第55話

 まあ、探しているのはそれではない――すぐに床の上に散乱したガラス片、窓から投げ込まれた酒瓶の破片を見つけて、ライはそちらに歩いていった。

 現代日本の技術で製造された酒用の小瓶は、その程度のものであっても瓶の厚みや容積の均一さなどがエルンのものとはまるで異なる――強く叩きつけられたからだろう、粉々に割れ砕けたガラス瓶をそこまで仔細に調べる者はおそらくいないだろうが、ぱっと見でもわかる特徴のある部分が残っていることは問題だった。

 一升瓶などの押し込み式の栓をするタイプの瓶であれば、別に放置しておいてもいいのだが――栓の素材が樹脂か軟木コルクかの違いしかないからだ――、捩じ込み式の栓を締めるタイプの場合はそうもいかない。

 ネジ山の残っている部分を長靴の頑丈な踵で踏み砕き、そのままぐりぐりと踏みにじってから、ライはガラス片のそばに残った発炎筒の残骸へと視線を向けた。

 ガラが投げ込んだ発炎筒がだいたい同じ場所に落ちたのだろう、ガラス片の横に白い棒状の残骸が落ちている――事故処理が終わったあとの高速道路などでもよく見られる、発炎筒の残骸だ。

 発炎筒の残骸は灰の塊の様なものなので、適当に潰してしまえば問題無い――ライは燃え残った鞄を足でガラス瓶の残骸の上まで動かし、そのまま何度か左右に動かして発炎筒の残骸を鞄でり潰した。プラスティックの残骸が残っていたので、それは拾い上げて回収しておく。

 偽装工作としてはそれほど上等なものではない――注意力のある人間であれば、ことに疑問をいだくだろう。だがここに叛体制勢力の残りの増援なり補給なりがやってきたとしても、痕跡をさほど詳細に調べることはすまい――彼らにとって重要なのは手持ちの兵力コマが撃破され人質が奪い返されたというその事実だけ、もっと言えば善後策を決めるのに必要な情報だ。

「終わったか」 入口のところまで引き返して階段室に出ると、そこで控えていた兵士が剣を鞘に納めながらながらそんな言葉をかけてきた――ライが酸欠で倒れたときに引っ張り出す仕事と、後詰ごづめのために階段室で控えていたのだ。階段を数段降りたところにガズマもいる。

「否、階下したの瓶も始末する」 ライはそれだけ返事をしてから、ふたりを促して階段を降り始めた。ふたりの近衛兵を兵舎から外に出し、自分ひとりで下階層に足を踏み入れる。

 扉が無いので敷居も無いが、階段室と部屋の境にまたがる様にして男がひとり俯臥せに倒れている――窓の外から股間を狙って矢を撃ち込んだ男だ。

 撃ち込んだ矢は肛門の近くから胴体を縦に貫通し、おそらく胸郭から頭部にかけてのどこかで止まっている――ギジンが言ったとおり自分がしたくないことこのうえない死に様ではあるが、まあ撃ち込まれた当時死んだふりをしていただけだったとしても苦しむいとまも無かっただろう。そんなことを考えながら、ライは床の上に散乱したガラス片へと歩み寄った。

 ややあってガラス片と発炎筒の始末を終え、屋外に出る――途端に南向きの冷たい風が吹きつけてきて、強風に煽られた松明の炎が激しく揺れ始めた。

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