第129話 朝ご飯が美味しい

 朝。

 それは、静けさが終わる時間。

 音が鳴り始める時間。


「ふんふんふん」


 カチャカチャ。

 コトコト。

 ジュージュー。

 少女の鼻歌に合わせるように、食器や、鍋や、フライパンから音が流れていく。

 一日の始まりを告げるその合奏は、実に楽しげで、明るい気分にさせてくれる。


「……おはよう」


 そんな合奏が鳴り響く空間に、挨拶をしながら少年が入ってきた。

 シンジだ。

 シンジの入室に気づいたセイは、すぐさまシンジの元へ駆け寄って来た。


「おはようございます! 先輩!」


 元気よく、明るく、向日葵のような笑顔で、セイはシンジに挨拶を返す。


「……やけに元気だね」


「はい! おかげさまで、ぐっすり眠れましたから」


 セイは、シンジに笑顔を振りまきながら昨日の眠る前の事を思い出す。




 昨日、寝る前。シンジが襲ってくるのではないかとセイは警戒し続けていた。


 来るのかな、来ると思う、必ず来るはず。


 そんな思考の堂々巡りを幾度も繰り返していたセイ。

 だが、その思考も、時間が経つにつれて徐々に変わっていった。


 まだ来ない、なぜ来ない、何があった。


 そこまで変化して、セイは起きあがった。


 来ない理由。

 もしかして、一人で戦いに?


 その妄想を否定できずにセイは部屋を出て、シンジの寝室に向かった。


 いるかな、いると思う、必ずいるはず。


 シンジの部屋の扉の前に到着したセイは、耳を澄ませた。


 扉の先から聞こえてくる微かな吐息。

 扉の先に、眠っている人の気配を感じたセイはひとまず胸をなで下ろした。

 安心し、そのままセイは自分の布団に戻ろうとしたのだが、その時セイにある疑問が生じる。


 本当に、いるのか。


 生じた疑問。


 解決する方法は簡単だった。

 扉を開けばいい。

 実に簡単。

 セイはすぐさまそれを実行に移した。


 眠っているシンジを起こさないように、ゆっくりと、シンジの部屋の扉を開く。


 ゆっくり、ゆっくり、慎重に、音を出さずに。


 そう思えば思うほど、不思議とセイの鼓動は早く、呼吸は荒くなった。

 自分の鼓動と呼吸と争いながら、なんとかシンジの部屋の扉を開いたセイは、息を飲んだ。


 飲み込んだ。


 開いた扉の先は、シンジの部屋だ。

 自室だ。


 ゲームが好きで、部屋にいることが多かったシンジの自室には、彼の人生そのものが染み込んでいると言っても良い。


 部屋を漂う空気や、置いてあるモノ一つ一つが、全てシンジそのもの。

 そんな濃厚なシンジの空間にセイはやってきたのだ。

 だから、セイは飲み込んだのだ。


 セイは、ゆっくり、慎重に、シンジの部屋にはいっていく。


 一歩一歩。

 踏みしめる。


 部屋に入り、はっきりとシンジの呼吸音を確認したセイだったが、姿を見て確認しないといけないと自分で自分に言い聞かせていた。


 一歩歩けばシンジの呼吸の音がはっきりと、一歩歩けばシンジの姿がくっきりと。


 そして、とうとうセイは確認した。

 眠っているシンジの姿。顔。

 その無防備な姿に、セイの鼓動と呼吸のうるささはピークを迎える。

 鼓動と呼吸の音で、セイの視覚以外の情報が埋まるほどに。


 だが、すぐにそのピークは収まった。


 鼓動と呼吸の音が小さくなり、変わりにセイに静けさが訪れる。


 その静けさは、とても心地の良いモノだった。

 足りないモノが、埋められるような。

 柔らかい衣で、包まれるような。


 その感覚は、間違いなくシンジの寝顔から与えられていた。


 それから一時間ほど、セイはシンジの寝姿を堪能し、自分の布団に戻っていった。


 眠る時間は短くなったが、それ以上の効能を、セイは得ることが出来た。

 心も、体も、コンディションはバッチリ。

 鼻歌も出るというモノだ。


「少し待っててくださいね。もう出来上がりますから」


 今にも、踊り出しそうな陽気さで、セイはキッチンに戻っていく。


「……うん」


 そんなセイを送り出したシンジのテンションは、まるで冬眠しているクマのように、低い。


 昨日、セイが部屋に入って来たとき、シンジも起きていたのだ。

 長くて黒い髪の少女が、何も言わずに一時間以上、枕元に立っていたのだ。

 怖くないわけ、疲れないわけがない。


「……ふう」


 シンジは、息を吐いて、テーブルの椅子に座る。

 もちろん、シンジは、昨日の夜枕元に立っていた少女がセイであると分かっている。

 だが、セイならセイで、色々疲れるのだ。

 一応、眠れはしたが、ぐっすりぱっちり大丈夫、という状態ではない。


 セイのコンディションは、真夏の向日葵。

 シンジのコンディションは、真冬のクマ。


 これから、マンションにいる襲撃者との戦いが待っているのに、大丈夫だろうかとシンジは不安になる。


 昨日眠る前よりも、体も心も疲れは取れてはいるが……


「お待たせしました!」


 そんな思考をシンジがしている間に、セイがお皿に盛られた料理を持ってやってくる。


「……おっ!?」


 その料理に、シンジが反応する。


「今日の朝食は、卵焼きと、唐揚げです」


 セイは、シンジの前に山盛りに盛られた唐揚げを置く。


「昨日、結局夜ご飯を準備出来なかったですし、ガッツリした食べ物が良いかなと思ったんですけど……」


 シンジは、唐揚げを見つめたまま、黙ったままだ。


「えっと、重かったら言ってくださいね。一応、お味噌汁やお漬け物もあるので」


 セイは、他の準備していた料理やお茶をテーブルに並べる。

 一通り、並べ終えて、セイも椅子に座った。


「……もう、準備は終わりましたけど」


「……いただきます」


 一心に、唐揚げを見つめたまま、シンジは食事の挨拶をした。

 そして、挨拶が終わった瞬間、シンジは唐揚げに箸をのばす。


「ハッフッハフ」


 掴んだ唐揚げを、すぐさま口の中に入れたシンジは、唐揚げの肉汁と格闘を開始した。

 噛んだ瞬間、あふれ出してくる肉汁。

 ひたすらに、熱い。

 火傷のダメージをおいながら、シンジはなんとか唐揚げを飲み込んだ。 



「……どうですか?」


 唐揚げを食べ終わったシンジにセイは伺う。


「……」


 セイの問いに答えず、シンジはセイが準備してくれたお茶を飲み干す。


「……美味いね」


 飲み終えたシンジは、そうつぶやくと、また唐揚げを食べ始める。


「……はい」


 その一言で、セイの機嫌はまた上昇していく。

 そして、シンジのコンディションも良くなっていく。


 美味しいモノを、好物を食べただけで、体調が回復するシンジ。

 親友から子供っぽいと言われているのは、伊達ではない。

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