第70話

「獲物は? すぐ食べられるの?」 肩が触れるほどの――つまり、いつもの――距離で隣に腰かけ、メルヴィアがそう問うてくる。ライはその質問に軽くかぶりを振って、

「否、出来ればしばらく冷やしておきたい――冷却が不十分だと肉に臭みが出るし、傷みが早くなる」 というライの返答に、メルヴィアが納得したのか小さくうなずく――畑を狙って近づいてきた獣が罠にかかると内臓を抜いてから家の前を流れる川に一晩沈めておく、ライの普段の行動を知っているからだ。

「とはいえ、今日はその暇も無いな――折を見て引き揚げて、水が抜けるのを待って朝方に解体するしかないか」 その言葉に、メルヴィアが軽く腕組みした。

「そうだね――もう今からじゃ、解体する時間も無いだろうし」

「それか、いっそ水に浸けたまま次の野営地まで持ち運ぶか――皮を剥ぐなら一気に全部剥いでしまいたいが」 剥いだ獣皮を保存して皮紙ひしの生産業者に売却するという点からそんなことを口にして、ライはカップを丸太の上に置いた。

 実際問題として、皮を剥いでしまったら迂闊に持ち運ぶことが出来なくなる――剥き出しになった脂身がすぐに汚れるからだ。ライは畜産業者根性が染みついているので、可食部を台無しにすることには苦痛しか感じない。

 とはいえ十分な塩の無いこの状況では脂身を保存出来ないので、食べきれないぶんはどのみち破棄することになるだろうが――

 小さく溜め息をついて、ライは小屋の外へと視線を向けた。

 外はそろそろ暗くなってきている――太陽が直上に近い位置からはずれたことで、木々の隙間から射し込んでくる日光が減少しているのだ。日光の降ってくる方位に遮蔽物の無い川の近くはそこだけまるで照明スポットライトで照らし出された劇場の舞台ステージの様に明るく見えているが、川岸から離れた野営地の敷地内は足元が覚束無いというほどではないもののかなり薄暗い。

 これが森の外の平地であれば、まだまだ視界に困ることは無いが――

 今夜はもう出来ることが無い――あの猪の解体作業は、今夜中には手をつけられない。

 死骸の冷却に数時間、そのあと今度は血管に入り込んだ水を抜くのにさらに数時間――寝る前に水から引き揚げた猪の死骸を逆さに吊るし、翌朝降ろして動かせる状態にする。実際に解体を行うのは、次の野営地に着いてからになるだろう――ここで精肉作業を行っても邪魔になるだけだ。

 となると、とりあえず今夜と翌朝の食糧が必要になるが――

 一応、この野営地にも十分な量の食糧が保存してある――加工肉の燻製とスモークチーズ、乾燥させた野菜や果物。ただしライがひとりで――気が向いたらメルヴィアとふたりで――やってきたときに、彼らを長くても十数日養える量しかない。基本的に狩猟の際には食糧はすべて外から持ち込んで、保存の効くものは入れ替える。今回の様に補給無しで持ち出すというのは、この世界に定住した初期のころ以来だ。

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