第149話 人でなしと妖精と8

 ――この男は、何者だ?

 夏穂は目の前にいる宮本を注視しながらそんなことを考えていた。


 間違いなく――この男はただの社会科教師ではない。この学園で――夏穂のまわりで起こった数々の事件が彼の手によるものだったのなら、それは考えるまでもなく確実と言える。


 だが――

 なにをしてくる?


 この男は夏穂が抱えているものがなんなのか重々理解しているはずだ。そうでなければ、自分の中にいる怪異を狙うなどしないだろう。


 では――

 なにか、策があるのだろうか?


 夏穂は宮本に目を向ける。そこには、くたびれた中年の男がいるだけだ。その身から、人ならざる空気を纏っていることを除けばどこにでもいそうである。


 この男は――なんだ?


 幼い頃『選別現象』に遭遇し、その身が怪異になりかけている。なので、通常よりも遥かに多くの怪異と出遭い、そしてそれを見知っている。


 しかし――


 目の前にいるくたびれた中年の男は――いままで見てきた数多くの怪異とは異なっていた。なにかが違う。それはわかる。だけど、いままで遭遇したものとこの男がどう違うのか明確に言語化できない。


「どうしたのかね?」


 宮本は平板な口調で言う。その調子は――どこかで夏穂が知っているものだった。


「きみには恐怖心などないと思っていたのだが」


 ふむ、と頷いて値踏みをするような調子で夏穂に視線を向ける。それはどう考えても人のものとは思えなかった。なんといえばいいのだろう。無数にいる『なにか』に見られている感じだ。


「さあ、よくわからないわ。でも、普通に考えたら、よく知らない中年男性に迫ってこられたら、年頃のジョシコーセーとしては恐ろしいと思うのは普通だと思うけれど」

「……それもそうだ。だが、安心したまえ。私は女性としてのきみに興味はまったくないのでね」

「…………」


 率直にそんなことを言われると、年頃の女子としてはどこか複雑だ。こんな人外の気配を持っているこの男がまともな性欲を持っているとは思えないが。


「どうした? 何故そんな顔をしている」

「あんた、人の気持ちがわからないとか言われてない?」

「どこにあるのかもわからないものがわからないのなんて、自明だと思うがね。

 だが――きみと同じく人の道を外している以上、人の気持ちなどわかるはずもないが」

「ふうん」


 夏穂は興味なさそうな声を出した。


「ところで――あんたはどうやって京子さんの目を誤魔化していたわけ? それとも京子さんもグルだったりする?」

「安心しろ。私と三神とは旧知の仲だが、彼女は私の目的とは関係がない。

 それに――あとから来たのは三神のほうだ。私が根を張っているところに彼女がやってきた。ただそれだけの話だ。どうやって誤魔化したのか――秘密だがね」

「そ、ならいいや」


 夏穂は素っ気なく言って、自分の身体から暗黒を放出する。指向性を持った暗黒は一見無秩序な軌道を持って宮本へと向かっていく。その暗黒が宮本の身体に突き刺さろうとしたその瞬間――


 暗黒はなにかに吸い込まれたように消失する。なにが起こったのか、夏穂が呆気に取られているうちに――


 宮本は腕を払い――こちらに向かって『なにか』を飛ばしてくる。夏穂に向かって飛ばされたそれは、夏穂の神経が反応するよりも早くこちらに飛来し、腕や足に突き刺さった。


 いや――突き刺さったのではない。


 蛇のような生き物にかみつかれていた。その蛇は、見たことのない種類の蛇で、一匹一匹違う種のように思える。


「…………」


 夏穂はなにも言わず、自分の身体にかみつかれた蛇を無理矢理引きはがしていく。ぶちぶちと肉と皮膚は切れる音が体育館棟に響いたのち、引きはがした蛇をそのまま踏み潰した。


「その程度?」


 夏穂は悠然と宮本に向かって言う。

 しかし、放った蛇がまったく効果がなかったというのに、宮本はまったく揺らいでいる様子がない。


「命はどこにやったの?」


 夏穂は自分の身体から垂れる血液と暗黒を広げながら一歩近づいた。


「安心したまえ。彼女は無事だ。あの妖精が少し手を出したようだが、きみが心配するようなことはまだなにもされていないよ。あの妖精との取引は、私の目的が終わってからのことだったからね」

「…………」


 夏穂は無言のまま宮本を見つめる。

 嘘を言っているようには思えなかった。命が無事なのは恐らく間違いないだろう。

 だが――


「私がいるところで――命に手を出す意味、あんたわかってんの?」

「わかっているとも。だからこうして私たちは相対しているのだろう?」

「なら――そこをどけ」


 夏穂が静かに怒りを湛えて、再び暗黒を放出する。一切の音もなく暗黒はまっしぐらに宮本に向かっていく。その暗黒は宮本の身体を貫き――

 がくんと、夏穂の足が何故か崩れ落ちた。


「……な」


 膝をつき、それでも耐えきれず、夏穂は体育館棟の床に倒れて動かなくなる。

 なにが――起こった? 状況が理解できないまま、意識がだんだんと白濁していく。


「思ったよりも遅かったな」


 怪異を食らう暗黒にその身を貫かれたはずの宮本は悠然とした様子でこちらに向かって歩いてくる。


「生憎、きみと同じく私も人間を辞めてしまった身でね。あれに食われるほどヤワではないのだよ。

 いや、ヤワだとかそういうわけではないな。ただ、きみと私は同質の存在だから、きみの暗黒に触れても耐えることができたというだけだ。年齢の割に色々な経験をしているきみも――自分と同じようなものと遭遇したことはないはずだ」


 宮本がなにかを言っているが、夏穂にはなにを言っているのかよくわからなくなっていた。


「きみの中にいる怪異が行う報復をどのように防ぐか――それが最大の問題だった」


 夏穂はもうすでにその言葉は届いていなかったが、宮本は律儀に説明を続ける。


「同質だから耐えられると言っても、それは無制限ではない。そもそもきみの怪異は際限がない以上、それに頼るのはあまりにも危険だ。


「そこで――私はきみの報復が発動する条件として、きみ自身が攻撃を認識できなければ発動できないことを知った。これはなかなかに有益な発見であった。それまでに色々と費やして消費しただけの価値のある情報だ。


「しかし――それだけでは足りない。

 きみの怪異を貰い受ける以上、ただ発動させないだけでなく、発動させ続けないことが必要だった。


「そこで――

 わたしは、きみを殺し続けるという結論に至った。


「きみの報復が発動する条件として、ある一定以上の損傷を受けたのち、ある程度の時間を要する。

 ある程度の時間を要するのであれば――殺し続けることによってある一定の時間を延々と延ばし続ければいい。


「きみが殺しても死なない存在だからこそできる手段だ。

 もう私の言葉は聞こえていないだろう。

 これから、私は死に続けるきみの身からその怪異を分離していただこう。

 まあ、運がよければ抜かれても大丈夫かもしれないが――どうなるかは私にもわからない。

 さよならだ。里見夏穂。我が復讐のためにきみには犠牲になってもらう」


 夏穂は――そのまま、どこかの空間に吸い込まれて消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る