第289話 デザートが正義

「お、きたきた。白牡牛のステーキ。今日のメインだ。良い焼き色だよシンジ。美味しそう」


「本当だな。ほら、常春さんも、百合野さんも、どうぞ。二人には大きめに焼いてもらうように頼んでいたから」


 両の手のひらを合わせた大きさよりも大きいステーキが、セイとマドカの前に置かれる。


 シンジたちの前に置かれたステーキの倍以上大きいその肉の塊は、少なく見積もっても五百グラムはあるだろう。


 ニンニクと、いくつかのハーブの香りが、肉汁とともに鼻孔をくすぐり、実に食欲をかき立てる。


 そんな豪勢な食事を前にしても、彼女たちの表情は険しいモノであった。


 口を閉ざし、眉を寄せている。


「……おかしいなーさっきまであんなに楽しそうだったのになー」


「あんな爆弾放り投げていて、なんで楽しい食事が続けられると思っているんですか、山田先輩は」


 疑問を口にしているものの、今のセイたちの状況を確実に予見していたと思わせるコタロウの様子に、ユリナは呆れたように額に手を当てる。


「まぁ、確かに『男女の交わり』なんて言い方はないな」


「シンジも、山田先輩に許可しないでくださいって」


 シンジはユリナの言葉に首を傾げながら、ステーキにナイフを入れる。


「いや、『神体の呼吸法』の修練方法について話すのは別にいいでしょ? 別に大したことはしていないんだし」


「大したことはないって……なんであれをそんな風に言えるんですか」


 ユリナは顔を赤くしながら、シンジを睨む。


 しかし、シンジはそんなユリナを不思議そうに見返すだけだ。


「って言われてもなぁ」


 シンジは、フォークで肉を刺し、口に運ぶ。


 噛んだ瞬間に肉汁が弾けるようにあふれ、まるでスープのようだ。


「……うん、うまい。焼き加減が最高だな。火が通っているのに、肉のうま味がそのまま残っている」


「……本当ですね。これは、本当においしい」


 シンジに続き、ユリナもステーキを口に運び、そのおいしさに舌鼓を打った。


「……じゃなくて、セイたちに言うのは、食後に私からしますから、今はやめるように山田先輩に言ってくださいよ」


「……別に良いと思うんだけどな。まぁ、そっちの方が食事を楽しめるなら、それでもいいけど。せっかくこんなにおいしいステーキがあるんだから……常春さんたちもそれでいい? ステーキもあるし、それを食べて……」


 シンジはセイに視線を戻すと固まってしまう。

 ユリナも、続いてセイを見ると、思わずセイのことを凝視してしまった。


 セイのこと、というより、セイの目の前にあるお皿に、である。

 本当に、つい先ほどまで、セイの目の前には巨大なステーキが置かれていたはずなのだが、いつの間にか綺麗さっぱり無くなっているのだ。


「……セイちゃん、食べるの早すぎるよ」


 などと、マドカも言っているが、マドカの目の前にあるステーキも、すでに半分は消えてしまっている。


「え……っと、常春さん?」


「食べてしまいました」


 なんとか声を絞り出したシンジに、セイは努めて落ち着いた様子でシンジに告げる。


「そう……だね」


「はい、食べてしまいました」


「えっと……おかわり、いる?」


 別に感情を荒げているわけではないのだが。

 ヒシヒシと伝わるセイからの冷たい感情に、背中から汗が流れるのを感じながらシンジは、セイに聞く。


「はい」


「そう。じゃあ、ベリスたちに伝えるから……」


「先輩のモノをください」


 セイは、きっぱりと言った。


「ん? 俺の……」


「はい。先輩のステーキを下さい」


 シンジは、自分のお皿に目を落とす。

 そこには、さきほど一口分だけ切り取ったステーキがある。


「いや、俺のは食べかけだし、ベリスたちもすぐに焼きたての新しいのを持ってくるから……」


「先輩のステーキを下さい」


 セイはただそれだけを告げる。

 シンジは、少しだけ考え、結局、大人しくステーキの皿をセイに差し出す。


「まぁ、食べかけでいいなら……」


「ありがとうございます」


 シンジの食べかけのステーキを受け取ると、セイは無表情で食べ始める。


 ゆっくりとナイフで肉を切り取り、口に運んで噛みしめるように、食べていく。


 それは、まさしく吟味をしているようで、なんとも言えない緊張感がある。


「おかわりはまだですか?」


 と、その緊張感の中に入ってきたのは、マドカだ。

 マドカのステーキも、綺麗さっぱり無くなってしまっている。


「うんうん、いい感じだね」


 コタロウはなぜか嬉しそうにニコニコしていた。


 その後、ベリスたちがステーキのお代わりを持ってきたのだが、シンジの前に置かれたステーキをセイが再び所望し、結局シンジはそれを譲ることになってしまった。


「……ステーキが」


 セイに自分のステーキを食べ尽くされ、シンジはさすがにうなだれる。

 セイと、マドカは、満足げにお腹を膨らませていた。


「また、食べましたね。お腹が膨れているのがここからでも分かりますよ」


「うう……食べ過ぎなのは自分でも分かっているけどさ」


 マドカは、少しだけ恥ずかしそうに顔をうつむかせる。


「なら、デザートは必要ないですね」


「食べるよ!!」


とんでもないと言うように、マドカは声を上げる。


「あれだけ食べて、まだ食べるんですか」


「デザートは別腹! だから食べ過ぎではない! これは女子の常識!」


マドカはふんふんと鼻をならす。


「それでも限度はあるんですけど……シンジは、どうしますか? ステーキを食べたいなら、もう一度頼みましょうか?」


 ユリナの質問に、シンジは首を振る。


「いや、さすがに今からはね。デザートと紅茶で十分でしょ。常春さんは?」


 セイはシンジに話を振られ、「ください」と小さく答える。

 コタロウもデザートと紅茶を頼み、それぞれの前に運ばれてくる。


 赤い光沢のある球体だ。


「知恵の林檎のアイスクリーム。周りの球体は飴とクッキーだってさ」


 さくりと、球体にスプーンを下ろすと、中から白い凝結した水蒸気を漂わせながら、艶のある白いアイスクリームが顔を出した。


「甘……甘味! 甘味だよ!!  アイスクリームだよ!! この世の正義、アイスクリームだよ!」


 マドカは感動を押さえられずに、震えながらアイスを凝視している。


「いや、もう、マドカはどこに行きたいんですか」


 もはや食欲の権化と化している自分の親友に呆れながら、ユリナはアイスクリームを一口食べる。


 口に残っていたステーキの濃厚さを完全に消しながら、さわやかな甘さが口内に広がり、ユリナは軽く身震いをした。


セイも、ステーキを食べていた時のような静かな威圧感は成りを潜め、アイスクリームを食べていく。


「デザートは女子の心を完全に掴んでいくね」


「そうだな」


 ステーキの時の剣呑とした雰囲気がなくなっていて、コタロウとシンジは感心したようにうなづいた。

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