第75話 セイが走る

 セイは、走っていた。


 悲鳴が聞こえた方向に向かって。

 廊下の先まで見てみるが、人がいる様子はない。

 だが、声はそう遠くない。

 少なくとも、同じ階のどこかからだ。


 セイは、体育館と校舎をつなぐ廊下を渡る。


 走りながら、外の様子が見えた。

 うごめくモノ。

 学校の至る所で、何か動いている。

 小さいなモノから、大きなモノまで。


 二足歩行で動いている。

 だが、そのモノは人ではない。


 全て化け物だ。


 犬のようなモノ、猿のようなモノ、イノシシのようなモノ。

 セイの人生で一度も見たことが無いようなモノ。


 魔物、というモノであろう。


 セイが対峙した、触手の化け物と同様に。

 その魔物に紛れて、人の姿も確認できた。


 人、といっても、生きている人ではない。

 死鬼という、死んだ人が動いている、人を襲う化け物。魔物。

 学校中が、いつの間にか魔物に包囲されている。

 おそらく、先程の身も凍るような咆哮も魔物のモノだろう。


 ならば、聞こえてきた悲鳴は?

 その問いの答えとして予想される事態を想像し、セイは走る速度を上げた。







 ロナ・R・モンマスにとってエリーという女性は、姉のような存在であった。


 気むずかしく、ワガママで、友人が少なかったロナにとって、気さくで、明るく、そして強いエリーと話をする時間は、とても楽しく彼女といると安らぎさえ感じるモノであった。


 そんなエリーが、廊下に倒れていた。


 ビクビクとおかしな痙攣を起こしている。


 変な動きでロナを笑わせようとしているのだろうか。


 今のロナは泣いているから。


 だとすれば滑稽だ。

 ロナが泣いているのは、エリーが廊下に脳をぶちまけて、死んだからなのに。


「イヤァアアアアア」


 ロナの悲痛な叫びが響く中、エリーの極上脳スープを堪能したキョウタは泣き叫ぶロナの方を見る。


「しぃみるぅうわぁああああ」


 キョウタは歯に挟まったエリーの金髪を見せながらロナに笑う。


「ひぃっつ」


 なぜ、そのような顔が出来るのだろうか。

 キョウタの笑顔は、今まで見たことが無いほどさわやかな笑顔であった。

 その笑顔の原因が何であるか想像し、そのおぞましさにロナの体は固まる。


 体から力が抜ける。


 ロナは、その場にへたり込んだ。

 泣きじゃくり、恐怖に震えるその顔に学校一の美少女の面影はない。


「ロナさんの顔も美味しそうだよね、可愛いから」


 キョウタが、笑いながらロナに近づいてくる。


「ひっ、ひっ」


 ロナは、必死に、手を動かしてキョウタから距離をとろうとした。


 足はダメだ。

 立ち上がれない。


 体の隅々まで染み込んだ恐怖はロナの体の主導権を奪っている。


「美しい顔、美味しい顔、美しい顔、美味しい顔」


 そんなロナに、キョウタは鼻歌を交えて上機嫌といった様子だ。


「美しい味と書いて美味、美少女の味と書いて美味」


「ひぅ!?」


 キョウタがロナに追いついた。

 跨ぐように、ロナの上に立つキョウタ。


 キョウタが大きく口を開ける。


「よだれぇえええええええええ」


 キョウタの口の端からたらりと唾が垂れた。

 ロナの顔に、キョウタの涎がかかる。


「…………いやぁ」


 ロナは、つぶやく事しか出来なかった。

 自身の涙と、キョウタの涎でロナの幼さが残る端正な顔が、グチュグチュに汚れる。

 キョウタは、ロナの肩を掴んだ。


「いただきまーす」


 ハンバーガーでも食べるのかと思うほど、キョウタはさらに大きく口を開けた。

 食べるのは、ハンバーガーではないが。

 ごちそうを、ロナの美しい顔を食べるために、キョウタは口を開けているのだ。


 キョウタの口が、ロナに迫る。


 ロナは、その口の中を見た。

 暗い暗い口の奥。


 エリーの目が見えた気がした。

 辛そうに苦痛に満ちた、目。

 恨み辛み怨念の、目。


 そんなエリーの目をロナは今まで一度も見たことがない。

 エリーは、何を訴えたいのだろうか。

 分からない。

 食べられれば、分かるのだろうか。


 放心。


 ロナの心は、もうキョウタの口の中にいた。


「やめなさい!」


 ふっ、と。

 ロナに心が戻ってくる。

 後ろから聞こえてきた、力強い声に、反応したからだ。

 だが、その間にもキョウタの口はロナの顔を食べようと近づいてきていた。


「やめなさいって、言っているで、しょ!」


 風で髪がなびいたと思うと同時に、キョウタの顔は横に動いていた。

 キョウタの頭に受けた衝撃に合わせて、彼の体も横に動いていき廊下の壁にめり込んでいく。



「大丈夫? ロナさん」


「あ……うぅうう」


 恐怖でグチャグチャだったロナの心が、安らいでいく。

 背中に感じるのは、暖かさと、強さ。

 ロナは声を出せなかった。


 ロナの背後に立っていたのは、彼女のクラスメイト。

 常春清(とこはる せい)だった。

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