第103話 災厄を呼ぶ悪性4

 どうしてあんな予感がしたのだろう――と、先ほど部長の言葉を聞いて感じたなんとも言い難い感覚を思い出した。


 今日見た夢――よく覚えていないけれど、若い男が慟哭している光景――どうしてあの夢が気になってしまうのだろう。いま部長が言ったゾンビとはなんの関係もないはずなのに……。


 ゾンビ――先ほど、そして昼に見たあの男は確かに様子がおかしかった。身体が腐っているわけではないけれど、ゾンビみたいなのは頷ける。

 それに――


「宮本、お前なにか知ってるのか?」


 と京子がいつも通りの不機嫌そうな声で言う。


「あ、ああ。さっきここに来る前に、いま部長が言ったような状態になっている人を見かけたんだ」

「なに。それは本当か?」


 部長が机から身を乗り出してくる。


「はい。昼にもその人がおかしな状態になってるのを見かけて――」


 そう言って丈司はつかさのほうを見た。つかさは丈司と目を合わせ、小さくこくりと頷く。


「様子が昼もさっきも声をかけたんですが、その人は『大丈夫』の一点張りで……。無理矢理なにかするわけにもいかないので、それ以上はなにもできなくて、その――」


 なにもできなくてすみません、と丈司は謝った。


「別に謝る必要なんかないさ。それが普通だ」

「でも、その原因が怪現象って言うのはどういうことなんでしょうか?」


 そんな質問をしたのは小春だった。


「ああ。まだ確証はないんだけど――ああいう風に徘徊するようになった原因がまったくわからないんだ。健康だった奴がある日突然、映画に出てくるゾンビみたいになって徘徊をしだすらしい」


 原因が不明――その言葉は異様なほど丈司のことを不安にさせた。


 どうして――

 どうして自分はこんなに不安を感じているのだろう。


 なにか――あるのだろうか?

 この、人が突然ゾンビみたいになってしまう事象になにか――


 感じているのだろうか?


 多少の霊感があるせいなのか、丈司は昔からこういったときの漠然とした感覚はよく当たるけれど――


 ……よく、わからない。


 そして――

 もう一度丈司はつかさのことを見た。


 つかさはいつも通りの様子だ。丈司のように、この話に漠然とした不安を感じているわけでもなさそうである。


「でも――怪現象だったならどうするんですか?」


 今度はつかさが声を上げて質問した。


「うーん。情けないことに、なにが原因でゾンビみたいになってしまうのかもよくわからないからなあ。まずはなにが原因なのか調べてみる必要がある。解決は原因をある程度特定できてからだね」


 部長は快活につかさの質問に答えた。相変わらずキレのいいテンポの喋りだ。


「あの、それでもし原因が僕らの手に負えないものだったらどうするんですか?」


 ふとそれが気になって、丈司は部長にそんな質問をした。


「ま、いつも通りさ。原因が怪異ではなく事件性があるのなら――警察なり消防なりに連絡する。怪異だとしても――俺たちの手に負えないものなら――誰か専門家を呼ぼう。その伝手はあるしね」

「…………」


 そんなの当たり前だ。訊くまでもないことを訊いてどうする。


 だけど――

 嫌な予感は消えてくれない。


 この件にはなにかとんでもないものが隠れているのではないかと思えてしまう。

 何故だろう。

 本物の怪異に遭遇したことだってあるのに――どうして。


「宮本。どうしたんだ? さっきからやけに様子がおかしいじゃないか」

「いや、その……なんというか、すごい嫌な予感がして」


 そう。

 嫌な予感。

 その嫌な予感がどうしても拭えなくて――


「嫌な予感、か。宮本が言うとなると、無視できないな。宮本の勘はよく当たるし」


 そう言っているものの、部長の口調には不安らしきものは感じられない。


「ま、でも本当に危ないのならすぐに手を引けばいいさ。俺たちには相談できる人たちもいるんだし。そうなったときは、そうなってから考えよう」

「……そう、ですね」


 部長のポジティブな言葉を聞いても、丈司の漠然とした不安は消えてくれなかった。


「それじゃ、次の集まりまでにこのゾンビについて各自調べてみてくれ。今日はこのくらいにしよう。最後に出る人はちゃんと鍵を閉めてってくれよ」


 それじゃ――と部長は言って、足早に出て行った。あんな風に出て行くところを見ると、今日はこのあとなにか用事でもあるのかもしれない。


 部室には四人が残される。

 しばらく無言の時間が続いて――


「ゾンビ……ねえ。なにが原因でそうなるのか――気になるところだね」


 興味深そうに言ったのは小春だ。


「ま、怪現象が原因だったとしても、レポートのネタくらいにはなりそうだ。じゃ私も先に行くねー。ばいばい」


 そう言って小春は小さな身体を軽やかに動かして部室を去っていった。


「どうしてそんな顔をしている?」


 憮然とした様子で京子が丈司に質問する。


「いままでだって本物に遭遇したことはあるだろう。なにが原因だ?」

「原因ってそんなの――」


 わからないよ、と丈司は京子から目を逸らして言った。数秒ほど視線を丈司へと向けたのち――


「……お前にそう言っても仕方ないな。私も調べてみよう。小春の言う通り、レポートのネタになるかもしれない」


 それじゃ、お前ら戸締りちゃんとしておけよ、と京子は言い残して部室を去っていった。

 部室は丈司とつかさ二人きりになる。


「ねえ」

「……どうしたの?」

「もし――あたしが原因でなにか悪いことが起こったら丈司くんはどうする?」

「どうするって」


 そんなこと訊かれても、と思う。


 たぶん――自分には世界のためにつかさを殺すことも、つかさのために世界を殺すこともできない。


 でも――

 そうなるのが普通のはずだ。


 誰かのために世界を犠牲にするとか、世界のために誰かを犠牲するとかなんて、普通の人間には耐えられない。


 そんな選択が自分訪れたときどうするかなんて――答えられるはずもない。一かゼロか簡単に割り切れないのが人間という生き物のはずだ。

 だから――


「急にそんなこと言われても――わからないよ」

「そっか、そうだよね」


 そう言ったつかさは――とても悲しそうに見えた。

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