第6話
「姫様はご無事だろうか」 口髭を蓄えた年嵩の兵士が、不安もあらわにそうつぶやく――ライはかぶりを振って、ミドルクッカートレックに手を伸ばした。十五年近く前にスノーピークから発売されていた製品で、チタン製の深底の本体にワイヤー状の折りたたみ式の取っ手を備えた両手鍋だ――元の持ち主が空焼きか焙煎でもしたのか、オートバイのチタンマフラーの様に綺麗なチタンブルーに変色している(※)。
地面を掘り返してその土と石で壁を作った簡素な竈の縁に長さ八十センチほどの矢を三本束ねて渡し、その矢柄に引っかけた鋳鉄製のS字フックにミドルクッカートレックの取っ手をかけて炎の上に吊り下げているのだ――えらくぞんざいな扱いだが、矢羽根が傷みさえしなければ別に問題無い。毛利元就の格言ではないが、この程度の重量なら十分耐えられる。
蓋の隙間からしゅんしゅんと蒸気が漏れており、蓋を取り払うと中で水が沸騰していた。ライは竈の壁の上に置いてあったチタン製のマグカップを手に取り、クッカーの中で沸騰しているお湯を同じくチタン製のシェラカップですくい取った。
ライはかたわらに寄り添う様にして腰を下ろした彼女がカップを受け取るのを待って手を引っ込め、
「身代金と引き換えるまで、手は出さないさ――国軍を本気で相手にすることになったら勝ち目は無い、そんなことは奴らだってわかってる」 そんな返事をしながら、ライは眼前で赤々と燃える焚き火の炎に手を翳した。軽く指先を温めながら、
「それに下手に王女に手を出して自殺でもされたら、それで困るのは連中のほうだ」 王女を金に換える前に舌でも噛まれたら、目的を果たせんのだからな――そう続けて、ライは竈に手を伸ばした。
竈の壁にはミドルクッカートレックを吊るすためのものとは別に、なるべく熱を受けない様に端に寄せて二本の矢が渡してある――手頃な幅に調整した二本の矢の矢柄をまたぐ様に、コイル状の金属の取っ手がついたステンレス製の長い串を渡してある。串には燻製にしたファイス――猪に似た大型の獣――の肉を刺してあり、火に炙られた肉からしたたり落ちた脂が時折炭に触れて炎をあげていた。
「ところで――」 焚き火のそばにうずくまって先ほど渡したマグカップに注がれたお湯をすすっていた褐色の肌の少女――メルヴィアが、ライのほうへと視線を向けてくる。腰のあたりまで届く絹糸の様な黒髪が、今は炎の光に照らし出されてオレンジ色に染まっていた。
「いいの? こんなに堂々と焚き火して」 メルヴィアとしては、ほかの連れの兵士たちの疑問を解決するために聞いただけなのだろう――彼女は普段、ライのやることにいちいち疑問を差し挟んだりはしない。ほかの兵士たちは国王の
※……
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/ef/197e41c012d88fcf1796c3f83d0078f8.jpg
チタン製の食器は空焼き、あるいは強火で煎ったりすると変色します。単車のマフラーで青っぽく変色してるものも、チタン製の製品です。
写真のものは作者の持ち物で、粗塩の除湿のために米を煎る作業をしてたらこうなりました。
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