第137話 セイが捕まる
※嫌なシーンです。覚悟を持って読みましょう。
黒い世界。
何も見えない世界。
その世界のどこからか、何か不快な音が聞こえた気がした。
粘り気のある液体が混ざるような音。
食べ物を、咀嚼する音だ。
なぜこの音が不快なのか。
おそらく、欲望を隠そうとしていないからだ。
食べたいという本能的な欲求を、自慢げに、誇らしげに、イヤらしく、汚らしく、アピールしているからだ。
自分は食事をしているんだ。
うらやましいだろう、と言いたげに。
他人の自慢は、不快でしかない。
黒い世界に、一瞬だけ光が射し込む。
すぐに黒い世界に戻ってしまうが、また光が射し込み、それを何度も繰り返すうちに、はっきりと世界に明るさが戻ってくる。
「……うっ」
セイは、目を覚ます。
何か、汚い音で起こされた気がした。
最悪な目覚め。気分が悪い。
まだ焦点が合わない視界を動かし、自分の状況を確認する。
(……なんだっけ? 何をしていて……というか、なんで座って……あれ、動かない?)
なぜか椅子に座っている自分。
手や脚がなにやら窮屈だ。
動かしてみて、どうやら自分の手足が鎖のようなモノで繋がれている事にセイは気付く。
両手を繋ぐようにして、一本。両足を繋ぐようにして一本。それらをイスに絡めて拘束しているようだ。
手も足も背中の方に回されていて、身動きがとれない。
(なんで……そうだ。確か先輩が落ちて、それで、私助けに行こうとして)
自分が気を失う前の状況を思い出し、セイは暴れるように手足を動かす。
だが、鎖は外れない。千切れない。
普通の金属ならば、セイの腕力で千切れるはずなのだが。
(どうしよう……ここ、どこ? 早く行かないと)
今、自分がどこにいるのか。
シンジとどれだけ離れているのか確認するため、セイは周囲を見渡す。
(……なに、ここ)
そして、部屋の光景に、引いた。
そこは、一面ガラス張りの部屋だった。
外の様子を見るに、かなり高い場所のようだ。
そんな部屋の中には、ランニングマシンやダンベルなどのトレーニング機器が置いてあり、その全てが機動していた。
動かしていたのは、裸の女性。裸の少女。
全ての人に角が生えていて、生気は感じられない。
死鬼だ。
(ここは……トレーニングジム? なんで死鬼が……豚?)
死者が、無表情で肉体を動かしている。
全裸で。
そんな見るに耐えない状況からセイは目をそらす。
そして、部屋の中央。
ストレッチをする場所なのか、マットが敷かれている場所に、豚がいることにセイは気が付いた。
豚は、あぐらをかいて座っている。
「くちゃくちゃ……んぐはぁ」
豚は、音を立てていた。
不快だと思っていた、咀嚼音だ。
何かを食べているのだろうか。
セイの位置からだと、豚の横幅が大きすぎて分からない。
豚が、脇に置いていた黒い液体の入ったペットボトル……どうやらコーラのようだ。
それを手に持ち、飲み始める。
手。
五本の指を見て、セイは豚が人であることを認識する。
性別は、雄ではなく、男。
豚のように太った男性だ。
彼も、なにも身につけていないのだろうか。
セイの見える位置からは、肌の色しか確認できない。
「んぐちゅうぎゅちゅ……ぷはぁあ! うめぇええええ!!」
うるさい音だ。
うるさい声だ。
大げさな音を立てるこの豚……もとい男は、何か人を不快にさせるモノを持っているようだ。
気分が悪い。
「ふぅ……コレ、あの子が作ったんだよな……美味かったぁ。美少女で、料理も上手で。良いモノ拾ったなぁ。ちょっと凶暴そうだけど、これからちゃんと調教してあげれば……男の子の裸を見て動揺してたし、あのウブな反応、やっぱり……ん?」
豚……のような男が、セイが目を覚ましている事に気が付いたようだ。
「おやおや……お姫様のお目覚めだぁ」
にやり……というより、ねちゅり、と表現した方が良さそうな、粘着質のある笑顔を男はセイに見せる。
ニキビだらけの頬。
伸びきった鼻毛。
無精というよりただ伸びている汚い髭。
ふけが付いた中途半端に長い髪。
不潔な豚。
男の容姿を表現するなら、そうなるだろう。
男は、とてもゆっくりとした動きで立ち上がり、セイの方を向いた。
唯一救いがあるとすれば、男が下着だけは身に着けていた事だろうか。
おそらく、もとは白だったと思われる黄ばんだブリーフを身に着けている。
豚のように膨れ上がった肉で、背中側からは彼がなにを履いているのか見えなかったのだ。
そんな、汚い豚のような男が、一歩一歩セイに近づいてくる。
その歩みは、遅い。
牛歩、というより豚歩だ。
落ち着きがあるからではなく、単にそのスピードでしか歩けないからなのだろう。
セイのすぐそばまで来た男は、不快な笑顔をセイに近づける。
セイは、その笑顔をにらみ返す。
周囲を死鬼に囲まれているのに、男は平然としている。
この状況で、目の前にいる男性を味方だとは思えない。
おそらくは、敵。
昨日自分たちに攻撃を仕掛けてきた、襲撃者。
次は何を仕掛けてくるのか分からない。
何かされても、今の状態では大した抵抗も出来ないかもしれないが、セイは、全神経を尖らせて、警戒した。
「君、処女?」
「……は?」
そんなセイに、男は唐突すぎる質問をした。
セイは、分からなかった。
目の前の豚のような男が、何を言っているのか。
言葉は聞き取れた。
全神経を尖らせていたから。
ただ、理解出来なかったのだ。
言葉の意味ではない。
なぜそんな事を聞いてきたのか、その意図が掴めなかった。
「んー? あれ、無視? 処女かどうか教えてほしいんだけどなぁ。どうしても答えないって言うならこっちも考えがあるよねぇ」
何か、一人で納得し、うなずく男。
セイが、男の言動に混乱している中、男はおもむろにセイの胸に手を伸ばし、そして、鷲掴みにした。
「きゃっ!?」
突然走った刺激に、セイは声を上げてしまう。
「うほう!? 何だコレ!? 指に暖かな反発が……ふうう……張りか。張りが違うのか。うわぁあすげぇ、やっぱJKって……気持ちいい……うふぁ」
男は、セイの悲鳴を気に止める事無く、彼女の胸を揉みしだき続ける。
ぐにゃぐにゃと、男の手のひらで、セイの綺麗で大きな胸の形が変わっていく。
「や……めっ」
セイの混乱は、さらにヒドくなっていた。
突然聞かれた、およそマトモな思考をしているとは思えない質問に、痴漢行為。
ただでさえ、周囲では全裸の死鬼がトレーニング器具を動かしているのだ。
訳が分からない。
とにかく、抵抗してみようとセイは体を動かそうとするが、鎖が邪魔で動けない。
なすがまま、豚のような男に胸を揉まれ続ける事しかできなかった。
「この反応……やっぱり処女だね? そうだよね?」
男は、セイの胸の感触を楽しみ、セイの反応に喜んでいる。
「あんな冴えない男と一緒にいたから心配だったけど、良かったぁ処女だ。美少女巨乳の処女JKゲット、だぜぇ」
イチイチウザったい男の言動。
ただ、セイはその言動の一部にひっかかる。
「冴えない男……?」
冴えない男。
セイと一緒にいた男は、シンジだけだ。
つまり、冴えない男とは、もしかしたら、シンジの事だろうか。
セイからしてみたら、めちゃくちゃ冴えている男なのだが。
少なくとも、目の前にいる豚のような男と比べれば数億倍カッコいい。
ただ、その訂正よりも、聞かなくてはいけない事がある。
「先輩はどこ? 貴方が……」
「声も可愛いねぇ。……ねえねえ名前なんて言うの? 年は? 何年生?」
最優先事項。
シンジの居場所を聞こうとしたセイの言葉を遮り、男は一方的な質問をぶつけてきた。
セイの胸を揉みながら。
「なに言って……」
「僕はカズタカ。けど、僕を呼ぶときはご主人様って呼んでね」
そして男、カズタカは、セイの質問を聞かず、勝手に名前を名乗りセイの胸をもみ続ける。
「しかし本当に美人だねえ、おっぱいも大きくて気持ちいいし……ねぇバスト何カップ? F? G? それともエッチなHカップ?」
ぐふふと笑うカズタカ。
美少女であるセイの胸をもみ続け、セクハラな発言をして、うれしいのだろう。
楽しいのだろう。
本当に気持ち悪い。
手も、顔も、気持ち悪いだけの存在だ。
「いい加減に……」
そろそろ、セイは我慢の限界だった。
もう、カズタカが襲撃者とか関係ない。
会話も成立しないし、ここまでされたのだ。
カズタカは敵だ。
倒して、自力でシンジを探す。
そう、セイの中で確定する。
倒す方法が無い、訳ではない。
方法はある。
ただ、その方法を、今のタイミングで使ってしまって良いのか。
セイは、悩む。
その時だった。
「ああ、気持ちいい……顔も可愛いし……ぐへっ」
カズタカは、だらしなく顔を歪ませたかと思うと、右手をセイの胸から離し、セイの顎を掴んで持ち上げた。
「いただきまーす」
そして、カズタカはセイの頬を舐めた。
べろりと、ぬちょりと。
「……っ!?」
「ふひひひ」
奇声を上げながら、カズタカはセイの顔を、綺麗なセイを吸い込むように、汚い自分を刷り込むように、舐め回す。
美味しそうに、獣のように。
しばらく舐めた後、カズタカはセイの顔から口を離す。
「べろべろべろ……ぐふふ……どう? 気持ち良かった?」
気持ち悪い笑顔で、カズタカが微笑む。
その笑顔を向けた相手、セイの顔には、生ゴミのような臭いを放つ液体がまとわりついていた。
「あれ? 反応が無いなぁ? もしかして、反応出来ないほどメロメロになっちゃった感じ? ぐふふ……まいったなぁ、こっちの方のレベルも上がっちゃいましたか。まだキスもしていないのに、これだと大変だよ?」
なぜか勝ち誇った笑みを浮かべて、カズタカはセイを見下ろす。
「キスは処女を奪うときに一緒に奪ってあげるから。美味しいお弁当を食べさせてもらったし、沢山気持ちよくしてあげるよ」
ぐへぐへと、聞くに堪えない笑い声をカズタカは上げる。
「……お弁当?」
セイは、静かに聞いた。
「そうそう、あのお弁当、美味しかったけど、君が作ったんだよね?」
セイは少し顔を動かし先程までカズタカがいた場所を見る。
そこには、赤色のリュックがあった。
くしゃくしゃになった風呂敷があった。
ギトギトに汚れた、空になった弁当箱があった。
あの中身は……
「特に唐揚げが絶品だったよん。この唇みたいにジューシーで。このおっぱいみたいに柔らかくて。また食べたいなぁ」
カズタカは満足げな表情を浮かべる。
本当に、美味しかったのだろう。
「こっ……のぉおお!」
「おっと」
思いっきり、勢いよく、唯一動かせる部分であった頭を振り動かしたセイ。
だが、咄嗟に出た頭突きも、カズタカに避けられてしまう。
「危ない危ない」
「この……! なんで、アンタなんかが……!」
許せなかった。
あのお弁当は、セイが、シンジのために作ったお弁当だ。
シンジが喜んだ、唐揚げを詰めた弁当だ。
シンジの笑顔を見るための、お弁当だ。
決して、目の前の豚を喜ばせるモノでは、ない。
「その反応、やっぱり君が作ったんだ。良かった良かった。男が作った弁当だったら吐き出していた所だよん」
おえっと吐く真似をするカズタカ。
その行為がさらにセイの神経を逆なでする。
「このっ! 絶対、殺してやる!」
「殺すとか……ご主人様に向かってそんな事を言っちゃダメでしょう」
カズタカはセイの顔を持つ。
「ダメな奴隷には教育しないとね。大丈夫、僕ちゃんは優しいから。ちゃんと気持ちよく……」
「死ね」
セイが冷え切った声で、カズタカに言い放つ。
「また、そんな事言って。おしおき……ぶげぇ!?」
そのとき、突然、カズタカの顔面に、拳が叩き込まれた。
叩き込んだのは、セイ……によく似た少女。
セイの『分身』だ。
「鎖を外して」
どこか、冷めている自分を感じながら、セイは淡々と『分身』に指示を出す。
怒り過ぎて、逆に冷静になったのだろうか。
「……臭い」
自嘲気味に、セイは笑う。
この臭さの原因の一つは、自分が作った料理なのだろうか。
そう思うと、よりいっそう悲しくなる。
「……違う」
言い聞かせるように、セイはつぶやく。
きっと、違うはずだ。
シンジとなら、シンジが食べたのなら、違うはずなのだ。
「……鎖外れないの?」
そんな思考をしている間、セイの分身はセイを拘束している鎖を外そうとしていたが、外す事は出来なかった。
どうやら、鎖は特別な素材で出来ているらしい。
「じゃあ、イスを壊して」
ならば、とセイは『分身』に出している指示を変える。
その変更を受けて、『分身』はすぐさまセイが座っているイスを破壊した。
セイは立ち上がる。
手足共に鎖が付いたままだが、鎖が絡まっていたイスが無くなった事で、ある程度自由が効くようになった。
歩いたりする程度には、問題はなさそうである。
そのことを確認するとセイは、すぐさま『分身』を消した。
SPを消費するからだ。
SPが無くなると動けなくなってしまう。
だから、セイは『分身』の使用を悩んでしまったのだ。
幸いな事に、気絶していた時間が思ったよりも長かったか、『分身』で消費するSPが減っているのか、特に異常はない。
顔と、心以外に。
「あ、顔、拭いてもらえばよかった」
まだ臭う生ゴミの臭いに、セイは後悔する。
両手を拘束されている状態では、顔を拭う事も出来ない。
分身を消してしまう前に、タオルか何かで、顔をふかせれば良かった。
「ぐっ……この」
「……まだ生きてたの?」
聞こえてきた声に、セイは気持ちを切り替えた。
『分身』の攻撃は大した事が無かったようである。
倒れていた汚物……豚、カズタカが立ち上がろうと動き始めていた。
「ぐげっ!?」
そんなカズタカの背中を、セイは踏みつける。
「何……して……」
「何って、殺すのよ」
セイは、カズタカを踏みつけている足に力を込める。
「ぐ……ぎぃ? 痛い痛い痛い!」
「うるさい、気持ち悪い。先輩のお弁当を食べて、顔を舐めて、胸を揉んで、お弁当を食べて……死ね、豚」
セイは、そのままさらに力を込めて、カズタカを踏み殺そうとした。
だが、カズタカも黙ってはない。
「ぐぅう……縮め、『グレイプニル』!」
「きゃっ!?」
カズタカが叫ぶと同時に、セイの足と手につながっている鎖の長さが、急に縮む。
歩けるほど余裕のあった鎖は、縮んで足同士がくっついてしまうほど短くなってしまった。
たまらず、セイはバランスを崩して倒れてしまう。
「ぐっ……痛てぇ。くそ、ミスリルタロちゃんも遅いし、何やってんだよアイツ。おかげで無駄に痛い思いしたじゃねーか」
悪態を吐きながら、カズタカは立ち上がる。
「このやろう……大人しくしてたら調子に乗りやがって」
カズタカは、セイの体を股越して、仁王立ちする。
自分は偉いと、強調するように。
「さてさてさて……どうしようかな。どうするかな」
そう言って、カズタカは右手をセイの目の前で拳に変える。
しっかりと、親指を中に入れて。
これで殴る、という意思表示。
「一応僕ちゃんも、紳士だからね。女性に手を上げるなんて事はしたくないんだよ。だから、ちゃんと『ご主人様申し訳ありません』って言うんなら……」
「黙れ豚。気持ち悪い。臭い。絶対殺す」
カズタカの言葉を遮って、セイは言い切る。
「こ……のっ!」
全身を震わせて、カズタカはセイの顔面を殴った。
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