第94話 透明人間の逆襲10

 少し情報を整理してみよう。


 土曜日――志乃と怪人を探しに行ったあの日――自分は怪人が放った電気によって感電死したらしい。そのとき持っていたスマートフォンが壊れていたこと――自分の身体が焦げ臭かったことから、恐らくそれは間違いないだろう。


 もう一つは――


「ねえ、オーエン。先輩は疑わしいと思う?」

『なんとも言えないな。確かに言われて見りゃ疑わしいところがあるのは事実だが――俺たちが怪人を見ていない以上なんとも言えないな。本当に見たのかもしれないし、あれは演技で、怪人ではなく奴がやったのかもしれん。判断するには材料が少ない』

「そりゃそうか」


 とりあえず、土曜に夏穂を襲った怪人を目視しなければ始まらないようだ。


 志乃のところを訪ねたら、今日はもう終わりにしよう。自分がいないときに、命が怪人に襲われたら元も子もない。そんなことを考えながら廊下を歩いていく。


 そこで――

 あることに気づいた。


「別に擁護するつもりはないんだけど――先輩がわたしのことを襲ったかもしれない可能性は捨てきれないでしょう。あのとき先輩が襲ったんだとしたら――先輩=怪人の可能性が高いわけだけど――それなら先輩はどうしたのかしら」

『ああ、それな』


 オーエンの声は相変わらず年も性別も判然としないが、残念そうなものか感じられた。


『俺もお前と同じく、襲われるその瞬間までなんの気配も感じられなかったんだ。だから、あのとき報復は発動していない。俺も通常はお前の認識に制限がかかっているからな。


『それが解除されるのはお前が怪異もしくは怪異の影響下にある人間にやられたときだけだ。だから、『悪魔』にも報復できたわけだだが――』


 ついこの間――学園中を混乱に陥れた怪異のことを思い出す。


 あれは特異な怪異であった。特異であった存在にも報復できたのは、あれがどんなものだったか認識できていたからである。


『だが、俺はあのときも――いや、いまこの瞬間も怪異の気配が感じられないんだ。いつもならどこかにいるな、くらいは感じられるはずの気配をまるで感じられない。これは妙だ。お前の場合、必要以上に怪異と反応する体質だから、まったく気配を感じられないなんて普通はあり得ないはずだが』

「あり得ない……ねえ」


 色々とあり得ないものを見てきた夏穂に『あり得ない』なんて馬鹿馬鹿しいと思っているが――まあ確かに、通常そこにある怪異として、今回みたいにまったく感じられないというのは少しおかしい。そこになにかカラクリめいたものがあるように感じられる。


 それは――一体。

 歩きながらそれについて歩きながら考えてみたけれど――


「……考えるより、先輩から話を訊いたほうが早そうね」


 そう結論づけて、夏穂は三年生の教室へと向かった。


『悪魔』の件では一番しっちゃかめっちゃかになっていたのが三年だったようだが――いまではもうそれは微塵も残っていない。そこにはごく普通の光景が広がっている。あれほどの混乱があったのが嘘だったみたいだ。それを見ていると、『悪魔』に奪われた人たちももとに戻ったのだろう。


 志乃が所属するクラスを覗いてみると――


「……いないな」


 まだ半分くらい生徒が残っていたものの、志乃の姿はどこにもない。そんなふうにしていると、そのクラスの三年生から「どうしたの」と話しかけられ、夏穂は「原田先輩を探しているんですけど――」とその三年生に訊いてみる。


「ああ、志乃。あいつ、授業終わったらすぐ教室出て行ったよ。なんか最近妙に焦っててさ。図書室の勉強部屋にでも行ってるんじゃないかな」


 夏穂のことを特に気にする様子もなく、三年生は好意的に答えてくれた。


「ありがとうございます。それで一つ訊きたいのですが――いいでしょうか?」

「いいよ。なに?」

「最近妙に焦ってると言いましたが――なにかあったんですか?」

「なにかあったみたいだけど――言ってくれなくてね。無理に言わせるのも悪いからそれ以上は言ってないんだけど――わたしには受験のせいとは思えなかったな」

「……そうですか。ありがとうございます」


 夏穂は礼儀正しくお辞儀をして、話しかけてきた三年生にお礼を言った。


「あ、わたしからあなたが来たって志乃に連絡しておくけど」

「それは大丈夫です。私も一応、先輩の連絡先は知っているので。お気遣いありがとうございます」


 三年生に向かってもう一度お辞儀をし、夏穂は三年生の教室をあとにした。

 少し歩いたところで――


「なにかあったって――なんだと思う?」

『さあ。わかるわけねえだろそんなもん』


 まったくもってその通りである。人間を焦燥に導くものなんて、その人間の数だけあるといってもいい。


 でも――


 先ほど三年生から聞いたそいつが――志乃が『悪魔』に願おうとした原因である可能性は充分考えられる。


 だとすると――


「『悪魔』の件で、結果的に先輩を騙してしまったわけだけど――それで恨まれてたりするのかしら?」

『それ以外にもお前を恨んだり嫌ったりする理由なんて腐るほどありそうだけどな』

「否定しない」


 人から外れるしかなかった夏穂が、多く人から嫌われてしまうのは当然である。たいしたことではないので、なんとも思わないが。


「まあもし、恨んでいるのなら、私になにかする動機はあるけれど――なんなのかしら、この小骨が引っかかる感じ」


 なにか見落としている情報があるような――

 がたん、と――少し離れた場所から音が聞こえてきた。

 なにかを倒した音――のようだ。


「……ねえいまの」

『そうだな。確かめるだけ確かめてみるか』


 夏穂は方向転換し、音が聞こえてきた方向へと向かっていく。そこにあるのは――使われていない椅子や机が置いてある物置のような教室だが――


「おびき出しているのかしら」

『かもな』

「でも、おびき出しているのなら、どうして姿を見たら消えちゃうのかしら」

『ま、怪異だからな。人間には理解できない行動原理くらいあるんじゃねーの』


 オーエンは適当なことを適当な口調で言う。

 角を折れ、あの十メートルほど進み、教室の扉を開けてみる。


 そこには――やはり、いくつか机が倒されていて――

 誰かいたのを確認した瞬間――


 背後から、重く強い衝撃が降りかかってきた。


 なんだ――

 どうして後ろにいる?


 後ろには誰も――いなかったはずなのに――


 完全に意識の外からの攻撃を受け、夏穂は昏倒しそうになるがなんとか踏みとどまり、背後を振り向いた。

 そこには――


「なにも、ない」


 自分を殴りつけてきたはずの存在はどこにもない。ただ静かな、無人の廊下だけが広がっている。噂に聞く二メートルの怪人の姿はなかった。夏穂を殴って、すぐにどこかに隠れたのか? いや、そんな都合のいいことできるわけ――


 これは――どういう――

 殴られること自体はたいしたことではない。


 しかし、たいしたことはなくとも、人間の形態をしている以上、頭を殴られて脳を揺さぶられれば意識や足もとがおぼつかなくなってしまう。


 なにが起こったのか事態をまったく理解できないまま――


 今度は頭上からなにか重いものを叩き落とされて――脳天を潰された里見夏穂は暗黒に溶けた。

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