第35話

 硝石、つまり硝酸カリウムは土中に存在する土壌細菌がアンモニアを分解することで発生する硝酸態窒素化合物の一種だ――砦に強襲制圧ハード・アンド・ファーストをかける際にそうした様に可燃物に添加することで酸化剤として利用することが出来るほか、窒素化合物として植物の栄養分になる。工業的に生産される堆肥の主原料でもあり、かつてペルーでは島嶼とうしょ部の営巣地に堆積した海鳥や海獣の糞が化石化したものが化学肥料の原料として大量に採掘され欧州へと輸出されている――グアノと呼ばれたこれらは当時のペルーに空前の好景気と経済発展をもたらしたが、資源の枯渇に伴って経済の崩壊をもたらすことにもなった。

 硝石は酸化剤としての性質を利用して黒色火薬ブラックパウダーの原料として使われるため、戦国時代の日本においては硫黄と並んで極めて重要な戦略物資だった――当時は便所などの床下の土を湯に浸けてから濾過、その濾過した水にさらに便所の土を浸けることを繰り返して水溶性の硝酸カリウムを抽出していたという。

 また硝酸カリウムにはボツリヌス菌の活動を抑制する働きがあり、このため燻製を作る際にソミュール液と呼ばれる高濃度の塩の溶液に肉を漬け込むえん工程にソミュール液に添加したり、あるいは肉の塊に直接擦り込むことで食品安全性を向上させることが出来る――ソーセージの本場ドイツでは、塩漬作業の際に肉を漬け込むソミュール液への添加が義務づけられている。

 現代日本で販売されているウィンナーやベーコン、ハムのたぐいでも煙で燻した本格的な高級品から燻液スモークフレーバーに漬け込んだだけの一山いくらの安物まで、様々な製品に添加されている。この際に肉がピンク色に発色するため、原材料名の欄に発色剤と記載されていることもある――亜硝酸塩、硝酸塩、結着剤、発色剤、いずれも同じもので、たまに見かける『無塩せき』と記載された製品は硝酸カリウムの添加を行っていないことを意味する。

 よくスーパーで売っている一山いくらの安物のベーコンはほとんどがピンク色だが、あの発色は硝酸カリウムの添加によるものだ。

 これらの添加物はアミノ酸の一部と結合してニトロソアミンと呼ばれる発癌性物質に変化するとされているのだが、厚生労働省は発癌性を否定している――正確には『確認出来ていない』という玉虫色の言い回しだが。

 まあ実際問題ベーコンやハムなどは食品添加物関連の本だと悪の親玉みたいに扱われているが、ベーコンをさんざん批難しておきながらコンビニおにぎりで鮭を推奨する筆者の言うことなど眉唾モノにもほどがある。ライとしては別に添加物isBADを頭から否定する気は無いが、添加物が少ないからといって海産物を勧めるのはどうなのだろう。

 コンビニおにぎりは赤飯派――セブンイレブンの塩気の効いたやつ――というライの趣味はこの際置いておいて、海産物など有毒物質の濃縮度合いで言えばこの手の連中の忌避すべき最筆頭だろうに。ライ個人の意見としては、硝石の添加による肉の色の変化があまり好きになれないが。

「硝石は肥料の原料だからさ、工業的に肥料を作ろうとすると必須のものなんだよ。堆肥にも含まれてる、というか主成分だから、人間は農作物由来で年がら年中硝石を体内に取り込んでる――体内で毒性のある物質に変わるのは確かだが、大騒ぎするほどの影響じゃない。その硝石の溶液をお茶の代わりに飲んででもいなければ、大丈夫だろ」

 ライの言葉にメルヴィアが手にしたカップに視線を落とし、

「へえ、硝石って肥料にもなるんだ――じゃあそのへんの木の根元にでも撒いたら役に立つの?」

「ああ。でも勿体無いからやめてくれよ」 ライはメルヴィアの言葉にそう返事をして、クッカーを片づけるためにユーコン・ストーヴの脇の樽に歩み寄った。

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