第61話

 まあもちろん、自分の素性を秘匿したいのであれば名乗らないこともあるのだろうが――なにしろここにいるのは誇り高い貴族ではなく、一国の王女を誘拐した国賊だ。犯罪者に誇りもへったくれもあるまい。

「そうか」

 ライが小さくうなずいて、膝で押さえつけたケニーリッヒの背中に軽く体重をかける。

「つーわけでケンちゃんよ、いくつか聞きたいことがあるんだがね」

「ライ――ライだと? と言ったな――そうか、おまえを知っているぞ! おまえが弓の勇者シーヴァ・リュー――偽りの王ジーク・ルグスに媚び諂っている漂流者ガンシューか!」

「んなこと言われても」 ケニーリッヒの御託は流すことにしたらしく、ライは適当に首をすくめ、

「さて、尋問のひとつめだ。牢屋の鍵を持ってるか」

「笑わせるなよ、小僧が! ジーク・ルグスごときに飼われているシール風情に話すことなどなにもイギャァァァァ!」 ケニーリッヒの科白の後半は――ライが掴んだ足首をグイッと捩ったために――悲鳴に変わった。


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作者注……

 こういう場合日本であれば相手を走狗イヌ呼ばわりしますが、カランを家畜化した犬がエルンには存在しないため、もっとも一般的な家畜であるシールを罵倒語に使ってる様です。家畜野郎シールって感じですね。

 ちなみにファイスも家畜化されてないので、豚野郎とかの罵倒語も語彙自体が存在しません。

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 ライは両手で足首と爪先をそれぞれ掴んだケニーリッヒの右足を軽く揺すり、

「あと八分の一回転捩ったら後遺症が残るぞ。本当かどうか試してみるか?」

「ふざけるな、やめろ!」

「やめてほしけりゃ質問に答えろ。繰り返さなくても俺が知りたいことはわかってるだろう」 あくまでも反抗的なケニーリッヒの態度もどこ吹く風といった様子で、ライがそんな言葉を口にする。ケニーリッヒは黙っていたが、十を数えたあたりでライが足首をもう一度捩ろうとすると、

「上着だ! 右側の物入れに鍵束が入ってる!」

 その言葉に、ライがガラに向かって目配せをする。ガラはケニーリッヒのそばにかがみこんで上着を探り、紐でまとめられた六本の鍵を取り出した。

「殿下ひとりを捕らえておけば十分なのに、なんで牢屋全部に行き渡るだけの錠前をそろえたんでしょうね」

「もし生き残りが出たら、捕らえて連れてくるつもりだったんじゃないか」 ガラの口にした何気無い疑問に、ライがそう返事をする。

「兵士なり侍女なりに人質としての価値は無いだろうが、そいつらを痛めつけてリーシャ・エルフィの反抗を封じることは出来るだろうから」 漂流者はその代わりかな――一面識も無い連中の悲鳴を聞かせたところで、意味があるとも思えないが。ライはそう続けてからこちらに視線を向けて、

「ガラ、代わりにこいつちょっと抑えてて――なんだったら脚の一本も折ってもいいぞ。さっきも言ったとおり、口だけ動けばそれで十分だから」 ライはそう言ってガラとケニーリッヒの抑えを交代すると、小さな手帳を取り出して何事か書きつけた。それからもう一度ガラと交代して、

「お姫さんを出してやってくれ――死体を先に片づけといたほうがいいかもしれんがな」 そう言って、ライはガラに手帳から破り取った紙片を手渡した。その紙片自体も、明らかに異界の高度な技術で作られたものだとわかる――驚くほど薄く仕上げられた罫線入りの紙面に、見たことの無い異界の文字で何事か書きつけられている。

 ライが元いた世界の言語なのだろう――彼がニホンと呼ぶ、彼の生まれた国の言葉だ。

「敵の死体は――もう運び出したというか、下の壕に棄ててるみたいですね」 そう返事をしたガラの視線の先で、ふたりの兵士が賊の死体の足を掴んでその体を引きずっている――彼らは南側の防壁が崩落した箇所まで苦労しいしい賊の屍を引っ張り上げると、そのまま防壁のすぐ下の空壕へと敵の死体を投げ棄てた。

 ライはガラの視線を追って――彼は崩落箇所の手前で地面に膝を突いているので、死角になって状況はわからないだろうが――そうかとうなずいてから、

「漂流者はそれだけ見せてまだ出すな――片言でもいいから『コレヲヨメ』って言って見せれば読むだろう。四十人くらいいるから、暴れ出したら制御出来ないからな」

「わかりました。でも、こっちはライひとりで大丈夫ですか?」

「ああ、問題無い」 ライの返事に、ガラはきびすを返して歩き出した。

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