第253話 アオイが教える

「……お母さん」


「なに? あ、動かないでね」


 アオイがそう言うと、セイの髪の毛に温かい感触が広がっていく。

 セイは床に敷かれたバスタオルの上に寝ていて、頭には枕のように頭を置けるように加工された洗面台がある。

 まるで美容室のようだ。

 洗面台からは水とお湯が出て、どこに繋がっているのかちゃんと排水もされる。

 それらを自分のバッグから取り出したアオイはポツリと言う。


「本当は魔法が使えたら楽なんだけどね」


「……お母さんは、その、もしかして……」


「んー? 何?」


 ザバザバとセイの髪をアオイはお湯で洗っていく。

 何も気負っている様子がない。

 そんなアオイの様子に、セイは、言うか言うまいか躊躇いを覚えた。

 覚えたが……結局聞きたいことを聞いてしまう。


「殺したの? その、死鬼を……」


「殺したわよー。沢山」


 セイの質問に、アオイはあっさりと答えた。


「……そっか」


「まぁ、沢山ってのはウソだけどね。でもレベルは10はあるし、職業にも就いたけどね」


 ふふふ、とアオイは笑う。


「お母さんは……何の職業にしたの? 弁護士?」


「セイちゃん。そういう情報はあまり漏らさないモノよ?」


 アオイは人差し指を唇に当てる。

 それを片目をうっすらと確認したセイは、ふっと笑った。


「……そっか。ごめんなさい」


「いいわよ。セイちゃんはもっと色々なことを学ばないとね……」


 アオイはシャンプーを手に取り、一度泡立ててからゆっくりとセイの髪の毛につけていく。


「……学ぶって?」


「そうね……セイちゃんは何を聞きたい? 何を教えて欲しい?」


 アオイの問いに、セイはすっと言葉が出た。


「今すぐに、ここから出る方法」


「それは……殺された男の子を生き返らせるため?」


「うん」


 間を置かず、セイはうなずいた。


「……疑問も何もなく即答、か。本当にあの子の事が好きなのね」


 はぁ、とアオイは息を吐く。


「……あの子? ねぇ、お母さんはどこまで知っているの?」


「うーん、だいたいのことは知っているかな? セイちゃんが学校で大好きだった男の子に殺されて、殺人鬼呼ばわりされている男の子に助けられて、好きになって、その子を大好きだった男の子に殺されて、捕まって、一週間以上毎日レイプまがいなキスをされながら監視カメラで盗撮されている」


 クスリとアオイは笑顔で言った。

 その笑顔は実に綺麗で、その感情が実は怒りに満ちあふれているなど、誰も思わないだろう。

 セイでさえ、髪を洗っているアオイの手が止まって震えていなければ、分からなかったかもしれない。


「ごめんね。助けられなくて」


 笑顔のままで、でも弱々しく、アオイは言った。

 今日のアオイは、セイが今まで見たことない様子を見せている。

 最初のテンションが高めな様子も、今の弱々しい様子も、セイは一度も見たことがない。

 普段のアオイは……忙しくて一週間に一度会えるか会えないかといった母親だったが、セイの知る限り物静かで優しい人物だった。


 正しくあるように、清くあるようにセイを育てていたアオイは、冗談を言うことも、弱音を吐くこともなかった。


「私も色々したけど……ダメだった。セイちゃんがあんなことされているのに……ここに来るだけで精一杯だった」


 だからこそ……今までアオイが実は陰で色々動いていてくれていたことをセイは言われなくても察していた。


「ここから私が出る方法は、ない?」


 セイの再度の問いに、アオイはゆっくり首を振った。


「ないことはないけど……たぶんセイちゃんは出来ない」


「……どんな方法?」


「セイちゃんがここから出る一番簡単で早い方法は……駕篭獅子斗君のことを好きになる事だから」


 それは、確かに無理な方法だ。

 アオイから言われただけで、セイは手のひらから血がにじみ出るほどに強く拳を握ってしまっている。


「……セイちゃんは、お母さんがお父さんと結婚した理由って知っている?」


「……え? 理由って、好きだった以外にあるの?」


 突然の話題の変更に。それにその内容に、セイは思わず目を見開いた。

 結婚する理由なんて、好き以外にないはずだ。


「……やっぱり。貴方が許婚の話で騒動を起こした時から思っていたけど……」


 やれやれとアオイは首を振る。


「どうしたの?」


「ん? いや、ただ綺麗に育てすぎたなぁ、って」


 アオイは、自戒の思いを込めるように目を細めた。


「可愛かったから……綺麗に、間違えないように育てたんだけどね。水清ければ魚棲まずじゃないけど。もっと色々な面を見せておくべきだった。そうすればこんな事にはなってなかったのにね」


「……何を言っているの?」


 セイの疑問に答えず、アオイはそっと言う。


「お母さんがお父さんと結婚したのはね。お父さんが強くて権力とお金を持っていたから」


 アオイの告白に、セイは何も言えなくなる。

 そんなセイを見て、アオイはニイっと顔をゆがめた。


「お母さん。元々弁護士になるつもりだったからね。国家の主賓クラス……それこそ、総理大臣とか大統領とかまで警護を勤めることもある常春家と縁を持てるのは、とても魅力的だったの。警護を勤めるってことは、権力者の表も裏も、知ることが出来るって事だから」


 アオイは、顔をゆがめたまま、話を続ける。


「セイちゃんは、お母さんがなんて呼ばれているか知っているよね。最適の弁護士。裁判中の双方にとって最適な結果を出す弁護士……でも、そんな事出来ると思う?」


 メガネの奥の目が、少しだけ濁る。


「権力者との人脈。常春家自体が持つ権力。財力。あらゆる力で、私は最適な結果を出してきた。もちろん。私にとってのね。裏で金を渡したり、脅したり、全ての力を使って。真っ当な方法で、綺麗な方法で最適な結果なんて出せないのよ」


 アオイは、優しくセイの髪を撫でた。


「だから、セイちゃん。駕篭獅子斗くんを好きになったフリは出来ないかな? ウソをついて、セイちゃんが出来る全ての能力を使って、最適な結果を……」


「無理」


 アオイのお願いに、セイは即答する。


「……そっか」


 その答えと聞いて、アオイはほっとしたような、それでいて少し諦めたような表情を浮かべた。


「当たり前じゃない。そんな話を聞いてウソをつけるほど私は器用じゃないし……それに、お母さんは、お父さんのことを好きじゃない、ってわけでもなかったんでしょ?」


 セイの最後の問いに、アオイは答えずにセイの髪に水をかけた。


「わっぷ!?」


「……そうよね。しょうがない、か」


 アオイはセイの髪についたシャンプーの泡を落としていく。


「……ウソをついて加護君を好きになったフリが出来ないなら、我慢しなさい。あの子やあの子の周りが何をしてきても、何を言ってきても、耐えて、大人しくしていなさい」


 アオイは、セイの髪をかき上げるようにしながら、セイの耳元に近づく。


「……わかった?」


「お母さんは、何も出来なかったのよね? そんなにあいつ等は力があるの?」


 セイの問いに、アオイは小さくうなづく


「あの子たちにはこの町で一番の権力者の娘がついているからね。権力、勢力共に太刀打ち出来るような相手じゃない。そもそも世界が変わったせいでお母さんの弁護士としての能力が発揮できる環境じゃないし……それに、お父さんたちも今はこの町にいない」


「いないって……」


「あの人達はこの世界の防人でもあるから。この町だけに留まれないのよ。今は、確か南の方にいるはずよ」


 セイの髪について泡を洗い落としたアオイは、さらに小さな声でセイに言った。


「……あと十日。あと十日我慢すれば、お父さん達がここに来るから。そうすればセイちゃんは自由になる。自由にするから」


 アオイはセイの耳元から離れると、次はコンディショナーを手に取った。



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