第155話 温泉が気持ち良い

「……ふぅ……良いお湯ですね」


 湯船につかり、ユリナが息を吐く。

 一通り体を洗った後、さっそくユリナとマドカはヒノキで出来た内風呂に入った。

 新品同様の清潔な空間に、ヒノキの香りが溢れ、心の底から安らいでく。


「本当に気持ちいいね。こんな温泉に入ったのは……ロナさんの家以来だね」


「そうですね。彼女の家のお風呂も凄かったですね。向こうは洋風でしたけど。後で露天にも行きましょう。青空を見ながら入るお風呂も気持ちいいと思いますよ」


「うん」


 そんな会話をしている間に、セイが、ゆっくりと二人が入っている湯船に近づいてきた。


「おや。常春さん。相変わらず凄まじいおっぱいですね。歩くだけでそんなに揺れますか」


「ちょっ!?」


 セイは、慌てて温泉に浸かって胸を隠す。


「ユリちゃん……」


「私とマドカはそこまで無いですからね。これが無い者のひがみですよ」


「何でちょっとドヤ顔なのよ」


 ちょうど、ユリナとマドカの対面に座るように温泉に入ったセイが、ユリナを睨みつける。


「……で、単刀直入に聞きましょうか。常春さんと駕篭獅子斗の間に何があったんですか?」


「ユリちゃん!?」


 あっさりと、はっきりと聞き始めたユリナに、マドカが驚く。


「私、一度死んで、生き返って、決めたことがあってですね。やりたいと思ったらやる。もう死ぬときに後悔やあんなみじめな思いはしたくないですからね。遠慮なんてしても後悔が残りますし、聞きたいことははっきり聞きますよ」


 セイに、そして、マドカに伝えるようにユリナは言う。


「何があったんですか? そこら辺のことは、明星先輩から聞いていないんですよ。一応彼が生きていることだけは知っているんですが……」


 そこまで言って、ユリナと、そしてマドカも気づいた。


「……されたの」


 セイの表情が、重く、暗く、深く、沈んでいることに。


「殺されたの。私は、アイツに……」


 その表情は、紛れもなく、憎悪に満ちていることに。



 それから、ユリナとマドカは、セイから彼女に起こった出来事について聞いた。


 世界が変わった時、シシトとセイは二人で更衣室にいたこと。


 シシトが、マドカとロナを探すためにセイを一人にしたこと。


 更衣室に一人でいる時に、死鬼に殺されかけ、シンジに命を救って貰ったこと。

 シンジと離れた後に、シシトと再会したこと。

 死鬼になったキョウタと戦い、ユイに殺されかけたこと。

 キョウタに殺されそうになっていたシシトと、ついでにユイを助けるために、キョウタの首を切り落としたこと。


 そして、キョウタの首を切り落としたことで、シシトから『人殺し』と呼ばれ、手足を切り飛ばされ、殺されたこと。




 何が起きたか、細かく、詳細に話しているセイの言葉の調子自体は、淡々したモノであった。


 だが、その話の内容と、言葉に込められた感情の重さに、ユリナとマドカは自然と息をのみ、セイの話が終わる頃には、温泉には、お湯が落ちる音だけが響いていた。


「……なるほど、そんなことがあったのですか」


 セイの話が終わって、一番最初に口を開いたのは、ユリナだった。

 彼女の性格もあるだろうが、口を開けたのは、彼女がマドカやセイほど、シシトに特別な感情を抱いていなかったからだろう。

 一応、警戒対象として身辺を調べた事もあるが、特に問題はなかった。

 なので、マドカの恋を応援する程度の好意は持っていたが、口を開けなくなるほどではない。


 問題は、マドカである。


 ユリナがちらりとマドカの方を見る。

 マドカは、震えていた。

 よく見ると、温泉に入っているはずなのに、唇が紫色に変わっている。


「……それで、先輩に生き返らせてもらったあと、今までずっと一緒に行動していたわけですか」


 セイに質問しながら、ユリナはマドカをそっと抱きしめる。

 傷一つ無いマドカの皮膚を優しく包みながら、ユリナは軽くマドカの背中を叩いてあげた。


「ええ……」


 ユリナの質問に、セイがつぶやくように答える。

 セイも、ヒドい顔だ。

 マドカ程ではないが震えていて、顔に赤みが無い。


「そうですか。ありがとうございます。これで、いろいろな疑問だった点が分かりました」


 セイのシシトに対する反応。

 シンジに対する依存のような態度。

 まだ、残っている疑問もあるが、それも推測出来るくらいに、ユリナの中で疑問は解消された。


「……信じて、くれるの?」


 セイが、暗い瞳の中に、微かに怯えを混じらせて、聞く。


「ええ。彼の性格を考えると、あってもオカシなことではないですし。少なくとも、私は信じますよ」


 そう言って、ユリナは抱きしめているマドカに目を向ける。


「……私も、信じる」


 ユリナの腕の中で、マドカは、小さく、弱く、つぶやく。


「百合野さん……」


「信じたく、ないけど。常春さんの話を聞いていると嘘を言っていると思えないし、それに、ユリちゃんの言うとおり、シシト君、そんな事、しそうだから。シシト君、優しくて勇気もある人だけど……弱いから」


 ぽつぽつと、絞り出すように、マドカが言葉を吐き出していく。


「……そう」


 その、あまりに辛そうなマドカの様子に、セイが目を伏せる。


「……ごめんなさい」


 マドカが、つぶやくようにいう。


「……別に百合野さんが謝ることじゃないよ」


「違うよ。謝らないと。常春さんは謝ってもらわないとダメだよ」


 マドカはユリナから離れて、セイの方を向く。


「そうですね。そんな事があったなんて知らなかったとはいえ、彼の話題を出してしまって……」


「それもだけど……シシト君に、謝らせないと!」


 マドカが、拳を握る。


「……マドカ?」


「百合野さん?」


「常春さんにそんなヒドい事したなんて、許せない! 私、絶対シシト君に謝らせるから! 絶対に!」


 マドカの目が、力強く輝いている。

 唇はもう紫ではない。

 震えているが、その震えは先ほどまでと違う震えだろう。


「いや、別に、私は……」


「大丈夫! 私が絶対謝らせるから! 常春さんは心配しないで!」


 心配などではなく、セイの心情としては、もうシシトに関わりたくないのだが。

 だが、マドカはものすごいやる気に満ちている。


「やれやれ……」


 マドカのやる気に呆れつつ、ユリナはマドカの傷一つ無い肢体を、なんとなく眺めていた。

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