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第156話 すべての始まり
わたしは――一体なにをしていたのだっけ? 目を覚ますと同時に入ったのは見慣れない天井だ。そういえば――ここはどこだろう?
しばらく考えて、すぐに思い出した。
わたしは――あいつを――いなくなった夏穂ちゃんを見つけようとして、体育館棟に来たんだ。
それで――
あいつをやっつけたと思ったら、後ろから誰かに――
ずきり、と後頭部が痛んだ。痛みを発している部分に手を触れると、そこにはたんこぶができていた。なにかで殴られた――らしい。
わたしは立ち上がろうとしたけれど、身体に力が入ってくれず、引き起こすことができなかった。何者かに背後からやられたあとに――なにか薬でも盛られたのだろうか? そう思うと、少しだけ恐ろしくなった。大丈夫――なのだろうか?
身体に力が入らないことと、後頭部が痛むこと以外には特に問題はなさそうだけど、と考えたところで――
あいつは――どうしたんだろう?
あいつ――名前も知らない、妖精を自称していたあの娘――彼女は一体どうなったのか?
あのボールを押しつけた瞬間――確かな手ごたえがあったのは事実だ。
それに――
いまわたしがいるこの場所は――ここにやってきたときみたいな異常な世界にはなっていない。
ここまで影響力が及んでいないのか、それとも――
ここは――体育館棟のどこだろう? 使った記憶のない場所だ。目立つ備品も特にない。空き部屋――なのだろうか?
夏穂ちゃんは――どうしたのだろう? 三神先生は心配するなって言ってたけど、やっぱり心配だ。探しに行ったほうが、いいのだろうか?
でも――
身体が動かない。筋肉が脱力しきってしまって、自分の身体を支えることができなかった。上体を起こしているのが精いっぱいだ。
夏穂ちゃんが心配で一人で突っ走って、こんなことになっている自分が情けなかった。助けようとして――結局、助けられるのを待っているなんて無様だ。本当に格好悪い。そんな無力な自分が――嫌だった。
ただ、無為に時間だけが過ぎていく。
なにかしなければ、と思うけれど――どれだけ強く思ったとしても身体はろくに動いてくれない。
――やっぱり、わたしはなにもできないのかな? そんなことを思ってしまう。
どうしてわたしはこんなに無力なのだろう? もう少し――なにかできるようになりたい。夏穂ちゃんに余計な心配をかけさせたくない。夏穂ちゃんは――わたしのために色々やってくれてるから、それに応えられるようになりたい。
そう幾度となく考えても――身体はまったく動いてくれなかった。
――悔しい。
なにもできない自分がもどかしかった。
もうちょっと強くなれれば――夏穂ちゃんに余計な心配をかけさせなくなるのに、と思う。
そのとき――
扉の向こう側から――誰かの足音が聞こえた。それを聞いて、わたしは身構える。
誰かが来る。もしかして、あいつはまだいるのだろうか。それとも――わたしのことを背後から攻撃してきた誰かだろうか?
どうしよう。
だけど――この立ち上がることもできない状況じゃあ、逃げられない。
そんなことを考えている間にも、足音はどんどん近づいてくる。なにか焦っているのか、扉を片っ端から開けているらしい。
駄目だ――そう思った瞬間――
扉が開かれ、そこにいたのは――
「大丈夫?」
扉を開けて現れたのは、夏穂ちゃんだった。
夏穂ちゃんがいなくなってから二時間くらいしか経っていなかったのに、何年も顔を合わせていないかのように感じられた。
それに――
夏穂ちゃんは――ぼろぼろだった。
足を引きずり、呼吸は乱れて肩で息をして、ついさっきまで重病で入院していた人みたいに弱っているのが見て取れる。
わたしを助けようとして――あんな風になっていたのなら、本当に申し訳ない。
わたしがもっと強かったら――夏穂ちゃんはあんなにぼろぼろにならずに済んだかもしれないのに――
夏穂ちゃんは、覚束ない足取りでこちらに向かってゆっくりと近づいてくる。傷はどこにも見えないのに、その姿はとても痛々しかった。
「帰ろっか」
夏穂ちゃんは、いつも通り平板な調子でそれだけ言う。わたしはその言葉に頷いた。
足を引きずりながらわたしのところまで近づいてきた夏穂ちゃんは、わたしの手を取って引きあげようとして――
そのまま、わたしに覆い被さるようにして倒れてしまった。夏穂ちゃんの体重と、冷たい体温が感じられて、わたしは慣れ親しんだその冷たさに少しだけ安心する。
「ごめん。ちょっと疲れたからこのまま少し休ませてくれる?」
うん、とわたしは再び頷いた。
一体――夏穂ちゃんはなにをしていたのだろうか? いつも飄々としている夏穂ちゃんが、ここまで弱ってるところなんてはじめて見た。ここにやってくるまでに、壮絶なことがあったのは想像に難くない。彼女に――そんなことをさせたかと思うと――情けないという以上にやるせなかった。
「……夏、穂ちゃん」
気がつくとわたしは言葉を発していた。いままで出そうと思ってもなかなか出てくれなかったのに――この瞬間になってやっと出てきたのだ。
「……ごめん、なさい」
わたしが久々に発した言葉は、夏穂ちゃんに対する謝罪だった。わたしを助けようとして――ひどい目にあった彼女に対して申し訳なかったからだ。
「いいのよ、別に」
と、夏穂ちゃんはわたしの謝罪の言葉に対し、いつもの調子で返す。
「私は――あんたのことを背負うって決めたんだから、そんなに気にしないで大丈夫よ」
そう言ってくれるのは嬉しい。
だけど――いつまでも、夏穂ちゃんに頼ってばかりじゃいられないと思う。
「そういえば――あんたの声、久々に聞いたわ。前に喋ったのはいつだったっけ?」
確か、ここに転校してきた日――だったと思う。あのときは、いまと違って無理矢理声を絞り出したような覚えがある。
「あんた、声も可愛いんだから喋りなさいな。無理に、とは言わないけど」
うん――と今度は、自分でも情けなるなるほどか細い声で夏穂ちゃんの言葉に対し頷いた。
わたしは――変われたのだろうか?
なにもかも失って、人の道を踏み外しかけているわたしだけど――変われるのだろうか?
変われたのなら、いいなって思うけれど――
よく、わからない。
「大丈夫よ」
わたしの考えを察したのか、夏穂ちゃんはそんなことを言う。
「あんたは私と違って強いから、ちゃんと変われるわ。だから安心して。私も――たいしたことはできないけど、手伝ってあげるから」
夏穂ちゃんのその言葉は――とても深く胸に突き刺さって――
気がつくとわたしは――涙を流していた。
その言葉が――とても嬉しかったから。
泣いていることを夏穂ちゃんに悟られないようにして――わたしはこれから変わっていくのだと改めて決意した。
了
里見夏穂は怪異を食らう あかさや @aksyaksy8870
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