第99話 透明人間の逆襲15

 口に棒状のものを突っ込まれて、電流を流された夏穂は完全に動きを止めていた。さすがの彼女も、口内に直接電流を流し込まれるのは耐えられなかったらしい。


 しかし――


 夏穂を殺すチャンスのはずなのに――怪人は動きを止めていた。怪人はぷすぷすと煙を上げている。


 すると、沈黙していた夏穂が意識を取り戻し、口に突っ込まれている棒状を引はがし、鞄からなにかを取り出して、それを怪人の腕に思い切り突き刺した。腕には思ったよりも柔らかい感触が残る。


 不可視の怪人の腕に突き刺したのはコンパスである。


 鈍い音とともに、コンパスは透明な怪人の腕に突き刺さっていた。怪人は――呻いているような気がした。声も聞こえないのでわからないけれど。

 そして、血は――流れていなかった。


「馬鹿ねえ。水をぶっかけられたのに電気を使うなんて」


 夏穂は自分も同じ電流を食らったにもかかわらず平然と立ち上がった。全身から煙が立ちのぼり、ぼろぼろになっていたが、まるでダメージを感じさせない。


「こんなところね。それじゃあさようなら」


 夏穂は恭しくそう言って、教室を飛び出した。いつもよりも速足で。

 やはり、その姿は化物じみていた。


 怪人は追いかけてこない。


 怪人は夏穂以外に見られると存在できなくなるのだ。離れた場所にあるあの教室を出れば、夏穂以外の目がある場所にすぐ行ける。


 そして――


 あの怪人は電気を使うとものすごく体力を消耗するらしい。ただでさえ体力の消費が激しいところに自爆させられたのだから、相当消耗しているだろう。すぐには追ってこれないはずである。


 夏穂は一気に校舎を駆け抜けていく。


 顔も身体も服もぼろぼろで、異様な姿をした夏穂に二度見する生徒が多数見られたが、そんなものまったく気にならない。里見夏穂は見知らぬ他人にどう見られたところで知ったことではないのだ。


 校舎を出て、そのまま寮へと向かっていく。

 目指す先は――決まっている。

 目的地にはすぐに辿り着いた。


 夏穂はノックもせず、目的地の扉を開けて中に入っていった。突如の侵入者に、中にいた生徒は瞠目して後ろを振り向く。


「や、先輩。元気してますか?」


 夏穂は軽々しく言った。

 夏穂にだけ見えない怪人を操っていた――原田志乃に向かって。


「あれ、どうしました先輩? ずいぶん顔色が悪いですね。お疲れでしょうか? それとも、変なものでも見ましたか? もしくは――電気でも食らいました?」

「…………」


 志乃はいまにも死んでしまいそうな顔をして夏穂のことを睨みつけていた。


「あら、腕も怪我しているようですね? もしかして誰かにコンパスで刺されたりとかしていません? 手当てはちゃんとしないといけませんよ。放っておくと破傷風になってしまうかもしれませんし。はやく治療したほうがいいと思いますよ。それとも手当てしている時間もなかったんでしょうか?」


 夏穂はどう見ても満身創痍としか思えないのに、志乃に向かって余裕の笑みを浮かべている。その姿は――とても異様だった。


「どうして黙っているんでしょうか? 手を出してきたのはそっちですし、反応くらいしてもらわないと困るんですが――疲れてますか? それならさっさと楽にして差し上げますよ」

「……あんた」


 荒れ果てた息で、志乃は言葉を紡ぎ出した。夏穂と違って、そこに一切の余裕は感じられない。


「ほんと……なんなのよ……電気ぶち込んで何度も何度も殴ってやったのに。それでも平然としているなんて……おかしいじゃない……」


 はあはあと、死んでしまうそうなほど息を荒らげながら志乃は言う。そこに浮かんでいるのは怒りではなく――


 理解できない存在に対して向ける、計り知れない恐怖だった。


「残念でしたね。私はもう人間じゃありませんので。普通の方々が思いつくような手段では殺されても蘇ってしまう体質でして。困ったことに」


 夏穂は自分に対してこれだけのことをやった志乃に対してなんの感情も抱いていない。その異様さが、志乃をさらに恐怖させた。


 夏穂はさらに一歩近づく。

 志乃は――全身を空中に縫いつけられてしまったかのように動かない。

 動けなかった、のかもしれない。


「しかし、私にだけは見えないっていうのはなかなか面白い手段でしたね。先輩が思いついたことではないでしょう? どこの誰の入れ知恵ですか?」

「……やめて」

「なにをですか?」


 夏穂はにこやかな笑みを浮かべたままもう一歩近づく。


「いや……お願い」

「だからなにをです? こちらが礼儀正しく質問してるんだからちゃんと答えてくださいよ先輩」


 夏穂にはまったく怒りはなかった。ただ、気になっているだけなのだ。それがさらに異様な空気を醸し出している。


「……言わないなら仕方ありません。こういう風に襲われると面倒ですし、さっさと終わらせてしまいましょうか」


 夏穂の身体から――暗黒がにじみ出してくる。


「やめて、いや……ちょっと魔が差しただけなの。もう二度としないから、だから、それだけは――」

「……魔が差しただけ……ですか。いやいや、魔が差しただけで二回も殺されるなんて思いもしませんでした」


 夏穂の口調は明るい。

 これから志乃のことを■■■としているとは思えないくらいに。


「お願い……そんなつもりはなかったの。なんでもするから……」

「なんでもするなら、大人しく食われてください。さようなら先輩」


 人ならざる優雅な笑みを見せて――


「いただきます」


 原田志乃は――その身を暗黒によって食らいつくされた。

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