第10話

 斜面を降りるとすぐに、森になる――巨大な黒い壁の様に聳え立つ巨木によって高度の低い赤い月マァル・レッセの光が遮られ、魔物の月マァル・シャーイの光も高台に遮られているために、斜面を降りきるよりもかなり早い段階であたりは暗闇に包まれる。

 住民たちがエルンと呼ぶこの天体の衛星は地球の月と異なり主星の自転方向、つまり南北方向に公転している――そのため主星の自転の影響にかかわらず、一日に動く量は三百六十度を公転周期で日割りにしたものになる。地球自体の時点によって見かけ上の公転周期が非常に短い地球の月に比べると、公転周期がかなり長くなるのだ。

 赤い月マァル・レッセの場合、公転周期が二十七日のため一日かけて動く角度はいいところ十三度。赤い月マァル・レッセが中天に移動するまでには、七日以上かかる。

 対して砦を目指す最中の主な光源であった青い月マァル・フーフは一周十五時間という極めて速い速度で公転しているため、しばらく前に完全に沈んでしまった――魔物の月マァル・シャーイの月光は、高台に遮られてこのあたりには届かない。

 結果、標高が樹高よりもいくらか低くなった時点で月明かりによる光源はすべて無くなってしまう。

 樹海の巨木の全高を少し下回ったあたり、ちょうど巨木が作り出す陰と月明かりで照らし出される範囲の境界線のあたりで足を止め、ライは背後を振り返った。

 ガズマと一緒にいた兵士は、ライが先ほど渡した松明を持っている――消す方法が無いので火は点いたままだ。残りの者たちは不必要な状況で手持ちの資材リソースを消費すべきではないと判断したからだろう、今のところ松明は使っていなかった。

「松明をあと二本点けておいてくれ――ひとりは俺のすぐ後ろ、もうひとりはガラの後ろについてくれ。残りひとりは隊列の中央あたりに」

 その指示に兵士たちがたがいに視線を交わし、うちふたりが鞄を探り始める――松明を持っているのは合計八人、つまり近衛歩兵ロイヤルガードたちがそれぞれ一本ずつ与えられている。ギジンのものは今ガズマと一緒にいた兵士が使っているが、残りの兵士たちのものが七本残っている。

 ふたりの兵士が仲間の持っているすでに燃えている松明から火を移し、それぞれ与えられた配置に移動していく。自分の後ろに兵士がひとりついたのを確認して、ライはふたたび歩き出した。

 平地に降りてしばらく進めば、川に出る――東に遡上した先にある水源地から流れてきているもので、淡水魚が豊富に生息している。川底に石がほとんど無いので苔などを主食にする鮎の仲間は棲んでおらず、プランクトンや藻類などの微細な生物を主食にする魚をよく見かける。

 ただ奇妙なのは、今までに見かけたすべての棲息種が地球で見憶えがあることだった――川魚は似た様な魚を、図鑑でしか知らないものもいるが見たことがあるし、鹿や猪、棲息圏の違いはあるがこの樹海には狼もいる。

 こういった同種あるいは近似種としては今までに見かけた動物は地球の同じ生物種とよく似た特徴を持っているほか、植物も――サイズの違いはともかく――極めて似たものが多い。

 環境が似通っているから、そこに棲息する生物の形態や習性も似た様なものになるのかもしれないが――

 川を流れる水の音が聞こえてきて、ライは思考を中断した。

 川の周囲は植生が途切れているために頭上が開け、時間帯こそ限られるものの日光や月明かりで地表が照らされる、樹海の中では数少ない場所で――したがって高台を除いた樹海の中では地表に苔以外の植生がみられる数少ない場所だ。薬効を持つ植物のほか、からむしなどの縄をあざうのに利用出来る植物も自生している。

 その周囲は枝葉に遮られることが無いので月が高く昇っていれば明るいのだが、残念ながら今の衛星の位置では空が開けていてもあまり視界は良くない。

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