第34話

「ところがサンバガエルに発現した婚姻瘤が皮膚下にインクを注入して作られたものであることが、のちにアメリカ自然科学博物館A M N Hの研究員の標本検証で明らかになった――本来科学実験は追試、つまり別の人間が正確に再現出来ることが重要だ。科学論文は実験結果の報告書レポートであるのと同時に、という手順書マニュアルでもあるからな――それが出来なかったから、理化学研究所のSTAP細胞は否定されたわけだ(※)。実のところ、両棲類の飼育は非常に難しい――ダーウィンの進化論支持者はもちろんラマルク主義者にさえ、追試を成功させた者はいない。今に至るまでな」

「いない? なんで?」 康太郎の質問に、ライが歩きながらこちらに視線を向ける。

「カンメラーの実験以降、サンバガエルの水中飼育に成功した例は無い――カンメラーは両棲類の飼育に関して非常に高度なノウハウを持ってて、そういった意味では研究者として間違い無く本物だった。ただのひとりとして、彼と同じレベルの技量を得ることは出来なかったんだ――それがあだになって、結局誰も追試を行うことが出来なかった。監視つきで本人にやらせるには、時間がかかりすぎるしな。カンメラーは自分の潔白を訴えてたそうだが、肯定派も否定派も再現実験を出来なかったから真相は闇の中だ――婚姻瘤がインクを使って偽装されたのが事実なのか、本当に婚姻瘤が出来たのか。偽装だったのならインクを注入したのがカンメラー自身なのか助手なのか、あるいは標本を検証したという自然科学博物館の研究者がカンメラーを陥れるために別のカエルに手を加えて検証結果を捏造したのか――そもそも本当に実験が行われたのか、実態の無い完全なペテンだったのか。インクが注入されてた事実は当時の『ネイチャー』で暴露され、世間からペテン師のレッテルを張られたカンメラーは一ヶ月半後にオーストリア山中で拳銃自殺したそうだ――歴史のミステリーというやつだな。とはいえ実際問題、わざわざ考えるまでもないんだが――もっと長いタイム・スケールでのことならともかくとして、たかが一世代の生活環境が変わった程度のことでその子や孫に後の世代まで影響が出る様な変異が起こるのなら、ロシア人はとうの昔にひとり残らずチューバッカみたいになってるだろうよ」

 『猿の惑星:創世記RISE OF THE PLANET OF THE APES』の舞台は、サンフランシスコじゃなくてモスクワだな――ライがそんなことを続けてくる。康太郎はそれに納得してうなずいてから、

「それは話の本筋となんの関係が?」

「無い――でたらめな理論の支持者であることを納得してほしかっただけだ」

 ライはそう答えてから、

「ルイセンコは獲得形質の遺伝を利用して、一、二世代の極めて短期間に極限環境への耐性を持たせることが出来ると主張した――厳しい環境に作物を置いておくとその作物の遺伝子が変化してその環境に対する耐性を獲得し、さらにそれが次世代に継承されるとな。農作物が対象の話だから、ほんの一、二年だ」

 通説ではあるものの、現代科学では獲得形質は遺伝しないと考えられている――生物学の一部学者の間では論争があるそうだが、『スターウォーズSTAR WARS』を例に挙げて否定的な論を述べた様に、ライは否定的な見解を持っているらしい。少なくともルイセンコが唱えた様に、環境の違う場所に放り出されたからといって遺伝子が唐突に変異することがあり得ないのは間違い無い。


※……

 理化学研究所の元研究員・小保方晴子氏が刺激じゃっのう性獲得細胞、いわゆるSTAP細胞を発表したのち、疑義や不正を指摘されたことで再現実験を試みましたが、結局本人でさえ再度STAP細胞を作製することは出来ませんでした。

 カンメラーの実験は蛙を三世代にわたって繁殖させる必要があることから、技量不足のほかに時間がかかりすぎるからという理由で肯定派も否定派も断念したんでしょうね。

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