第39話

 右手にいた男が、ライが左側面に廻り込むのに合わせて手にした長剣を横薙ぎに振るう――火に晒された痕跡が無く煤まみれになっているところからすると、兵舎内にあったのだろうが。

 あの煙の中で耐えていたのか、あるいは早々に昏倒したためにあまり煙を吸い込まずにいたのかもしれない。いずれにせよ、これはライの立案した作戦のミスだ――ほかの者たちが無事だといいが。

 そんなことを考えながら、賊の左肘を軽く押さえつけて下膊の回転を止める――人間が腕を外側に振り回すとき、回転するのは足首、膝、腰、肩、肘、得物によっては手首。あとは足のステップによってが回る。

 人間が腕を振り回して外側に攻撃するときの軌道は単純だ――そして対処法も単純だ。肘が伸びきる前に回転を止める、それだけで攻撃は封じられる。

 そして――

 肘は人間の体でもっとも硬い部位のひとつだ。だからこそあらゆる打撃系の格闘技は間合いの短さや動きのパターンの貧相さにもかかわらずあえて肘撃ちを技に組み込み、効果的に攻撃に織り込める様に技を練り上げてきたのだ――最終的な攻撃フィニッシュとしてだけではなく、途中で相手に隙を作るためのつなぎ技としても。

 つまり――こういうふうに。

「がっ――」 掴み止めた左手首を引き込みながら繰り出した猿臂ひじの一撃で鼻を叩き潰され、賊が小さな悲鳴をあげる。

 そのまま左手でった左腕を強く引きつけ、右腕を巻きつける様にして腕をかかえ込んで――

 ぱんっという破裂音に似た音とともに、靭帯の切れる感触が伝わってくる。顔面を叩き潰されて上体が仰け反った体勢からタイミングとスピードだけで強引に入った脇固めで瞬時に肘関節を破壊され、賊の絶叫がさらに一オクターヴ跳ね上がった――保持していられなくなった長剣が、床の上に落下して跳ね回る。このまま黙らせたいが、さすがにその時間は無い。

 脇固めに入るための回転を止めずに賊の腕を放し、そのまま体全体で廻りながら間合いを離す――回転を止めたところで、ライは左肘を破壊されて身も世も無く泣きわめいている賊の体を蹴り飛ばした。横蹴りで押し出す様に、真ん中にいた賊に向かって――

 仲間の体が自分のほうへ突き飛ばされたのに気づいて、賊が表情を引き攣らせる。――ひょっとしたら多少の仲間意識の持ち合わせくらいはあるのかもしれないが、メルヴィアをおもちゃにするとかリーシャ・エルフィを暴行するとか言っていた科白から察するにそんな高尚な意識は無さそうだ。

 すっと目を細め、ライは蹴り飛ばした賊を追って床を蹴った。地を這う様に姿勢を沈め、腕をへし折ってやった賊が取り落とした長剣の柄に手を伸ばし――

 無論、賊の体が邪魔になって向こう側の敵にじかに攻撃出来ないのはライも同じだが――ライの場合は、手前の賊も別に味方ではない。殺してもなにも問題無い。

 ずぐ――自分のほうに突き飛ばされた仲間の体越しに突き立てられた煤まみれの長剣の鋒に胸元を刺し貫かれ、賊が口の端から蟹の様に血の泡を噴き出す。

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