第82話 半蔵が走る

 ……時間は少々遡り、。

 まだ校庭が魔物たちであふれ、生徒たちが殺戮されていた時の事。


 ロナの元へと向かっていた半蔵は、群がる魔物たちを倒しつつ食堂に到着した。


「お嬢様!? お嬢様ー!!」


 だが、そこにいるはずのロナの姿は無い。

 食堂はもぬけの殻だった。


 大切なお嬢様。


 半蔵は周囲の部屋の中や、トイレ、机の下やカーテンの裏など、半ばパニックになりながら、ロナを探した。


「お嬢様……」


 半蔵がここまで慌てているのには理由がある。

 ロナの元にいるはずのエリーとも連絡が取れないからだ。


 何か起きてしまっている。


 半蔵にとってロナは娘も同然だ。

 落ち着くことなど、出来はしない。

 半蔵が調理に使う大きな鍋の底を確認している時、それは聞こえた。


「ギャアアアアアアアア」


 校庭にいたドラゴンの咆哮。

 シンジによって凍らされたドラゴンが、その氷結を解き、叫んだ怒りの声。

 その声によって、半蔵の体が止まる。

 同時に、沸騰しそうなほど熱を持っていた半蔵の脳が急激に冷めていく。


「……ふぅ」


 ドラゴンの咆哮による緊張から解放された半蔵は、息を吐く。

 そして、半蔵は自身の額を殴っていた。


「バカか俺は。慌ててどうする。20代のガキじゃあるまいし。俺はもうオッサンだぞ。オッサンは頭を使え。情報を整理して予想しろ。お嬢さまはどこにいる? お嬢さまは誰といる? お嬢様は……何を望んでいる?」


 半蔵は自身に問いかける。

 その問いの答えを導き出すために必要な情報が、次々に半蔵の脳を巡る。

 情報が、情報とつながり合い、形になっていく。


 答えが出た。


 とても、癪に障る答えだ。


 半蔵は、その答えに従って食堂の近くにある階段を登る。

 2階の体育館を過ぎ、校舎に進む渡り廊下の先で半蔵は見つけた。


 ロナだ。

 ほかに、二人いる。


「お嬢様!」


 半蔵がロナに駆け寄る。


「半蔵!?」


 突然聞こえた声に驚きながら半蔵の名前を呼んだあとロナが安心したかのように息を吐く。


「お怪我は……ありませんね。よかった。……エリーは?」


 ロナの様子を確認した半蔵は、努めて優しい声でそばにいるはずの部下の事をロナに聞いた。


 怪我はないが、ロナの目尻は赤く腫れているのだ。


「エリーは……殺されたわ。一緒にいた土屋くんが急におかしくなったの。怖い声が聞こえてきて、ビックリしている間に、彼に……」


 凄惨なエリーの死を思いだし、ロナは再び恐怖と悲しみに襲われ涙を浮かべる。


「そうですか、エリーが……」


 半蔵は、拳を固く、固く握る。

 連絡が取れない時点で何かしら起きているとは考えていたが、それでも辛いモノは辛い。

 だが、その辛さに身をゆだねている状況ではない。

 半蔵の仕事はロナの身の安全の確保。

 そしてロナを無事に屋敷まで護送する事だ。


「それで、その土屋という少年は?」


「キョウタは今、常春さんとユイが相手をしてくれています」


 半蔵の問いに答えたのはシシトだ。


「……常春の嬢ちゃんが?」


 突然出てきたセイの名前に驚きながらも、状況を想像する半蔵。


 半蔵は、今まで何体も死鬼、おかしくなった人を相手にしてきた。


 その経験から、おかしくなった人が一般人と同じくらいの強さしか無いことを知っていた。

 エリーが死んだのは、ドラゴンの咆哮に身体が硬直した結果だろう。

 正面から戦えば、負けることはないはずだからだ。

 そして、半蔵はセイの実力も知っている。

 エリーと同じくらいのはずだ。

 ならば、その土屋という少年と正面から戦えばセイに危険は無いはず。


 そう、半蔵は考えた。


 半蔵は、強い死鬼がいる事を知らない。

 しゃべる死鬼がいることを知らない。

 キョウタがニット帽をかぶり、マスクをしてまで自身が死鬼である事を隠していたなど、想像さえしていなかった。

 ただ、体調が良くなかった少年がドラゴンの咆哮のタイミングで、おかしくなった。

 それぐらいにしか考えていなかった。


「……常春の嬢ちゃんたちと、土屋はドコで戦っているんだ?」


「え? えーっと」


 半蔵の問いにシシトが目を泳がせる。

 シシトは、その場面では気絶していたのでよく分からないのだ。


「向こうの校舎の、端の教室よ。半蔵、お願い! すぐに助けに行ってあげて!」


 シシトの代わりに、ロナが答える。

 ロナの懇願。

 だが、半蔵はロナの目を見ないようにしながら言う。


「いや、その土屋という少年の相手は、常春の嬢ちゃんに任せて私たちは屋上に行きましょう」


 半蔵は、ロナの手を引く。


「ちょっと、半蔵!?」


 半蔵の答えに、ロナは驚愕した。


「ここは危険です。一刻も早く脱出しないと」


「じゃあ、すぐに常春さんたちを助けて、それから……」


「ダメです。お嬢様を、危ないと分かっているヤツがいるところに連れていけません。かといって、このような危険な場所に置いていけません。すぐに屋上に向かいヘリで脱出します」


「そんな! ユイを見捨てるんですか?  常春さんも! 半蔵さんは強いでしょ? なのに、そんなの、無責任じゃないですか!」


 シシトが、半蔵に非難の声を上げる。


「……小僧、ちょっとコッチ来い」


 そんなシシトに、あきれた顔をした半蔵が手招きをした。


「……なんで……ブフッ!?」


 シシトが半蔵に近づいた瞬間、半蔵はシシトの顔面を殴っていた。


「シシト!?」


 倒れたシシトに、コトリが駆け寄る。


「なっ、なにしているのよ!」


 ロナが、半蔵に叫ぶ。


 だが、半蔵はそんなロナを無視して、シシトをにらみつけていた。


「無責任だぁ? 誰のせいでこんな事になっていると思っている! お前は……本当に、癪に障るなぁ!」


「俺は、別に……何も……」


 反論するシシトの言葉を、半蔵が遮る。


「ちゃんと食堂に待機していたら、助けられたんだよ! なのにこんな場所で……お前がお嬢様たちをこの校舎まで連れてきたんだろ? 大好きな人を捜すためとか何とか言って。止めるお嬢様を引き連れて。違うか? おい!」


 半蔵が言っていることは、ほぼ正解である。

 伊達に警備部隊の隊長ではない。

 人の行動予測は、お手のモノだ。


「それは……けど、ロナが勝手に……」


 だが、それは客観的な観点であり、当事者は、シシトは、今の状況に置いて自身の非がある点を認めていなかった。


 ロナが勝手に

 その言葉が、半蔵の怒りを、さらに大きくする。


「お前は……! 本当に、人を怒らせる天才だな! いいか? 男なら、まずは守れ! 守りたいと、助けたいと思う人がいるならな! ダサいんだよ! 言葉が! 行動が! お前は男だろうが! なんでお前がここにいて、嬢ちゃんたちが戦ってるんだよ! 言い訳する前に、頼る前に、まずは自分で守ろうとしろ!」


「……俺だと足手まといだって……だから、ユイは半蔵さんが守って……」


「俺はロナお嬢様を守る。ロナお嬢様を守り、助けることが最優先だ。それ以外は守らないし俺が守るべき責任はない」


 半蔵は、言うだけ言うと、ロナの手を握り階段に向かって歩き出した。

 シシトの反論は聞かない。

 反応は見ない。

 時間の無駄だからだ。


 外には凶暴なドラゴンもいる。

 早く、ロナをヘリに乗せなくてはならない。

 本心を言えば、半蔵もセイを助けに行きたかった。

 セイの祖父には色々お世話になってきたからだ。

 しかし、助けに行くことが出来ない。

 半蔵が何よりも優先すべき事は、ロナを無事に屋敷に送り届ける事なのだから。

 怒りと苛立ちを抱えたまま、半蔵はロナの手を引いて階段を登ろうとする。


 そのとき、廊下の先から誰かが駆け寄ってくるのが見えた。


 女子生徒だ。


 セイ達だろうかと立ち止まった半蔵は、すぐに銃を構えた。


 セイではなかったからだ。

 ユイでもなかったからだ。


 見たこともない生徒。


 さらに言えば、彼女たちは人でも無かった。


「がああああああああああああああああああ!!!」


 角が生えたうつろな女子生徒。

 それが4人。

 唾をまき散らしながら、人とは思えないスピードでこちらに向かって走ってくる。


「お嬢様! 耳を塞いでください!」


 半蔵は、そう注意しながらロナを背後に隠すと、銃の引き金を引いた。


 廊下の壁に反響しながら、銃声が響く。


 4発。

 正確に、女子生徒たちの額を狙った半蔵の銃弾は、彼女たちの額を傷つける事は出来なかった。


「な!?」


 半蔵が撃つ瞬間、女子生徒たちはさらに加速して銃弾を避けたのだ。


 その動きは、半蔵が今まで見たおかしくなった人達より何倍も速い。

 人の動きではない。


「あああああああああああああああ!!」


 その、驚異的なスピードのまま、前の方を走っていた二人の女子生徒が半蔵に飛びかかってきた。


 速い。

 だが、半蔵にとってそのスピードは捕らえられない速さではなかった。


 銃を手放した半蔵は、飛んできた2体の女子生徒達の腕をそれぞれつかむと、簡単にバランスを崩し転倒させる。


 そのままナイフを持つと、後ろの方を走っていた女子生徒一人の角を切り落とす。

 角を切り落とされた女子生徒の体は、制服を残して消えた。


「うああああ」


 もう一人、走ってきた女子生徒の噛みつきを避けながら半蔵は女子生徒の手首を掴む。


 ちょうど、先ほど転倒させたばかりの女子生徒達が起きあがろうとしていたので、半蔵は手首を掴んだ女子生徒の体を振り上げ、そして二人に振り下ろした。


 40キロを超える物体を叩きつけられた少女達。

 廊下がへこみ、そこに血だまりが出来る。


 それでも、まだ彼女たちは動こうとしていた。


 体中の骨が、バキバキに折れているのだが。


「お嬢様、目をつむっていてください」


 半蔵はナイフを握りながら、ロナに言う。


「は、半蔵?」


 ロナは、目の前で繰り広げられた激しい戦いを見て、目に涙を浮かべていた。

 そして、これから半蔵がしようとしている事を予見し震えている。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 それは、シシトも同じだった。


 銃声に驚いて気絶したコトリを支えつつ、シシトは半蔵を止めようとする。


 だが、半蔵はそんなシシトを無視しながら、叩きつけた女子生徒の角を切り落とした。


 角と、制服を残して、女子生徒の体が消える。


「あぁ!?」


 ロナと、シシトが、二人とも声を上げた。

 ロナに見られてしまったが、元々そこまで見せないでおこうと半蔵は思っていた訳ではない。


 必要な事でもあるのだ。

 この光景は。

 ロナを守るために。


「半蔵、貴方……」


「半蔵さん、なんて事を! 止めてください! そんな事とう!?」


 文句を言うシシトの顔を殴って黙らせ、半蔵は倒れている女子生徒一人の頭を持つ。


「先ほどは、見るなと言いましたが、取り消します。しっかり見ていてください。お嬢様があのマオという少女に何を言われたか知りませんが……今はこういう状況です。こういう世界です。襲いかかってくる人の命を、気にしていられる状況ではありません」


 半蔵は、ナイフを女子生徒の角に当て、切り落とそうとした。


 だが、その手を、ロナが握って、止める。


「……お嬢様?」


「分かって、いる。半蔵が言いたい事は分かっている。けど、お願い。やめて。私、その子とお話した事があるの。一回だけで、名前も知らない子だけど。けど、お願い」


 半蔵は、角を切ろうとした少女の校章をみる。

 赤色。

 つまり一年生。

 ロナたちと同じ学年の生徒だ。


「半蔵さん、俺からもお願いします。友達、というほどの仲じゃなかったですけど、その子達、俺も知っています。お願いします。助けてあげてください」


 鼻から血を流しながら起きあがったシシトは、そのまま頭を下げる。

 コトリという少女は、気を失ったままだが。

 高校生二人の真摯なお願い。


 命を救う、お願い。


 悩むな、という方が無理であろう。


 少しだけ、半蔵の動きが止まる。

 その間に、少女たちは自身の怪我の治癒を終えていた。


「うがぁあああああああ」


 自分たちの体のケガが治ると、すぐさま少女たちは、半蔵の腕と足に噛みつこうとしてきた。


「半蔵!?」


 だが、半蔵は動じる事もなく、足を上げ腕を回すだけで簡単に少女たちの体を宙に浮かし廊下に叩きつけた。


 そのまま、半蔵は拘束用のロープを取り出すと、あっというまに少女たちの手と足を縛り、拘束してしまった。


「……わかりました。ただ、一つだけ条件があります」


 半蔵は、ロナの目を見る。


「こんな銃弾を避ける化け物のようなヤツらがいる以上、今からすぐに屋上に向かい、脱出します。これ以上はお友達を助けません。常春のお嬢さんも、ユイという少女も、見捨てていきます。いいですね?」


 半蔵の、有無もいわさない強い口調にロナは口を閉ざす。


「そんな! お願いうんぶ!?」


 詰め寄ってきたシシトの顔面を、半蔵は見もしないで殴った。


 殴りとばされたシシト。

 だが、ロナもそちらを見なかった。

 半蔵の、真剣なまなざしから、目をそらすことが出来なかったからだ。


 半蔵はあえて言わなかったが、これは二択なのだ。

 友人と、知り合い。

 2名ずつの、命の選択。

 友人は、見えない所にいて、知り合いは目の前で。

 友人は不確実で、知り合いは確実で。

 どっちを見捨てるのか。

 そんな、残酷な、選択。


『どっちも助けて!』


 など、甘い事を言おうモノなら、半蔵はすぐさま、目の前の少女達を殺しセイ達を助けに行く事もしないだろう。

 両者を救う選択は無い。


 そう、半蔵は眼で言っていた。


「……わかった。行きましょう」


 ロナは、折れた。

 決めることが出来なかったのだ。

 友人の命と、知り合いの命。どちらを選ぶか。

 命の選択など出来るはずがない。


『その二人を殺していいから、常春さんと、ユイを助けに行って』など、言えるはずがない。


 結果、ロナは選択を放棄し、半蔵が出したもっとも簡単な答えに、寄ってしまった。


 ロナは、泣いた。

 これは卑怯な涙だと、ロナ自身も分かっていた。


 そんな半蔵達を、一匹の小さな蠅が観察していた。

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