第248話 トオカが来ない

 セイはゆっくり目を開ける。

 タオルに覆われている部屋を見て、このヒドい現状が現実であると改めて認識した。


(……顔、洗おうか)


 昨日は体を拭いていない。

 タオルの向こうには一万人以上の好奇な視線があると思うと体を動かすことさえ恐ろしいが、ベタついて気持ちが悪い。

 顔くらいは洗いたいと思い、セイはゆっくり体を起こす。

 寝て着崩れた衣を直し、ベッドから出て顔を洗う。


 さっぱりした。

 そして、そうなると体のベタつきが余計に気になってしまう。


(タオルを湿らせて、ベッドの中で拭こうかな?)


 昨日の疲れ果ててしまった状態では出てこなかった思考がセイから出てくる。

 一度寝て、だいぶ落ち着いたようだ。

 昨日から残る汗によるベタつきの気持ち悪さと、タオルとベッドの布団の先にある視線の気持ち悪さ。

 二者を比べて、セイは体のベタつきの気持ち悪さを取った。


 一応、現在セイの姿は見えていないはずなのだ。

 ならば、体を拭きたい。

 セイは顔を洗ったタオルをそのまま濡らし、絞ってから持って行く。

 そして、ベッドの中に潜り込み、もぞもぞと体を拭き始めた。


(……気持ちいい)


 水の冷たい感触が心地よかった。

 季節は冬なので、セイがいるこの部屋はかなり寒いのだが……基本的に、今のセイの体温はかなり高い。

 別に風邪を引いているからではない。

 ステータスの上昇で強くもなっているが、それ以上に、燃えているのだ。

 怒りが、憎悪が、嫌悪が、心の底から。


 さらにそこに、昨日は羞恥の感情までくべられてしまった。

 それらは、寝て起きても冷めることはない。

 首を拭き、手を拭き、脇からお腹を拭きながらセイはふと思う。


(……髪の毛、洗いたいな)


 意識を取り戻して五日。

 今までは体と同じように濡れたタオルで髪を拭いてきたが、そろそろ限界だ。

 気持ち悪いし、正直臭い。


(シャワーとかダメかな? トオカさんに相談してみよう)


 セイはいつも食事を運んできてくれる女性を思い浮かべ、無意識に彼女を頼った。

 この町の関係者は全て警戒すべきだ。信用できない。とセイは思っていたが、トオカに対しては心を開きつつある。


 唯一、セイの現状に対して怒ってくれたからだろう。


 セイはトオカが渡してくれたズボンを撫でる。

 昨日はそのまま寝てしまったが……今日来たら謝ろう。

 トオカはそろそろ来る頃だ。

 足を拭いていると、うっすらと赤くドアの近くの電球が光った。


(来た。途中だけど……)


 セイは身なりを整えようとタオルを枕元に起き、衣に手をかけようとした。

 そのときだ。

 セイの体が浮き、壁に叩きつけられる。


「……え?」


 セイは目を丸くした。

 電球が光ってから一分間経ってからこの輪は作動するはずだ。

 その事で驚いた。

 その後に、セイは遅れてもう一つの驚きを考察する。


(……なんで壁に? いつもは手と足だけで……)


 トオカが来るとき、セイの手と足を拘束するだけだった。

 壁に張り付けるのはシシト達が来るときだけ。


(……まさか)


 その思考が終えると同時に、ドアが開く。


「……久しぶり」


「……なんであんたがここに?」


 ドアの向こうから来たのは、小さな美少女。


 引間小鳥。

 シシトハーレムの血のつながらない妹枠。


「ご飯……持ってきた。食べて」


 コトリは小さな声でつぶやくと、がしゃんとトレーを床に置く。

 入っていった薄いスープが、床に少しこぼれた。


「もう一度聞くけど。なんであんたがここに来ているの? いつもの人は?」


 剣呑な雰囲気のセイをちらりと見た後、コトリはトコトコと歩いていく。


「あの人はもう来ない」


 また、小さな声でコトリは答えた。


「……なんで?」


「……分からないの?」


 トコトコ歩いたコトリは、ある所で足を止めた。

 そこは、昨日トオカが敷いてくれたタオルの前。

 盗撮からセイを隠してくれているタオルの前。


「……何をするつも……」


 セイの声をかき消すように、コトリはバサッとタオルを剥がした。


「……あの人はアナタと一緒に居すぎた。だから呪いが移っている」


「何を言って……何をしているのよ!!」


 コトリは、またトコトコと歩き、タオルを剥がしていく。


「ちょっ! こら! 止めなさい!!」


 セイの制止の声を無視して、コトリは次々にタオルを剥がしていった。



「……届かない」


 天井にも貼ってあったタオルを、コトリはむぅと睨む。


「『鳥篭女(かごめ)』」


 そんなタオルも、黒い格子を天井から出して剥がしたコトリは、満足気にセイの方を向く。

 もう、部屋にタオルは一枚も無かった。


 完全に、元通り。

 セイを盗撮し放題の環境が戻っている。


「あ、あんた……」


 セイはぜいぜいと息を切らしていた。

 どれだけ叫んでも、コトリはセイの事を無視し続けていたのだ。

 睨みつけているセイを、コトリは無表情で見つめ返し、そしてポンと手を打った。


「忘れていた」


 そう言って、コトリはトコトコとセイに近づいてくる。


「……忘れていたって、あんた絶対聞こえていたでしょうが」


 疲労困憊のセイに、コトリは近づき……そして彼女は通り過ぎる。


「……この……!」


 徹底的な無視に、シシトに対する怒りと近い感情をコトリに思い始めたセイは、彼女が足を止めた場所に驚愕する。


「トイレの中……どうしよう」


 コトリの言う、忘れていたとは、どうやらトオカが置いてくれたトイレの中の盗撮を防ぐ板を外すことのようだ。

 それに気づいたセイは、今まで以上に声を振り絞る。


「いい加減にしてよ! 人を拘束して! キスをして! 胸を触って! さらに盗撮!? 何でこんな事するのよ! この変態共!」


 その渾身の叫びに、コトリはようやくぴくりと反応した。


「……変態って、誰の事?」


「……決まっているでしょう? アンタと、岡野ユイと、ロナなんたらと、それに……駕篭獅子斗」



 言った瞬間。

 セイの首がいきなり締まった。


「ぎっ!……ぐぅう!?」


 息が出来ず、目を見開いているセイを、コトリは睨みつけている。

 睨みながら、その小さな手をセイの喉に向けて伸ばし、何もない空を握っていた。

 どうやってコトリが首を絞めているのかセイには見えなかったが、見当はつく。

 おそらく、黒い格子を使っているのだろう。

 首から金属のような冷たい感触をセイは感じていた。


「いい加減にして。アナタを助ける為にシシトがどれだけ苦しんでいるか……私とユイとロナがどれだけ頑張っているか……分からないの?」


「がっ! かっ……!」


「……コレも回収する」


 コトリは、セイが履いていたトオカのズボンを引きちぎる。


「ぐぅ! がっっかぁああ!」


 セイは抵抗するが、何も出来ない。

 手足は動かせないのだ。


「……私だってこんな事したくない。でも、これは罰だから。常春さんの為だから」


(い……しき……が……)


 コトリが何を言っているが、それに対して怒る余裕はセイにはもうない。

 もうセイの目は白く裏返り、ベロは伸びて口からは泡が吹き出ている。

 だが、それでもコトリはセイの首を絞めるのを止めなかった。


 しばらくして、コトリは部屋のドアを開ける。


「……反省して」


 そう言ってコトリが出て行った部屋には、意識を失ったセイが乱れた着衣のまま冷たい床に倒れていた。





「……う」


 何か体を動かされた衝撃で、セイは目を開ける。

 自分の体に何が起きたのか思い出すのに数秒かかり、そして慌てて意識を覚醒させた。

 手と足どころか、頭さえ動かすことが出来ない中での首締め。

 冗談でもなく殺される所だった。

 目覚めた意識に見たのは、その犯人。

 犯人は、小さな顔でセイを見上げている。


「シシトがトイレはそのままで良いって。監視には必要がない所だから。シシトは優しいね。まだこんなに常春さんは呪われているのに……じゃあね」


 それだけ言って、コトリはセイが手を付けてもいないトレーを持って去っていった。

 足と頭の枷が壁から離れ、セイは体を動かせるようになる。


「……ふぅ」


 だか、セイは座り込んだまま動かなかった。


 ちょうど座り込んだ時のお尻の辺りは、ユイがカメラの位置に指定していた場所だったような気もしたが……体を動かすことが出来なかった。

 セイの体は、カタカタと震えている。

 気を失っている間、真冬の床に寝かせられたままだったのだ。

 いくら熱くなっていた体でも、凍死してもおかしくないほどに、セイは完全に熱を奪われている。


(……燃やさないと)


 セイは息を吐いた。

 沢山吸うために。

 セイは感じていた。

 冷たくなった体と共に、感情まで冷たくなった事を。

 熱い怒りが、冷たい恐怖に変わった事を。


(燃やせ……溶かせ……アイツらは先輩を殺したんだ。だったら燃やせ……キスをされた。胸を揉まれた。だから、なんだ? 盗撮されたから、なんだ? 衣服を剥がれたから、なんだ? 首を絞められたから、なんだ? 殺されかけたから、なんだ? 憎む理由が増えただけだ。嫌う理由が増えただけだ。だったら燃やせ。この嫌悪を、憎悪に変えて燃やせ、燃やせ!)


 怒りは、憎悪は、人をある一つの事に集中させる。

 その集中は、セイの呼吸を飛躍させた。


『神体の呼吸法』


 セイは息を吸う。


(……殺す)


 セイは、床をギュッと握った。

 そして、おもむろに立ち上がり、首を絞められた時に暴れて、さらに床に倒れてかなり乱れてしまっていた衣を脱ぎ捨てた。

 邪魔だった。

 セイの今の姿は、さらしとパンツだけ。

 巨乳美少女女子高生のそのあられもない姿は、カメラの向こうにいる変態達を興奮させただろう。

 おっぱいが、お尻が、セイが少し動くだけでプルプルと動く。


 だが、そんな事はどうでも良かった。

 セイの手から、サラサラと砂のような物が落ちる。

 それがセイが座っていた床の破片であることに、セイを観察していた変態達の何人が気づいたであろうか。

 シンジを生き返らせて、シシト達を殺したあと、見ている変態達も殺せばいい。

 そう思いながら、セイは『神体の呼吸法』の訓練を開始した。

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