第36話

 ライはそこでいったん言葉を切ってから、

「なんにせよ実態を知ってる者はいなくなるか、貝の様に口をつぐんでた。のちに新幹線の技術を盗用して作り上げた中国の高速鉄道の大事故が生存者もろとも物証が埋却されて隠蔽されたのと同じで、これも実態が隠蔽されて大成功だと喧伝された。高速鉄道はネットが発達してるからバレバレだったが、当時はある程度隠蔽に成功しただろうな――とはいえ農産流通にかかわってる者たちはもちろん知ってただろうし、市場に流れる食糧は減る一方だったんだから信じてる奴のほうが少なかっただろうが、迂闊に愚痴でもこぼそうものなら誰に密告されて秘密警察がやってくるかわかったもんじゃないからな」

 そしてルイセンコの学説は実態が知られないまま中国の大躍進政策に取り入れられ、こちらでもとんでもない被害を出すことになった。

「大躍進政策――ああ、中国のあれか」

 大躍進政策というのは一九五八年から六一年にかけて中国共産党政権が行った、農工業の大増産政策のことだ――大躍進政策自体は製鉄・製鋼運動などの様々な『運動』の総称だが、そのうち農業にかかわるものといえばがい駆除運動と密植・深耕しんこう運動だろう。

 四害というのは作物を食害する雀と、伝染病の媒介になる蠅・蚊・鼠のことだ――だが雀は農作物も食害するが害虫となる昆虫類も食べ、特に繁殖期には雛の餌として多くの昆虫を消費する。その雀の駆除は捕食者がいなくなることで様々な害虫の大発生の原因になり、結果として当時の農業生産は大打撃を受けることになった。

 ルイセンコの理論が取り入れられたのは密植・深耕運動のほうで、先述の同種の作物の苗はたがいの生育を妨げないという理論、というか理論(笑)に基づく度を越した密植、あるいはそのほうが根が発達するという理論(笑)に基づいて深さ二メートル近い穴の底に種を埋めるという滅茶苦茶なもので、言うまでもなく失敗に終わっている――本家のルイセンコは雪の上に種子を撒かせたこともあったらしい。家庭菜園でやるぶんには本人が失敗するだけだが、国家政策として打ち出されたことで大躍進政策における農業分野の増産計画は先述の四害駆除運動と合わせて七千万人が餓死するすさまじい大飢饉を引き起こし、それはもうもうそれはもう、それはもう目も当てられないほど悲惨な失敗に終わることになった。

「日本の人口の半分かよ――さすがにそこまでいったら、ルイセンコって奴はスターリンに干されたんじゃないのか?」

「残念ながら勲章を十二回もらって、投獄されることも無く穏やかに死んでるよ――ルイセンコの業績を否定することは当時の指導者様の業績や国家の威信の否定につながるからな。ついでに言うと大躍進政策のあとで今度は北朝鮮に伝わって、そこでも盛大に大飢饉を起こしてる」 処置無しという様に、ライが肩をすくめてかぶりを振ってみせる。

「そんなトンデモ学者と同レベルって――いったいなにやったんだ?」 盛大に眉間に皺を寄せて口にした質問に、ライがちょっと考える。

「密植はこっちでもやってたな――土地の劣化が原因で苗の生育が悪くなったのを日照が強すぎるのが原因だからって暗幕をかけた結果、日照不足と黒体こくたい輻射ふくしゃでやっと生えてきた芽が枯れたり種子が土中で死滅したり。畑にカバーをかけて土壌を加熱することで、土壌そこに巣食ってる細菌や寄生虫を死滅させ清浄化する消毒法というのは現代日本でも行われてる(※)――だが、無論種を撒いてからやる様なことじゃない。ああ、人間の排泄物を撒いたりした時期もあったらしいが」


※……

https://www.kaku-ichi.co.jp/media/crop/earth-building/solar-thermal-soil-disinfection

https://www.sunbiotic.com/know-how/e001647.html

https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/pamphlet/tech-pamph/082560.html

 太陽熱土壌消毒は事前に湿らせた土にカバーをかぶせ、強い日照を浴びせることで土壌を加熱して寄生虫の卵や細菌を死滅させる土壌の養生法のひとつです。臭化メチル代替技術と言われるものの一種ですが、地面を湿らせた状態で行うとより低い温度で細菌が死滅するそうです。

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