの名前を出せば、セイがひるむだろうと確信した目で。


「……なるほど」


「わかった? 今なら……今すぐ、私をシシトの場所に返すなら、許してあげる。だから、早く私をシシトの元へ……」


 コトリの言葉を遮るように、セイのつま先が、コトリの喉の中心を深く貫いた。


「……っっっ!? かっっ!」


 痛みよりも鋭い衝撃にコトリの言葉が詰まる。


 喉を押さえ、ジタバタと暴れるコトリを見下ろしながら、セイは淡々と告げた。


「ユリナから指摘されて気づいた話だし、わざわざする必要もないかなって思ったけど……気が変わった。先輩からのお願い事の前に、いたぶってあげる。ほら、軽く蹴ったから、そろそろ息が出来るでしょ?」


 ゴホゴホとせき込んだ後、目に涙を浮かべながら、コトリは顔を上げる。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 喉を蹴られる前、セイは、コトリの事をいたぶるといっていた。


 そのことをはっきりと聞いていたコトリは、少しでもセイから距離を取ろうと、ゆっくりと体を動かしていく。


「まずは、おもしろい話をしてあげる。さっき、あの男に助けを求めていたわよね? 名前を出すのも気持ち悪い、あの男。助けを求めたのは……昔、アイツに助けられた事があるからかしら? たとえば、中学校に入学する前とか」


 セイの言葉に、逃げようと動かしていたコトリの体が止まる。


「な、なんで、それを……」


 シシトに助けられた事は、コトリにとって大切な思い出だ。


 だから、誰にも話していない。


 なのに、なぜそのことをセイが知っているのだろう。


「ふっ……あはははははは」


 そんなコトリの疑問を吹き飛ばすように、セイは大きな声で笑った。


「な、なにがおかしいの! なんで……」


「いや、思ったよりも可笑しかったから。で、あの男に助けられたって思っているのは、快清山のふもとでいい? そして、通おうとしていた道場は……常春道場でいいかしら?」


「そう……だけど」


「……ここまで言って分からないか。常春道場に通おうとしていたのに。じゃあ、はっきりと教えてあげる」


 セイは腰を下げ、コトリの顔がよく見えるようにその長い前髪を上げる。


「中学校に入学する前に、男たちにさらわれそうになっていたのを助けたのは私だよ? 引間 小鳥ちゃん」


「……え?」


「袋に入れられて、車に乗せられそうになっていたよね? ガラの悪い男たちが3人。雑魚過ぎてあんまり覚えていないけど」


 はっきりと告げられた、あのときの状況。


 さらわれそうになった事までなら、何かしらの理由が付くが、袋に入れられた事や、男たちの人数などの詳細は、そう簡単に分かることではない。


 でも、それでも、コトリはセイの言葉を信じなかった。


 信じられる訳がなかった。


「う……うそだ! ウソだ! 嘘だ!! そんなこと、デタラメだ! 適当な事を言うな!!私が……アンタみたいな殺人鬼に! 犯罪者の言いなりになっている悪党に! 助けられたわけがない! 謝れ! 謝罪しろ!! このうそつき!!」


「へー……で、そこまで言うなら、アナタは聞いたのかしら? あの男に、さらわれそうになったのを助けてくれましたか? って」


 セイの指摘に、コトリは言葉に詰まる。


 実際、コトリは聞いていないのだ。


 シシトと、中学校に入学する前に起きた事件の事は、一切話していない。


「き……聞いていない、けど……!」


「まぁ、あの男なら適当に自分が助けたって答えている可能性も……いや、そういった嘘はつかないか。でも、話を逸らしてなんか良い感じにするんでしょうね。気持ち悪い」


「聞いていないけど!でも、手紙はもらった!!」


 嫌悪を浮かべ、シシトを罵倒するセイの言葉を遮るように、コトリは出す。


 シシトこそが、自分を助けてくれたのだと確信する、決定的な根拠を。


「……手紙?」


「高校に入学してから、シシト君が手紙を書いてくれたの。達筆な文字で、とても心が暖まる言葉を書いてくれた。それに、あの内容は、私が昔男性にさらわれそうになったことを知らないと書けない。だから、シシト君が私を助けてくれた。間違いない」


 コトリの反論にセイは口元に手を当て思案する。


 そして、口を開いた。


「『今日は体育があった。男子と女子でチームを組んでソフトボールをしたが、とても有意義な時間だった。男子と女子で体格差はあるが、上手い者、下手な者がいるのは変わらない。失敗した者がいたら、男子も女子も、変わらずに支え合っていた。助け合うのに、性別は関係ない。そんな当たり前の思考を、このクラスの皆はしっかりと持っている。君が男性を怖がっているのは知っている。そして、学校に通いたいと思っていることも知っている。でも、このクラスは大丈夫だ。怖い男子はいない。悪い女子もいない。いたとしても、私が助けるから安心してほしい。だから、君が良ければ今度の休みに、家を訪ねてもいいだろうか』だったかしら? 最後に書いた手紙。細部は違うかもしれないけど」


「……な、んで。それを?」


 セイが今言った言葉は、コトリが受け取った手紙の内容の一つだ。


 なぜ、その内容をセイが知っているのか。


「いや、これ書いたの私だから」


 当たり前のようにセイは言う。


「う……そ、だ。そんなわけない。だって、あの手紙は男の人の文字だったし……」


「武道の家の生まれだからね。どうしても力強い文字で書いちゃうのよ。それに、あの手紙は一応励ましの手紙だったからね。どうしても熱が出るというか……」


「でも、シシト君も私に手紙を書いたって言っていた。これは本人に聞いたから……」


「ああ、書いてはいたわね。あの男。でも、あの男の文字を見たことがあるの? 周りが女ばっかりだったからか、妙に可愛らしい気持ち悪い文字を書くんだけど」


 コトリの脳裏に浮かんだのは、命の恩人からの手紙とは別に届いていた手紙だった。


 内容はなんともチンケな、文字だけは可愛らしい手紙。


 なんて書いてあったのか……『皆も寂しいと思っているよ』とか『学校には通った方がいいよ』とか、そんな何も心を動かされない、くだらない手紙。


 その手紙とシシトの姿が重なって、不意に吐き気がしてくる。


「……っ! ちっ、がう! ちがう。あの手紙は、シシトが書いたんじゃない。あれは……あれは……」


 コトリは、セイを睨みつける。


「あれは……お前が書いたんだ!!」

 

 コトリは指を広げ、セイに手をかざした。


 その指の形を再現したように、セイの前に5本の黒い棒が現れる。


 太さは人間の体ほど。


 高さは、先が見えない。


 数十メートルはあるだろう。


 そんな、巨大な手のような檻が、コトリの手の動きに合わせて、セイに襲いかかってきた。

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