第109話 シンジとセイが旅立つ
「…………冗談ですよね」
驚愕と、困惑と、そして少しの恐怖を込めて少女が言う。
「いや、マジ。本気って書いてマジだし、真面目って書いてマジ」
その少女の言葉に対して、少年が冷静に普段通りの態度で答える。
「別の方法は無いんですか? 明星先輩」
少年の方を向き、少女。
高校一年生の常春 清(とこはる せい)が懇願するように少年を見つめる。
「別の方法って言われてもなぁ」
セイの少しだけ潤んでいる切れ長の目に、ちょっと反応しながら少年。
高校三年生の明星 真司(めいせい しんじ)が困ったように返答する。
「だって……学校から逃げ出すだけですよ? だったら、普通に階段で逃げても」
「もう、内部に進入しているみたいだからね。階段なんて使ったら、ロナって子の警備部隊の人たちと、鉢合わせするよ」
「だからって」
そういって、セイはシンジから目を離し前を向く。
眼前に広がるのは、街の景色。
セイが生まれ育った街。雲鐘市の光景だ。
都会と、海と、山が混ざった、街。
その光景が、何にも遮られる事無く広がっている。
壁も、窓も、何も無く。
「だからって、5階から飛び降りなくても良くないですか!?」
そう、今シンジとセイが立っている場所は、昨日ハイソと名乗る猫耳を生やした美少年が5階の壁に開けた穴の前だ。
この穴から、シンジはハイソに校門まで吹き飛ばされた。
そのときと同じように、シンジはこの穴から校門まで飛ぼうとセイに提案していたのだ。
「そんな事言われてもなぁ……現状、コレが一番ベストなんだし。今の俺たちのレベルなら、5階から飛び降りたくらいじゃ、死にはしないでしょ? 100階とかになったら流石にどうなるか分からないけどさ」
「そう……かもしれませんけど、けど、わからないじゃないですか」
シンジの意見を、セイが渋る。
「はぁ……まさか、常春さんが高所恐怖症なんて……」
冗談めいた感じで、シンジが言う。
「これは高所恐怖症とか言うレベルじゃないと思うんですけど」
少し、申し訳なさそうにしているセイ。
セイも、頭では5階から飛び降りた程度で、今の自分たちが死なないだろうという事は分かっている。
分かっているが、中々踏ん切りがつかないのだ。
シンジは、一度ハイソに吹き飛ばされて無事だったのに対してセイはレベルが上がってまだ日が浅い。
その経験の差が、二人の意見を変えているのだろう。
「それに、飛び降りたりしたら逆に目立ちませんか? 外を見張っている人がいないわけないと思いますけど」
「その点は大丈夫、『|笑えない冗談(ブラックジョーク)』を使うから」
そう言って、シンジはセイに黒い布を見せる。
「それ、確か昨日身につけていた黒いマントですよね? それがどうしたんです?」
「コレ、空気中の成分とかも弾き出す事が出来るんだけど、この効果を利用して……」
シンジが、黒い布を身にまとう。
すると、シンジの姿が霞んでいく。
「え?」
「空気中の成分を調整して、空気の光の屈折率を操作してみた。コレで、遠距離からなら、ほとんど見えなくなると思うよ。それに、飛び降りるときに空気を弾き出して降りるから直接校門に向かう事が出来る」
警備隊がいるのはほとんど校内で、校門には人はいない。
ここから飛び降りれば、ほぼ確実に誰にも見つからずに学校から抜け出す事が出来るはずだ。
「うぅ……」
だが、セイはどこか不服そうだ。
まだ、覚悟が決まらないのだろう。
「とにかく、そろそろ飛ばないと。時間がないよ? まぁ、最愛のシシトくんと感動の再会をしたいってなら、話は別だけどさ。そのままシシトくんの所へ行く?」
シンジがそう言うと、セイはビクリと肩をふるわせ、縮こまる。
「イヤ……です。それだけは、絶対イヤです」
明らかに、今までと様子が違うセイに、シンジ呆れたように息を吐く。
「しょうがないなぁ……」
「きゃっ!?」
そう言いながら、シンジはセイの肩を抱き、足を抱える。
いわゆる、お姫様だっこだ。
「せっ……せんぱ……?」
「行くよ」
そのまま、シンジは5階から飛び降りる。
「き……きゃぁああああああああああああ」
重力から解放され、体に感じる浮遊感が強くなっていく事に恐怖したセイが思わず叫ぶ。
「|笑えない冗談(ブラックジョーク)」
そんなセイの叫びを意に介せず、シンジは、その身につけている黒い外套の名前を呼ぶ。
すると彼らの後方から、風が吹き付けていき、前方に加速していく。
景色がドンドン後ろに流れていく。
学校の出口、校門に向かってシンジ達は進む。
「きゃああああああああああああああああああああああああ」
地面に激突する寸前。
吹き付けていた風が、シンジ達が向かっていた方向と逆方向に吹き、強力なブレーキとなってシンジ達を柔らかく地面へと導いた。
音もなく、校門の前に立つシンジ。
「………………」
その腕の中で、セイが小さくなって震えている。
「着いたよ」
「………………」
セイは、何も反応しない。
「おーい」
動かないセイのほっぺたを人差し指でつんつんとするシンジ。
だが、セイは震えたままだ。
「……なに、怖くて漏らしたの? 服の汚れなら『リーサイ』で……」
「違います!」
セイは顔を上げた。
「なんだ違うのか。ずっと返事してくれないから、てっきり……」
「返事が出来なかったんです! 急にあんな事されたら、動けなくなるに決まっているでしょ!?」
セイはシンジに顔を近づけ、抗議を続ける。
「分かった分かった。分かったから。ごめん、ごめん」
その抗議をうるさそうに、シンジは聞き流す。
「まったく……」
まだ、腹の虫が収まらないセイだったが、とりあえず矛を収める。
「ところで常春さん」
「……なんですか」
シンジが、少し嬉しそうな顔をしながらセイに問いかける。
「いつになったら、離れるのかな? 常春さんの気持ちの良いおっぱいを押しつけられるのは、悪い気分じゃないんだけどさ」
「へ……?」
そう言われ、セイは今の自分の状況を確認する。
足と背中はシンジに持ち上げられてお姫様だっこ状態で、その上、セイはシンジの首に腕を巻き付け思いっきり抱きついていた。
ものすごい密着度である。
「きゃくあぁああ!?」
自分の状況に気づいたセイは、慌ててシンジから離れる。
押しのけるように、シンジから距離を取ったセイは、激しく鼓動する自分の胸を押さえながら立ち尽くす。
「まったく、いくら怖かったからってあんなに抱きついて。俺だって男の子なんだぞー」
そんな軽口をシンジは言う。
「うっく、ううう」
まだ、動揺が収まらないセイは、声にならない声を出しながらプルプルと震えていた。
「まぁ、落ち着くまで休んでてよ」
そう言って、シンジは校門の近くで何かを探し始めた。
(うううううう……)
セイは、恨めしそうにシンジの背中を見ながら、落ち着こうと心を静めていく。
しばらくして、ある程度思考が出来る程度まで落ち着きを取り戻したセイは、先ほどの行動を反省する。
(うう……いくら動揺していたからって、あんなに近づくなんて。いや、先輩が勝手に抱き上げたんだけど。……そう言えば私、昨日からお風呂とか入ってないけど……大丈夫、よね?)
セイは、自分の体のにおいをくんくんと嗅ぐ。
特に異臭はしない。
昨日は、かなり体を激しく動かしたはずなのだが。
そこで、セイは気づいた。
制服も、セイ自身の体も、綺麗な事に。
傷一つない。
昨日は、魔物や死鬼の返り血を浴びて、かなり汚れていたはずなのに……
(……あれ? なんで? 制服は、先輩の『リーサイ』って魔法で直せるから分かるけど、私の体は……)
セイの脳裏に、シンジが鼻の下を伸ばしながら何も身につけていないセイの体を拭いている光景が浮かんでいく。
(いや、いやいやいやいや)
セイは、頭を振ってその光景を追い出す。
(……でも、仮にそうだとしても、私は、そんな先輩について行くって決めたんだし、何も言う資格はない。そうだ、何も言っちゃいけないんだ)
セイは、先ほどの自分の態度を振り返る。
(あのとき、先輩が飛ぶって決めたんだから、反論なんかしないで、飛び降りないと。実際、先輩の意見は間違ってなかったんだし。怖かったからって、あんな事、言っちゃだめだ)
そう、セイは反省する。
(素直……になろう。先輩の言うことに、素直に従う。まっすぐに)
反省した所で、シンジがセイの所に戻ってきた。
何も持ってない。
「お待たせ。行こうか」
「行こうかって……先輩、捜しモノは見つかったんですか?」
セイがシンジに訪ねる。
「いや、無かった」
あっさりと答えるシンジ。
「無かったって……差し支えなければ、何を探していたのか聞いてもいいですか?」
無かったという割には別段悔しそうなそぶりも見せないシンジに、セイは不思議な気持ちで聞く。
「ああ、ハイソのiGODだよ。あるなら回収しようかなって思ってたけど……落ちてなかったし、もういいや」
そう言って、シンジは少しだけ地面が凍っている場所を見ていた。
そこは、昨日ハイソが最後を迎えた場所。
「……先輩」
「さぁ、行こうか」
シンジが振り返り、校門に向かって歩いていく。
振り返る直前に、少しだけ浮かんだシンジの悲しそうな顔に、少しだけ寂しさをセイは感じた。
(……がんばろう)
共有出来ないその思いが、これから増えないように。
「はい」
セイはシンジの後についていった。
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