第322話 シンジが喜ぶ意味


 まるで要塞のような、黒い大きな亀『シュワルズスターク』が咆哮をあげる。


 その声を実際に聞いたら、鼓膜が破裂するか、少なくても一時的に聴覚を失っていただろうと想像出来るほどであったが、しかし身体には影響もない。


 それは当然。その声はゲームのキャラクターの声なのだから。


 咆哮を聞くとシステムとして一時的に身動きは出来なくなるが、HPにダメージは発生しない。


 というより、コタロウが作ったこの世界では、ゲームのキャラクターに攻撃されても身体的な痛みはない。


 どこまでも、ここはゲームを再現した世界なのだ。


 だから、セイ達は『シュワルズスターク』から5メートルほど離れた上空にいたのに、実に冷静でいられた。


「うぉおおおおおおおおおおっしゃああ!!」


 なのに、『シュワルズスターク』に負けないような咆哮をあげている少年がいる。


 シンジだ。


 シンジは、咆哮を終え、頭を下げた『シュワルズスターク』の顔面に向けて、黒い剣を振り下ろす。


 派手な血しぶきが飛び、ダメージを与えたことが視覚的にわかりやすく伝わる。


 しかし、ダメージを与えたはずの『シュワルズスターク』の顔に、傷はない。


 当たり前だ。

 これはゲームなのだから。


『シュワルズスターク』が大きく顔を動かすと、そのまま勢いをつけて突進してきた。


 背中の甲良に一戸建てを乗せられるほど巨大な『シュワルズスターク』の突進は、回避をしようとしても避けられるモノではない。


 なので、シンジは剣を横にして、その突進を『ガード』で受ける。


「うおっと!」


『ガード』した後、シンジはシステム的に発生した後方へのステップをする。


「……マジでか」


 そのステップをしながらシンジは声を出す。


 突進をした『シュワルズスターク』が、そのまま巨大な足を持ち上げていたのだ。


 強制的なステップ中では、回避もガードも出来ない。


『シュワルズスターク』は、そのままシンジを踏むつける。


「ぎゃぁあああああ!」


 そんな声を出しながら、シンジが転がる。

 HPのゲージは4分の1ほど削られてしまった。


 シンジはむくりと起き上がり、笑う。


「へー……やるじゃん」


 シンジのその笑みは今まで見たことがないような実に好戦的で、興奮したものだった。



「……楽しそうですね」


 そんなシンジの笑みを見て、セイは眉を寄せる。


 シンジが楽しそうにしているのだ。

 普段なら、セイも自然と笑みを浮かべそうだが……不思議とそんな感情はわいてこない。


 マドカは苦笑いをしているが、ユリナはなぜか悲しそうな顔をしていた。


 そんな3人にコタロウは質問する。


「シンジはなんであんな笑い方をするんだろうね? これはゲームで、命がけでもなくて痛みもない。それなのにスリルを、刺激を楽しむ表情をしている。シンジはこれまで、何度も命を落としているのに……実際に体験した命がけの戦いに比べれば、このゲームでの戦いはお遊びでしかないはずだ」


 コタロウの質問にだれも答えない。


 セイはユリナをみた。


 普段のユリナなら、コタロウのこういった問いに率先して答えるはずなのだが、答える気配がない。


 ただ、悲しそうな顔をしているだけである。


 次にマドカを見るが、特に考えがあるわけではないようだ。


 セイは、コタロウの方は向かずに、シンジに視線を戻すとそのまま自分の考えを言う。


「……わかりません。どうしてですか?」


 言葉にして、少しだけ心が痛んだ。

 シンジのことで、分からないことがある。

 それを実感する言葉は、想像以上にセイを傷つけた。


 そんなセイの痛みを知ってか知らずか。

 コタロウはよどみなく答えを言う。


「答えは簡単。シンジにとって、現実での戦いよりもゲームでの戦いの方が刺激的なのさ」


 しかし、その答えは、訳が分からなかった。


 コタロウは続ける。


「シンジも、世界があっちの世界と混ざり始めた時は、世界がゲームみたいになって興奮していたし刺激を感じていたんだけどね……常春ちゃんも見ていたでしょ? 黒い触手と戦っていたときのシンジの様子」


「……はい。そういえば、あのときと似たような顔をしていますね、先輩」


 そう考えると、あのときよりも若干落ち着いた顔をしている気がする。

 ただ、あのときよりも今の顔の方が何倍も楽しそうではあるが。


「でも、結局はゲームみたいでも、現実だからね。そこは変わらない」


「なんでゲームの方が興奮するんですか?」


 マドカが先を促す。


「そうだね。水橋ちゃんには言ったし、百合野ちゃんや常春ちゃんも薄々気づいていると思うけど……シンジは『見える』んだよ」


「『見える』?」


「オジサンたちは『明るい』って言ったりもするんだけどね」


 コタロウの顔が、また若干悲しそうになる。


「見たモノや人の身体的特徴や仕草、臭い……そんな色々な情報から、相手の経験したことや感情を読み、そこから、これからの行動まで予想してしまう。まるで『予知』のように」


 シンジは銀行の様子からガオマロ達の存在を察した。

 カズタカを追い立ててマンションにガオマロに近づけないようにしていたこともある。


「……まるで先回りしているように色々対策していたりしていましたからね。マドカの覗きも読んでいましたし」


「覗きをした主犯はユリちゃんでしょ!!」


 マドカの抗議をユリナは聞き流す。


「そんな感じで、シンジは生きていてほとんど刺激を感じることがないんだ。ほとんど全てが見えてしまうから。だから、大抵のことを『楽しめない』。それこそ、ゲームくらいだ」


「……なんでゲームなんですか?」


「結局、重要なのは『感情』なんだよ。百合野ちゃん」


 コタロウは続ける。


「シンジは『感情』を見てしまうから、『感情』に弱いのさ。特に、『怒り』とか『辛い』とか『悲しい』とか他者の負の感情はシンジにとって大きな負担だ」


「……ガオマロの命乞いに戸惑っていましたね。学院で殺されている女性達を見て苦しそうにもしていました」


 ユリナの補足を聞きながら、セイも思い当たることがあった。


 学校での出来事だ。


「……もしかして、学校で貝間会長たちから責められて逃げ出したのも……」


「『憎しみ』の感情が気持ち悪かったんだろうね。真っ向から対立しなかったのは、それで『感情』が消えるわけじゃないから。『感情』を見なければシンジとしては問題ないからね。もっとも、シンジ自身は慣れすぎていて『憎しみ』の感情が気持ち悪かったなんて考えてもいなかっただろうけど。あのときはまだ、自分を『見て』はいなかったから」


「……つまり、ゲームの方が刺激的で『楽しい』のは、ゲームの魔物には感情がないからというわけですか?」


 マドカの答えに、コタロウは指を鳴らす。


「そのとおり!この世界はコタロウくんが作れる世界の中でも最下層でね。命を作ることが出来ない。故に『感情』もない。感情のない生き物との戦いこそ、シンジが唯一楽しむことが出来ることだといっても良い。正解だ百合野ちゃん。賞品としてコタロウ君の生写真をあげよう」


「いりません」


 マドカは即座に拒否する。


「メインは中学生の時のシンジだよ?」


「え……それは、じゃあ、いただきます」


 マドカは若干戸惑いながらも受け取る。


「……マドカ?」


「マドカさん」


「ひえっ!?」


 親友達から受けた冷ややかな声にマドカはビクリと反応した。


「こ、これは……あとでちゃんと見せるから心配しないで!!」


「……見せる? ゆずるのではなく?」


 ユリナの指摘と目が怖い。


「だ、だって……一枚しかないから喧嘩するじゃない。ユリちゃんとセイちゃん」


「……ふーん」


「へーえ」


 もう恐怖しかない。


 マドカの目は涙でいっぱいである。


「あ、ちなみに死鬼状態の百合野ちゃんにシンジが興奮して色々していたのも、死鬼にほとんど感情がなかったからだね」


「なんですかそれ!? というか今のタイミングで言うことですか!?」


 マドカは死鬼の時にシンジに何をされたのかほとんど知らない。


 しかし、知っているユリナの目は、ほとんど氷のようである。


 視線が痛い。


「ウオォォォォォン」


 そのとき、下で動物のうめき声が聞こえた。


『シュワルズスターク』をシンジが倒したのだろう。


「な、なんですかこの声!?」


 声の正体は知っていたが、これ幸いとマドカは声が聞こえた方を向く。


「いっよっしゃぁああああああああ!!」


 倒れる『シュワルズスターク』に向けて、シンジが握り拳を向けていた。


「フゥウウウ!!」


 ぴょんぴょんと跳ねて、喜びを体で表現している。


「うわぁ……本当にテンション高いなぁ」


 正直、あそこまでテンションが高いと引くのだが、しかしマドカの顔に自然と笑みが浮かんでいた。


「……ふむ。後で今日のデートの詳細をじっくりと聞かせていただきますからね」


「……へーい」


 そんなニヤケているマドカの肩を、ユリナがぽんとたたく。


 別の意味で、マドカの顔に笑みが浮かぶ。

 色々諦めている笑みだ。


 笑みにも、色々な種類があるものである。


 

 そう、色々ある。



 セイは、じっとシンジと見ていた。


 楽しそうに、倒した『シュワルズスターク』にナイフを突き刺している。

 本当に楽しそうだ。

 笑っていて、テンションも高い。

 高すぎるくらいに。


「……先輩は、何を見ているんですか?」


 セイは反射的にぎゅっと片手を胸の前で握っていた。


「見ているって……」


「なんであんなに楽しそうで……『何』を見て、あんな顔をしているんですか?」


 今のシンジの顔は、例えるなら高校3年生の文化祭だろうか。


 異様なまでに楽しそうに、異様なまでに盛り上がる。

 学生生活最後の祭り。


 最後だから終わりだから、悔いの無いように全力で喜ぶ。

 笑顔を浮かべる。

 楽しむ。

 そんな顔だ。


「……人は知ることで成長する。自分には何が出来るのか。『自分とは何か』を知ってしまったシンジが、『何』を見ているのか。その答えを俺は知らない。知ることが出来ない。それほど、シンジは成長してしまっている」


 セイが懸念していることは、コタロウも思っていたのだろう。


 シンジの喜ぶ顔を見て、二人とも胸が締め付けられそうになる。


「想像は出来ますけどね」


 マドカの頬をフニフニとつつきながらユリナが言う。


「それは、二人も分かっているでしょう? 山田先輩に言っていないということは、おそらく誰にも伝えていないんでしょう。だったら、シンジが自ら言い出すまで私たちは待つしかない」


 ふにっとユリナがマドカの頬に指を沈める。


「……ユリちゃん?」


「……寂しいですね」


 じっと、4人は下を眺めた。


 そこでは、シンジがまだはしゃいでいる。


「うっひょーーーー天珠がキターーーーー一発で!? 俺マジで幸運じゃない!?」


 踊り出しそうなほど、シンジは喜んでいる。


 本物ではない偽物(ゲーム)に。

 感情もない空虚(ゲーム)に。

 誰も傷つかない遊技(ゲーム)を楽しんでいる。



 一人で。



 こうして、シンジが楽しみ、熱狂しながらデートは終わった。


 本来なら、相手との距離を縮めるのがデートなのだろうが……結局、どうしようもないほどに冷たい距離が、どれほど離れているのかも分からないままだった。

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