僕は忘れない、みんなのこと。
糸乃 空
第1話 春。
朝を届ける柔かな陽射しがその輝きを増すころ、庭の小さな住民たちが池の周りに集まって来ました。池の中央にある石の上から、ギョロリとした目で周りを見渡しているのはトノサマガエルです。
頭には小さな王冠が、まるで飾り物のようにちょこんとのっていました。
トノサマガエルは、その長い舌をぺこたんぺこたんと二、三度出し入れすると、平べったく横に伸びた口を大きくガバリ。
「諸君! きびしい冬が過ぎ、この場所にもようやく春が訪れた。また我々の役目を果たす季節がめぐって来たことを感謝しようではないか。さあ、忙しくなるぞ、今まさに目覚めようとする植物達が我々を待っているのだから。特に、南側に設置されたプランターには気を付けろ。あそこには、゛せっかち゛が入っているからな。以上」
「了解しました!」
声を重ねた住民達は、それぞれの持ち場へと向かいます。
羽を持ち、活動範囲の広いハチやカナブン達は、遠くのはしっこへ。
活動範囲は狭いけれど、仕事が丁寧なカタツムリとナメクジ達は池の隣りへ。
すばっしこく足の速い砂ねずみ達は、庭全体に駆け出してゆきました。
さあ、仕事の始まりだ。
そのころ、南側のプランターの中では、ふっくらとした可愛らしい3つの球根が、すやすやと健やかな寝息をたてながら目覚めの時を待っていました。
陽射しが増してきたとは言え、寒さにそう強くないフリージアの赤ちゃんにとっては、まだまだ危険な時期です。
けれども、一番左はじに居た赤の球根゛せっかちさん゛は上からじわじわ降りてきた朝つゆを根で吸わず、何を思ったのか大きな口を開けて吸い込んでしまいました。
「冷たっ!」
小さく叫び声をあげながら、長いまつ毛をふるふるっとさせて、くりっとした瞳をパチっと開き、かん高い声を上げます。
「早く外に出なくちゃー」
ふっくらしたその体を小きざみに揺らすと、目一杯力を入れて伸び上がりました。
ぽんっ、と弾けるように顔を出したのは、まだやわらかく青白い新芽です。
「行かなくちゃ行かなくちゃ、早くあの人に会いに行くんだ!」
赤のせっかちさんは、わき目も振らず一心に上へ上へと目指します。
土のつぶつぶさん達が、口を揃えてまだだよ、まだ早いよと声をかけますが、その勢いは止まりません。いつの間にか、周りのつぶつぶさん達はふかふかさん達へと変わっていきました、もう最後に通る層までぐんぐんと伸びてきたのです。
「あ、まぶしい、まぶしいよう!」
パアッと開けた視界に外の光が押しよせて、なかなか目を開けることが出来ません。それでも、優しく頬をなでゆく風や、丸く可愛らしい鼻へ流れ込む空気に、外に出られたことを知りました。
せっかちさんの胸は喜びであふれ、その嬉しさに長いまつ毛を、いつまでもふるふるっとさせていたのでした。
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